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擾乱の存在のために、量子力学における測定による変化は、単なる情報取得による変化とは考えられないのか?
測定しない他の物理量への擾乱の存在は、他の確率論の場合とは異なる量子力学特有の不思議な特徴であり、測定による変化を単なる情報取得による変化とは考えられない大きな1つの理由になっているという主張を見かけました。これは測定(観測)による波動関数や状態ベクトルの収縮に対しての記述であったのですが、この主張にはおかしなところがあります。
まず現代的な量子力学においては、下記の記事にもあるように量子状態トモグラフィ法によって量子状態や波動関数は明確に定義をされています。
そして波動関数や状態ベクトルの収縮は、測定によって得られた系の情報に基づいた、物理量の確率分布の単なる更新に過ぎません。その意味で、観測によって古典的なサイコロの目の確率分布が更新されて、特定の目に分布が収縮をするのと本質的な違いはないのです。その意味で、量子力学には「観測問題」など最初から無かったと言えるのです。
そもそも古典力学ですらも、他の物理量への擾乱は有りがちなことです。他の物理量への擾乱は、対象系と測定機との相互作用が原因であり、古典力学が良い近似で成り立つ領域での多くの実験ですらも、そのような擾乱は頻繁に起きています。或る粒子の位置を測ろうと粒子にレーザービームをぶつければ、古典力学でもその粒子の運動量には擾乱が起きます。ただ古典力学ではその擾乱の原理的な下限はないとされ、いくらでも擾乱は小さくできると考えられていましたが、古典力学や古典確率論にも「擾乱」という概念自体は自然に入っていて、量子力学特有のものではありません。
またミクロな対象になればなるほど、ハイゼンベルグの顕微鏡の思考実験でも起きていたように、ますます測定機の対象系への影響は大きくなるので、古典力学でも多くの実験において擾乱があることが自然と言えます。ですからむしろ「何故古典力学では、ミクロな対象の或る物理量の測定においても他の物理量の擾乱を零にすることができると根拠なく信じていたのか?」が問題なのです。古典的な対象のままだったとしても質量が小さなミクロな対象であれば、むしろ測定機の他の物理量への擾乱は大きくなると思うのが普通です。量子力学の擾乱には不確定性関係に基づいた下限がありますが、これよりも不思議なのは「擾乱がない」と考えることなのです。
前世紀以前の多くの人たちは古典力学を形而上学的実在論と捉えていて、その物理量の測定法の定義を与えないまま、あやふやな議論を長くしてきたのです。粒子の位置測定でも、運動量への擾乱が零にできると無根拠に信じていたのでした。素朴に位置や運動量の真の値が実在していると思い込んでいたのが、間違いだったのです。
たとえば有名な2準位スピン系でのJ.S. ベルの隠れた変数理論に対応する古典確率理論は、量子力学と全く同様の擾乱を起こしています。この理論は、拙書『入門現代の量子力学』の付録Gでも紹介しています。
不確定性関係の擾乱下限も、その隠れた変数理論では満たされています。つまり「他の確率論の場合とは異なる」と、最初に触れた主張は、間違っています。量子力学と同様の不可避な擾乱を起こしていますので、擾乱は「量子力学固有の不思議な特徴」とは言えません。
このベルの隠れた変数理論でさえも、数学の一般確率理論を使うと、状態ベクトルやエルミート行列を使って表示ができます。見かけは量子力学と全く同じになりますし、その測定での確率分布の計算も、射影行列を使った「ボルン則」で可能です。また状態ベクトルで表記したときには、シュレディンガーの猫状態のように、状態の線形重ね合わせが現れます。そして測定によってその状態ベクトルは収縮をするのです。つまり状態重ね合わせや状態収縮さえも、決して量子力学固有の性質ではありません。
また量子力学に戻って、考えてみます。例えばスピンz成分測定のシュテルン=ゲルラッハ(SG)実験を思い出すと、磁石と粒子の相互作用はユニタリ過程なので、その過程中に波動関数の収縮は起きません。でもその時にx成分やy成分の擾乱を起こします。 磁石から出た後、相互作用が切れたビームの位置の読み出し時点で状態収縮は起きます。波動関数は「誰にとっての」を指定しないと定まりません。ビームの位置を見る観測者にとってのスピン粒子の波動関数は、その観測者がビームの位置を確認した時に初めて収縮するのです。まだ粒子がSG装置の中にいるときに収縮するのではありません。擾乱は飽くまで磁場と粒子ビームの相互作用がある間だけ増加し、その粒子が磁石から出た後には、粒子の測っていない物理量に対する擾乱量は全く増えません。
ですから測らない他の物理量への擾乱が起きるタイミングと、粒子の波動関数が収縮するタイミングは、異なります。ですから物理過程としての擾乱の存在が、波動関数や状態ベクトルの収縮に対して特別な意味を持つわけではありません。
まとめると、測定中に起こる他の物理量への擾乱の存在も、また状態の線形重ね合わせも、そして観測による状態ベクトルの収縮も、量子力学固有の性質とは全く言えないのです。その意味で、先の主張は間違っていると言えます。特に観測における状態ベクトルや波動関数の収縮は、観測者にとっての単なる情報取得による変化です。
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