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「確率0%」は、その事象が絶対起きないことを意味するのか?
SF的夢想の中には、哲学的に深いものが入っていたりするものです。例えばSF的に『測度零事象』というものを考えてみましょう。量子力学は起き得る事象の確率分布を与えるものです。ある物理量を測ると、その許される値が何%で観測されるのかということを予言し、実験でそれを確認できます。
測度零事象とは、量子力学での観測確率が零である事象(現象や出来事のこと)を指します。普通の感覚だと0%とは「起き得ない」事象です。
測度零事象の1つの例として、素粒子のエネルギー保存則を破る仮想的なミクロな反応を想定できます。また現状だと、タイムマシン(時間を遡る現象)も実験で観測されたことはないので、一応これも測度零事象の候補に分類可能です。
しかし「その現象が起こる確率は0%」、つまり「ある現象は100%起き得ない」ことと、「本当にその現象が起きない」ことの間には、微妙な概念のずれがあることに気づきます。確率の普通の頻度主義的な定義では、ある事象が起きる確率とは、それが起きた回数を、観測したトータルの回数で割った比を考え、その比の試行回数無限大極限とされます。
あるミクロな素粒子反応を考えて、反応前の全エネルギーと反応後の全エネルギーに差がある事象が1回観測されたと考えてみましょう。宇宙の寿命は無限に長いと仮定して、その宇宙の歴史の中でその事象がたった1回だけ起きた場合、「その事象が起きる確率は?」と聞かれれば「0%」と答えることでしょう。起きた事象の回数である1を、無限大の試行回数で割るためです。
またタイムマシンで未来人が現代にやって来ることが、何等かの理由でたった1回しか成功できない場合はどうでしょう?その場合も確率0%の測度零事象となります。過去にやって来た、そのかわいそうな未来人は、未来人だとは人々に信じてもらえず、単に未来を予言できる「ラッキーな人」扱いです。中には信じてくれる人も居るかもしれませんが、実証科学的にはその人を未来人であるとする根拠を持てません。
Nを大きな自然数として、N回中にその事象が起きる回数の期待値をn(N)としたとき、N無限大極限でその比 n(N)/Nが零になっていれば、それは測度零事象になります。このような測度零事象に対しては、量子力学を含む全ての実証科学的な立場からは何も言えません。
測度零事象は統計学に基づく科学がイエスともノーとも言えない対象です。科学で扱える対象外ということなので、それが仮に起きても、否定も肯定も科学ではできないのです。科学の本質的な境界を考える上でも、このような測度零事象は面白い概念だと思います。
ちなみに測度零事象は出現確率が零となることだけが条件なので、無限回の試行の中でただ1回だけ観測される事象に限定されません。2回でも3回でも良いです。無限回試行をした実験結果のリストの中で、その事象の出現の仕方が測度零の分布であればよく、トータルの試行データ上の測度零事象の位置分布は複雑なものでもOKです。
試行回数Nの観測データの中で、何故か素数回数目のデータにだけに、小さな割合で測度零事象が起き得ている場合などもアリです。でも実際にはデータの番号付けはランダムにし直せるので、各試行は独立だと考えるのならば、その「素数回数目」には意味はないと受け止められることでしょう。こういう現象がもし観測されても、それは共同研究者の単なるイタズラとされるかもしれません。でもSFでは、この辺りに腕の見せ所のアイデアを仕込めるのかもしれません。
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