
ループ量子重力理論はガンマ線バーストの最近の観測によって否定されたのか?
最近、欧米の学術系YouTuberたちの間で、量子重力理論の候補の一つである「ループ量子重力理論(Loop Quantum Gravity, LQG)」がガンマ線バーストの観測結果によって否定されたという話題が盛り上がっていました。
この騒動の背景には、LQG理論の専門家の一人であるリー・スモーリンさんが、LQG理論の観測的実証可能性について以前論じていたことがきっかけとなっています。
LQG理論にはさまざまな可能性がありますが、そのあるバージョンではローレンツ対称性が小さく破れています。遠方の天体からの光を観測することで、相対論的なローレンツ対称性が破れているかどうかを確認できるという主張がスモーリンさんによってなされました。つまり、LQG理論は反証可能性がある科学理論であると、主張されていたのです。
具体的には、もしLQG理論がローレンツ対称性を破るのであれば、高い振動数を持つ光の速度がわずかに遅くなると予測されます。ただし、その効果の大きさは非常に小さく、通常の素粒子加速器実験では検出することがほぼ不可能です。しかし、ガンマ線バーストのような遠方の天体現象から放たれた光が宇宙規模の長距離を移動する過程では、この微小な効果が累積され、地球に到達する頃には観測可能な大きさのシグナルとなる可能性があります。
そして、スモーリンさんが提唱したLQG理論を含めたローレンツ対称性の破れの検証が、最近行われました。その結果は、LHAASOグループによる下記の論文に記されています。
この論文では、ローレンツ対称性の破れは観測されなかったと主張されています。この結果は大きな話題となり、「超弦理論のライバルだったLQG理論が死んだ!」というYouTube番組も作られ、一般の関心を集めました。
しかし、LQG理論のもう一人の著名な専門家であるカルロ・ロヴェッリさんは、これには誤解があると指摘しています。彼は、今回のガンマ線バーストの観測結果が出た後でも、LQG理論そのものは否定されておらず、依然として有効な理論であると、以下の番組内でも強調しています。
ロヴェッリさんによれば、LQG理論にはさまざまなアプローチや異なる考え方が存在しており、スモーリンさんが提唱したローレンツ対称性の破れは、実際には起きないというのが、この分野でのコンセンサスだとしています。今回は、そのロジックの簡単な部分を紹介してみたいと思います。
まず、LQG理論は超弦理論と異なる理論です。この理論では、時空は最初から連続的なものではなく、頂点とそれらを結ぶリンクによる網目状の構造として記述されます。これを「スピンネットワーク」と呼びます。この構造は離散的であり、その典型的なスケールは約10のマイナス35乗メートルで与えられる「プランク長」程度とされています。

From Introduction to Loop Quantum Gravity - Lecture 5 by Carlo Rovelli
LQG理論は、いわば数値計算に使われる格子場の理論をさらに拡張した形で、量子時空を捉えようとするものです。
例えば、LQG理論の空間を直観的な説明のために単純化をし、図1のようにミクロなスケールで離散的な格子構造を持つ量子的な対象として描きましょう。この図に描かれた1つ1つの丸は、いわば「時空の原子」を表しており、これが繋がりあって時空を構成していると考えます。

このプランク長程度の格子間隔を持つ離散的な時空も、波長が格子間隔よりはるかに長い領域では、連続的な時空として振る舞います。これは、水が個々の水分子から成り立っているにもかかわらず、大きなスケールで見ると連続した流体として振る舞うのと同じです。
図1のような離散的な時空で光の伝搬速度を計算すると、低周波の光(波長が長い光)の速度は古典的な相対論での光速度cにほぼ一致します。しかし、高周波の光(波長が短い光)の速度はcよりもわずかに遅くなることがわかります。たとえば赤い光よりも青い光のほうが少し遅れるということです。この速度差は非常に小さいものですが、遠くの天体からの光であれば、長距離を移動する過程で効果が累積し、地球に到達する際に観測可能なレベルの違いとなるはずです。
今回の観測対象となったのは、「GRB221009A」と名付けられたガンマ線バーストからの光でした。その結果、光は周波数に依存せず、同時に地球に到達したことが確認され、スモーリンさんの予測は否定されました。
この結果が非常に重要であることは間違いありません。なぜなら、否定されたとしても、ある種の量子重力理論が観測を通じて検証されたという事実は、「量子重力は検証不可能であり、科学ではない」とする一部の批判を覆す成果でもあるからです。
では、この観測結果によってLQG理論全体が否定されたのでしょうか?ロヴェッリさんの主張によれば、否定されたのはスモーリンさんのモデルの一つにすぎません。標準的なLQG理論ではローレンツ対称性を保持しており、今回の観測結果とも矛盾しないというのがロヴェッリさんの見解です。
ロヴェッリさんは、まず電子のスピン角運動量の例を挙げています。その値は離散的ですが、そのダイナミクスの連続的な回転対称性は保たれています。この例を用いて、物理量が離散的であっても、それが連続的な対称性を否定するわけではないと、彼は強調します。同じことがローレンツ対称性にも当てはまるというのです。
図1のような離散的な格子構造では、格子に依存した離散的な変換以外の空間的な連続推進対称性が破れています。同様にローレンツ対称性も破れることになります。しかし、量子力学では状態の線形重ね合わせが可能です。図2のように、少しずつ位置をずらした格子の状態を連続的に用意し、それらを線形に重ね合わせることで、連続的推進対称性が回復します。

また、ロヴェッリさんによれば、LQG理論においても、状態の重ね合わせの仕組みによってローレンツ対称性は回復しています。そのため、彼は今回のガンマ線バーストの観測結果によって、標準的なLQG理論は影響を受けておらず、無傷であると主張しています。
一方で、『数学に魅せられて、科学を見失う』という著書で知られる学術系YouTuberのザビーネ・ホッセンフェルダーさんは、ロヴェッリさんの意見に異議を唱えています。彼女は、LQG理論の特徴の一つである「最小面積」の概念が、ローレンツ対称性と矛盾すると指摘しました。
ホッセンフェルダーさんの意見では、LQG理論では、ブラックホールの地平面などの面積に「プランク面積」という最小単位が存在するとされています。しかし、ホッセンフェルダーさんは、ローレンツ対称性がある場合、こうした最小単位の面積は存在し得ないと批判しています。なぜなら、ローレンツ対称性の下では、観測者の運動状態によって面積の測定値が連続的にいくらでも収縮可能であるため、固定された最小単位を定義することができなくなるからです。
このため、ホッセンフェルダーさんは、最小面積を前提とするLQG理論は、ローレンツ対称性を保持することができず、今回のガンマ線バーストの観測結果によってLQG理論は否定されたと主張しています。

しかし、ロヴェッリさんはホッセンフェルダーさんがLQG理論を誤解していると反論しています。確かにLQG理論では、面積がプランク面積を通じて量子化されるという特徴があります。この理論には「面積演算子」という概念があり、その固有値は以下の式で与えられます。

ここで量子数jは非負の整数または1/2の正奇数倍の値をとります。

ロヴェッリさんが特に強調しているのは、j=0 の場合です。このとき、面積演算子の固有値はゼロになります。つまり、LQG理論において、面積がゼロになることも可能であるということです。そしてブラックホールの地平面における最小面積とは、量子力学的な期待値として解釈されるべきだと彼は述べています。

ですから状態ベクトルの係数の消えない値がj=0に集中すれば、その期待値はいくらでも小さくなれます。

なので、ブラックホールを図4や図5のようにローレンツ変換して、面積を連続的に収縮させることもLQG理論では許されています。


このように、ホッセンフェルダーさんのLQG理論に対する批判は、理論の基本的な構造を正しく理解していないため、的を射ていないとロヴェッリさんは主張するのです。
結論として、LHAASOグループによるガンマ線バーストを用いた観測結果により、スモーリンさんの一部のLQG理論モデルは否定されましたが、ローレンツ対称性を持つ標準的なLQG理論は依然として有効であり、生き残っています。同様に、ローレンツ対称性を保つ超弦理論も、今回の観測によって特に制限を受けることはありませんでした。
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