量子ハードウェア
以前の記事で、量子コンピュータを実現させる量子物理系に必要な条件について解説しました。
今回は、もう少し具体的な量子コンピュータの実現方式について解説したいと思います。今日、様々な量子物理系を用いて量子コンピュータの実現が試みられています。例えば、GoogleやIBMは超伝導をベースにした量子コンピュータを開発しています。また、IonQ社やQuantinuum社はイオンをベースにした量子コンピュータを開発しています。他にも、中性原子や光、半導体といった他の量子物理系を活用した量子コンピュータも開発されています。そして、これらの物理系には、それぞれメリットとデメリットがあります。
超伝導量子コンピュータ
現在、もっとも量子ビットの集積に成功している方式が、超伝導を使った量子コンピュータです。超伝導とは特定の物質を冷やした時に、電気抵抗がゼロになってしまうという現象です。このような超伝導体と非常に薄い絶縁体を組み合わせることで、実は量子ビットを実現することができます。
超伝導量子ビットの特徴
もう少し詳しく超伝導量子ビットの特徴について見ていきましょう。超伝導量子ビットの特徴は、例えば以下のようなものが挙げられます。
固体の量子ビットのおかげで、量子ビットの集積化が容易
マイクロ波で量子ビットが制御可能
量子ゲートが高速に実行可能
高精度な量子ゲート
量子ビットの設計の自由度が高い
超伝導量子ビットが期待されている一番の理由は、量子ビットの集積化がしやすいと考えられている点です。超伝導量子ビットは、超伝導の電気回路です。そのため固体のデバイスとして動作し、集積化には有利であると考えられています。また電気回路であるため、既存のエレクトロニクス技術との親和性も高い点もメリットです。
また超伝導量子ビットは、マイクロ波で制御することが可能です。マイクロ波技術は、これまで様々な技術において汎用的に使われており、そのような成熟した技術を応用できる点もメリットとなっています。さらに、超伝導量子ビットは、他の種類の量子ビットと比較して高速な量子ゲートを実現することができます。また、量子ゲートの精度も非常に高いものが実現されています。
一方で、デメリットも存在します。例えば、超伝導量子ビットは人工的な量子ビットであるので、個々の量子ビット間に個体差が生まれてしまうという問題点があります。量子ビットの数が少ない場合は、外部から補正をかけることができますが、量子ビットの数が増えてくると、それを容易に行うことが難しくなります。また超伝導量子ビットは、低温の環境を用意する必要があります。そのため、希釈冷凍機と呼ばれる超伝導量子ビットを冷却する巨大な機械が必要となります。さらに、量子ビット自体のサイズも数mmのサイズであり、大規模な量子コンピュータを実現するために、膨大な量子ビットを搭載しようとすると、かなりの大きなスペースと希釈冷凍機が必要になると考えられています。
超伝導量子ビットは日本で生まれた?
実は、超伝導量子ビットは日本初の技術です。1999年にNECに在籍していた中村氏らによって量子ビットのコヒーレントな動作が確認され、さらに2003年には2量子ビットゲートが実現されました。
超伝導量子コンピュータを開発している企業(一部)
Google
IBM
Rigetti Computing
Amazon
IQM
日本の企業ですと、NECや富士通が超伝導量子コンピュータの開発に取り組んでいます。
イオントラップ量子コンピュータ
超伝導量子ビットと並んで、量子ビットの集積に成功している方式が、イオントラップです。イオントラップとは、電荷を帯びた原子である、イオンを捕獲(トラップ)する装置です。イオントラップでは電場によるポテンシャルを生成することでイオンを捕獲しています。
イオン量子ビットの特徴
イオン量子ビットの特徴は、例えば以下のようなものが挙げられます。
量子ビット間の特性が一様
コヒーレンス時間が長い
量子ゲートの精度が高い
量子ビットの初期化や読み出しの精度が高い
任意の量子ビット間で2量子ビットゲートを実行可能(全結合性)
超伝導量子ビットが人工量子ビット系であるのに対して、イオントラップは原子を利用した天然の量子ビットです。そのため、人工量子ビットで問題となる個々の量子ビット間の個体差が、イオントラップ量子ビットには存在しません。また、イオントラップ量子ビットは、非常にコヒーレンス時間が長いのが特徴です。
また、量子ゲートや、量子ビットの初期化、読み出しといった量子ビットの操作精度が高いことも特徴です。量子ビット間の結合に関しても特徴があります。超伝導量子ビットが隣合う量子ビットの間の相互作用しか利用できないのに対して、イオントラップ量子ビットの場合は、すべての量子ビット間に相互作用を実現することができます。この全結合性のおかげで、量子アルゴリズムの実装の際には、非常に効率良く量子ビットを活用することができます。特に、エラーを訂正することができない小規模な量子デバイス(NISQデバイス)では、できるだけ量子回路の深さを浅くする必要があるため、この性質は大きな利点となります。
一方で、イオントラップ量子ビットの欠点としては、量子ゲートの速度が遅いという点が挙げられます。超伝導量子ビットにおける量子ゲートの実行速度に対して、2桁ほど速度が遅くなります。
イオントラップ量子コンピュータを開発している企業
IonQ
Quantinuum
Alpine Quantum Technologies
Universal Quantum
Oxford Ionics
その他の方式
現時点において、ある程度の量子ビットの集積化に成功している超伝導量子コンピュータとイオントラップ量子コンピュータ以外にも、量子コンピュータを実現するためのプラットフォームとして期待されている量子物理系も存在します。
例えば、光を使った方式では、室温でも量子性を確認することができる光の性質を使うことで、室温でも動作する量子コンピュータを実現することができます。また、量子通信と相性が良かったり、異なる量子系同時をつなぐ媒体としても期待されています。また光の他にも、イオントラップと同じように原子を用いた技術である冷却原子系や、半導体技術を活用した量子コンピュータの実現にも注目が集まっています。
結局どれがいいの?
結論から答えるとわかりません。それぞれの量子物理系に、メリットとデメリットがあります。確かに、現時点での量子ビットの集積度という観点では、超伝導量子コンピュータやイオントラップ量子コンピュータが頭一つ抜けている感じがします。
しかし、量子コンピュータの最終的に目指すべき姿は、数百万あるいは数億という数の量子ビットを搭載したマシンです。それに比べると、数十量子ビットという今日実現されている量子ビットの集積度など大きな差はありません。すなわちどの量子物理系にもチャンスがあるのです。技術発展の動向にも注目しつつ、長い目でその道のりを見守っていく必要があるでしょう。