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モンティホール問題と波動関数の収縮

量子力学は深刻な「観測問題」があるとして、前世紀には多くの物理学者が懊悩をしておりました。ところが現在では下記の記事にあるように、観測問題というものはそもそも存在しなかったことが分かっています。

波動関数や状態ベクトルとは、観測者に依存しない客観的実在ではなく、観測者それぞれが持つ情報の集まりに過ぎないと理解されているのです。各観測者にとっての物理量の確率分布の集合を、1つの表記としてまとめて書いたものに過ぎません。つまり波動関数は「確率分布」なのです。

波動関数がある物理量の測定で瞬間に収縮するのは、その測定をした観測者にとってだけであって、その測定結果をまだ知らない他の観測者にとっては、そのような収縮は起きていないのです。

測定結果を知った観測者は、その情報に基づいて自分にとっての対象系の確率分布を更新することができます。その更新された確率分布を数式で表記したものが、測定後の対象系の波動関数となるのです。観測者が持っていた知識の更新こそが、波動関数の収縮であると言えるのです。

波動関数が確率分布の集合である以上、「波動関数の収縮」に対応する現象は、古典的な確率分布に基づいた推定においても現れるはずです。(このような観方は、量子力学を知らなくてもよい、古典確率だけを扱う分野の方には、まどろっこしく思われることでしょうが。)

例えば有名な「モンティホール問題」も量子力学の文脈でみれば、典型的な波動関数の収縮だと、カナダの研究所の教授であるアヒム・ケンプさんは見抜いてました。彼は私の友人で、観測問題のナンセンスについて私と話していたときに、「結局は、モンティホール問題と同じ」と、彼は的を射たことを言ったのです。

この問題は、モンティホールさんが司会を務めた米国のゲームショウ番組『Let's make a deal』の中で出てきたもので、多くの人々が間違った答えを出したことで有名です。

以下が、その問題です。

「プレーヤーの前に閉じた3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。果たしてプレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」

マリリン・ボス・サヴァントという方は、この質問に「正解は『ドアを変更する』である。なぜなら、ドアを変更した場合には景品を当てる確率が2倍になるからだ」と答えたのですが、これに対して「間違っている」という意見が多数寄せられたそうです。実際にはサヴァントさんが正しかったのですが、多くの人は「ドアを変えても確率は五分五分(2分の1)のまま。」という意見だったのです。何故彼らは間違えたのでしょうか?それは背景に存在する相関と、測定結果に基づいた情報の更新、つまり量子力学では「波動関数の収縮」の部分に対応する部分を、正しく理解していなかったためです。間違った人々は、「その残された2つのドアに対する確率分布は、決して収縮変化しないのだ」と、まるで多世界解釈での波動関数のようなことを思っていたのです。

実際には、もちろんサヴァントさんが言う通り、測定結果を用いて選ぶドアを選び直すのが良いのです。このモンティホール問題の正解のわかりやすい解説は、YouTubeチャンネル「ことラボ」の「パラドックスの本質とは?」という動画の3分20秒辺りにあります。

このモンティホール問題での「残った2つのドアの確率分布は決して収縮しないのだ。だからドアを変える必要はない。」という間違った感覚は、「量子力学でも、波動関数は収縮しないはず」という思い込みに通じるものです。長きに渡って人類が培ってきた直観の頼りなさを露呈させてくれるのが、このモンティホール問題であり、また量子力学に本来在りもしなかった「観測問題」という幻想なのでしょう。

なお観測問題はないと明確にわかるように書かれた、以下の現代的な量子力学の教科書を講談社サイエンティフィクから出しております。

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Masahiro Hotta
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