無限の広がりを持つ宇宙についてのパラドックス
カナダの研究所に宇宙物理学者のマックス・テグマークさんが講演をしに来た時の面白いエピソードを友人から聞いたことがあります。講演の中で彼は、有限体積の閉じた宇宙ではなく、無限大体積の開いた宇宙であると示唆する現在の観測結果に基づいて、次のようなことを語ったそうです。
宇宙自体は無限の大きさを持つので、果てしない先の領域には、必ず地球と同じ惑星を見つけることができ、そこには地球と同じ人類が今住んでいると言うのです。無限大の体積を持つ宇宙においては、同じ歴史の世界と相反する歴史の世界の両方を含めて、全ての可能な事象が何回も宇宙のどこかで起きているという理論です。
そこで友人がテグマークさんに質問してみたそうです。「宇宙の果てには、別な地球があって、そこでは(その星の)君が(その星の)この研究所に来ていて、今と同じように講演をしている最中なのかい?」と。テグマークさんの答えは「イエス」でした。
そこで私の友人はテグマークさんにまた聞きました。「すると、その別な地球の研究所で、今この講演とは真逆の結論を語っている君も実在するのだね?」「じゃ、地球の我々は、どちらの君の主張を信じればいいの?」と聞いて、講演会場は爆笑で埋まったそうです。友人のそういうウィットが効いたパラドックス的な批判の仕方に、聴衆は感心しながら笑ったのだそうです。
宇宙には果てがなく、無限大の体積を持つことを理由に、実証不可能な言及を理論物理学者がすることに対する、友人の疑問または批判だったのでした。「それは本当に科学なのか?」という深い問いかけでもあったのです。
テグマークさんは「マッド・マックス」とご自身のことを語られるように、強烈な多世界解釈ビリーバ―でもあります。彼の無限宇宙や多世界解釈に関しては、実証性を基本とする健全な科学を既に超えてしまっているというのが、私の立場です。多世界解釈は外部観測者を持たない理論で、時々刻々に異なる多数の世界が量子的な重ね合わせとして分岐しているという話です。この多世界は、観測者に依存しない本当の「実在」であるとされています。
非標準的な理論であるこの多世界解釈については、昔MITのセス・ロイドさんが、ホーキング博士の共同研究者で、多世界解釈が好きなドン・ペイジさんに、冗談でロシアンルーレットの賭けを持ちかけた話も有名です。
こめかみに当てた銃からは5/6の確率で弾丸は出ず、ペイジさんはロイドさんに勝って大金を得るのですが、1/6の確率では、弾丸が出て死んでしまう。「でも多世界解釈が正しければ、他の実在の世界で必ずペイジさんは生きてるのだから、問題ないはずだよね」と、ロイドさんはペイジさんに言ったのでした。でもペイジさんは、「1/6の世界でも自分の奥さんを悲しませたくないから賭けはしない」と、断ったとのことでした。
ロイドさんのペイジさんへのこの多世界解釈のジョークは、実に多世界解釈の本質的な欠点を突いたものでした。5/6の確率の他の世界に実在するペイジさんにとって、目の前の奥さんは決して悲しんでいないのです。人間は通常一つの意識の場しか持っていません。「この世界」と多世界解釈に出てくる「あの世界」を、同時に見渡すことはありません。一人の人間である「私」の意識の置き場である「この世界」の実在性と、この世界の「私」の意識が及ばない「他の世界」の実在性の間に生じるナンセンスを表現したものでした。このような多世界解釈の問題点は、下記ブログ記事にも書きました。
前世紀には多世界解釈を有望と考えていた人が多かったのですが、それは量子力学を実在論的に捉えようとしていた側面が当時にはあったからでしょう。彼らは、波動関数は物理的実在で、その収縮も物理的過程として理解したいと思っていました。しかし現在では、波動関数は情報であり、実在ではないという合理的な理解ができています。これについては下記の教科書をご覧ください。
21世紀の現在では、古典力学のような実在を扱う理論とは異なり、量子力学は情報理論の一種であるという認識です。波動関数の収縮は、観測者にとっての知識の増加に伴う確率分布の変化に過ぎません。神秘的で理論としても未解決な物理現象では、決してないのです。その意味で、実証科学の量子力学に、いわゆる「観測問題」は存在していないのです。
(扉絵 copyright: NASA )