月は私のもの - フェアグラウンド・アトラクション
黄色に光る中秋の月を眺めていたら、この曲が頭の中で流れた。
イギリスのバンド、フェアグラウンド・アトラクションの「ムーン・イズ・マイン」。月は私のもの。大好きな曲だ。
1988年発表のフェアグラウンド・アトラクション唯一のアルバム「The First of a Million Kisses」に入っている曲。アルバムタイトルが「百万回の最初のキス」なんて洒落ていて、写真家エリオット・アーウィットの作品を使用したアルバムジャケットもグッとくる。The First of a Million Kisses は、収録の名曲「ハレルヤ」(いつ聴いても涙が浮かんでしまう)の歌詞の一節。
フェアグラウンド・アトラクションの音楽は、生楽器中心の優しい音で、ケルト音楽も感じさせ、フォーキーで、ジャジーで、静かで、寂しくて、秋の夜に聴きたくなる。
「ムーン・イズ・マイン」の主人公は、孤独でお金もなく、色々なことがうまくいっていない。恋人もいない。人生に挫折している。
だけど、月だけは私のもの、あの美しいまん丸のチーズは私の個人的な資産、と歌う。
お腹を空かせている感じもする面白い表現だ。
ところで、イギリス流のユーモアに、self-deprecating humor という言い方があるそうだ。自虐ネタ、というところだろうか。自分のダメさ加減や失敗、悲惨さをネタに笑いに変える。自分を低く落として慰めにする。
イギリス出身のコメディアン、チャーリー・チャップリンの言葉に「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」というのがある。悲劇と喜劇は隣り合わせ、裏表一体で、要はどう感じ取るか。悲劇がないと喜劇はない、とも取れる。
「ムーン・イズ・マイン」の主人公は、荒涼とした土地に生えるヤナギランやトゲだらけのイラクサしかないような殺伐とした心の中、八方ふさがりの状況で、誰もが自由に見ることができてその美しさを享受できる月を、私のものだ!と繰り返し言う。そこになんとも言えないユーモア、喜劇性を感じる。
いやいや、月はあなたのものじゃないでしょう?とツッコミを入れたくなるが、そのツッコミは笑いながらの親しみを込めたものだ。その自虐ネタに、哀れみとともに可笑しみ、親しみを感じる。と同時に人間の好ましさ、温かさまでも感じさせる。完璧じゃないから人間らしくて好きになる。
生活していれば悲喜こもごも、辛いこと、失敗もある。人とぶつかりもする。不完全だから仕方がない。そんなときはこの曲の歌詞を重ね合わせる。
個人的には、満月の日の前後1〜2日の少しだけ欠けている月の方が満月よりも美しいと思っている。月も人も、欠けているくらいがちょうど良いのではないだろうか。
Fairground Attraction - The Moon Is Mine
拙訳
電話も無いし手紙も来ない
ヤナギランとイラクサだけ
でも、月は私のもの
そう、月は私のもの
新聞には悪いニュース
罪人には重いニュース
でも、月は私のもの
そう、月は私のもの
川面に水を切って石を投げる
願かけの泉に
ありったけのお金を投げる
生きる費用を払えない
生き地獄のような高さなら
ベイビーと呼んでくれる人もいない
また次のバレンタインは何もなし
でも、月は私のもの
そう、月は私のもの
帽子を掛けるフックはないし
今日、借りる部屋もない
でも、月は私のもの
そう、月は私のもの
川面に水を切って石を投げる
願かけの泉に
ありったけのお金を投げ入れる
生きる費用を払えない
生き地獄のような高さなら
前は信じてた
華やかなご褒美を
でもこの頃になってやっと分かった
あれはただの嘘っぱちだって
でも、月は私のもの
そう、月は私のもの
あの美しいまん丸のチーズは
私の個人的な資産
そう、月は私のもの
月は私のもの