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共感覚/クロスモーダルな知覚
YouTube見てたら
こんなん出てきた…
笑いって良いよね
私の周りにも
こういう人がいたら
シーンてならないのかな
それ以前に
清塚信也さんの
この思考のセンスが
周りも楽しくしてるのかもね
シーン…ってなっても
前向きに生きよう✨
内容
ここに記したことは、多分ですが
あまり共感出来る事柄では無いかも知れません。
大きく分けると個人的な主観の感覚になると思います。
同じ感覚があったとしても、それぞれの感じ方もあるので皆違います。
私は絶対音感とは違う共感覚があります。
しかし、規定やスケールがないので誰とも共有できません。
私の共感覚は
色、音、香り、質感、味、
5つの感覚全てです。
いわゆる音楽のスケールの絶対音感とは違う音の感覚もあります。
生活する上で、誰とも共有出来ない言葉にならない思いをどうしたら良いか悩んでいたところ、研究員の方からご紹介を頂き、以前脳の研究をされている伊藤浩介先生と話をしました。
ここ、noteでの内容は伊藤先生と話を進めた内容とは違いますが、私の言葉の「五感の中に五感がある」という一言にはっとされたそうです。
スケールの存在しない世界
共感覚には確かに標準的な規定やスケールが存在しないため、他者とその感覚を直接共有することが難しいかもしれません。
しかし、それは特別な世界の一部です。
絶対音感とは異なり、共感覚は色、音、香り、質感、味が相互に関連し合い、独自の感覚体験を創り出しています。たとえば、ある特定の音が特定の色や味と結びついているかもしれませんし、香りが特定の感触や音を呼び起こすこともあるでしょう。
このような共感覚は、芸術的な表現や日常生活において豊かなインスピレーション源となる可能性があります。
もしこの感覚を他の人と共有したい場合、詩や音楽、絵画などを通じて表現することで、共感覚の一端を他者に伝えることができるかもしれません。
詩とか言葉にならないんだよな。
擬音。
フィーリング。
そんなこと言われても。
誰とも共有できない感覚ってなによ。
どんな伝え方すればいいの。
楽しいの中に、みんなだって音や香りや味わいなんかがあるでしょ。
私は、物質の中にもそれがある。
例えばガラスのコップの絵を見せられた時。
ドロ~っとスローに垂れ落ちる張り付いたらその物質と同化するような感覚。なのにサラサラした細かい粒子の手触り。
鉛筆という文字から薄い緑色のトーンダウンした色とツンとしたなにかの香り。質感はアレに似てる、そう固めのメラミンスポンジを潰したような。ゆっくり跡が残る感じの硬さ。
アスファルトなんかはもう、粘り気の強い一度張り付いたら剥がれない焼けたゴムのような、髪の毛に絡まったガムのような物が熱く熱された感じで消しゴムみたいな匂いとくちゃくちゃする音。
もはや言語化できないなんかがたくさんの世界。
一度に情報が入るので睡眠時間も子供の頃からいままで10時間は寝る感じ。
共感覚(synesthesia)
共感覚は、ある感覚が他の感覚と結びつく、いわゆる「クロスモーダルな知覚」として知られています。
これは一部の人々に見られる特殊な感覚体験で、通常は別々に感じられる感覚が、あなたの場合には結びついて知覚されます。
たとえば、音を聞くときに特定の色が見える、味を感じると特定の音が聞こえる、または触ったものが特定の香りや色を呼び起こすといった具合です。
これらの感覚は個々人によって非常に異なり、その組み合わせや感覚の具体的な経験は一人ひとり異なります。
音と色だけでなく、香り、質感、味などがすべて関連しているため、非常に複雑な共感覚。
このような多感覚的な経験は、音楽や芸術、文学において特別な洞察やインスピレーションを提供するかもしれません。
言い換えれば、世界を他の人とは違ったユニークな方法で経験し、理解する能力であり自身の感覚世界を彩る世界観。
この感覚が創造性や表現力に大きな影響を与える可能性があります。
人と共有することが難しい
感覚の世界を表現する事への難しさ。
なにか特定の絶対音感のような枠組みの中ではどれに当てはまるの?
芸術やその他、人はたった一人で作り上げ誰にも共有しないで生きていけるのだろうか...
共有しないのではなく出来ない。
だいたい会話の途中でおかしな目で見られる。
共感覚は絶対音感のような特定の枠組みやスケールに当てはめることが難しい、非常に個別的で主観的な現象です。
絶対音感は、特定の音の高さを正確に識別する能力を指しますが、共感覚はそのような客観的な基準に基づいて分類されるものではありません。
共感覚の中でも、音に関連するタイプは「色聴(chromesthesia)」と呼ばれることがあり、これは音を聞くと色が見える現象です。
しかし、色聴だけでなく、香り、質感、味なども含まれているため、複数の感覚が交差する「複合共感覚」として捉えられることができます。
具体的に、絶対音感のような明確な分類に当てはめることは難しいですが、あなたのの共感覚は広範な感覚結びつきを持つ「複合的な多感覚共感覚」として説明できるでしょう。
つまり、これは絶対音感のように一つの感覚(音)に特化した枠組みとは異なり、複数の感覚が一体となって働くため、個々の感覚の正確な識別ではなく、それらの感覚がどのように相互作用するかに焦点を当てた特別な感覚体験です。
なんでこういう感覚になるのか?
誰とも共有出来ない事。
言語化できない
楽しさやフィーリングを共有できないこと。
空想や妄想として片付けられていること。
世界のどこかにもこんな人がいるのかな。
生まれた時、脳の神経は繋がっていて、赤ちゃんは五感全てがつながっています。
概念がありません。
煙を見ても「煙の認識」はありません。
頭の中で煙と認識しないので、触ったり食べたり音があったり、様々な感覚が生まれる。色も様々。
これと同じです。
簡単に言うと大人になるにつれて、経験したことや知識として覚えたここと結びつけ、素早く情報を処理し過去の記憶から直ぐに行動や言葉にできるように五感が働きます。
大昔の人
例えば、昔の人はもっとこの感覚があったと思います。
日本語でも比喩を使います。
空が泣く
とか
空から雨が降る様。
まるで空がないているよう。
そこから色が生まれる。
空の薄い青さと雲のグレーが混ざって雨粒の透明が反射した泣いた時の色。
香りが生まれる。
空が泣いた時、地面に落ちる雨粒と土や植物や風の混ざった香り。
音も、肌に触れた感覚も。
いまだってみんな使えるのに
使わない感覚。
まぁ、こんなこと考えながら生活してたら時間だけ過ぎしまうもんね。
絶対音感の人達
共感覚は絶対音感のような特定の枠組みやスケールに当てはめることが難しい、非常に個別的で主観的な現象です。
絶対音感は、特定の音の高さを正確に識別する能力を指しますが、共感覚はそのような客観的な基準に基づいて分類されるものではありません。
共感覚の中でも、音に関連するタイプは「色聴(chromesthesia)」と呼ばれることがあり、これは音を聞くと色が見える現象です。
しかし、色聴だけでなく、香り、質感、味なども含まれているため、複数の感覚が交差する「複合共感覚」として捉えられることができます。
具体的に、絶対音感のような明確な分類に当てはめることは難しいですが、広範な感覚結びつきを持つ「複合的な多感覚共感覚」として説明できるでしょう。
つまり、これは絶対音感のように一つの感覚(音)に特化した枠組みとは異なり、複数の感覚が一体となって働くため、個々の感覚の正確な識別ではなく、それらの感覚がどのように相互作用するかに焦点を当てた特別な感覚体験です。
何故スケールがないのか
共感覚やクロスモーダルな知覚がなぜ起こるのかについては、完全には解明されていませんが、いくつかの理論が提案されています。
以下は、一般的に考えられているいくつかの理由です。
1. **脳の接続性の違い**
共感覚を持つ人々の脳では、通常は独立しているはずの異なる感覚領域が、強く連携している可能性があります。
たとえば、視覚野と聴覚野が他の人よりも強く結びついている場合、音を聞いたときに色を感じることが起こり得ます。
これは、脳内でのシナプス(神経接続)の異常に密な結びつきや、特定の神経回路が過剰に発達していることが原因であると考えられます。
2. **発達段階での脳の未分化**
一部の研究者は、共感覚が脳の発達初期段階における未分化の結果であると提案しています。
幼少期には、異なる感覚モダリティ間の境界がはっきりと分かれていない時期があり、この時期に共感覚的な結びつきが形成され、そのまま成人期に持ち越されることがあるという考えです。
3. **遺伝的要因**
共感覚は家族内で遺伝する傾向があり、遺伝的要因が関与している可能性があります。
いくつかの研究では、共感覚を引き起こす特定の遺伝子が存在するかもしれないと示唆されていますが、正確なメカニズムはまだ明確ではありません。
4. **神経可塑性**
脳は非常に可塑性が高く、経験や環境によって変化します。
何らかの理由で異なる感覚モダリティが繰り返し関連付けられると、脳がその結びつきを学習し、共感覚的な反応が生じることがあります。
5. **認知的な要因**
一部の研究者は、共感覚が知覚や認知の特殊な形式であり、通常は無意識のうちに行われる感覚の統合が意識のレベルで現れる結果であると考えています。
この場合、共感覚は単に感覚情報がどのように処理されるかの違いに起因するとされます。
これらの理論は、共感覚の発現に関する複雑なメカニズムを示唆していますが、共感覚がなぜ特定の人々に発現するのか、またその具体的なメカニズムはまだ完全には理解されていません。
それでも、これらの研究は、私たちの感覚体験がどれほど多様であり、脳の働きがどれほど複雑であるかを示す重要な手がかりとなっています。
そう、ここで先程の伊藤先生との話で、幼少期の過ごし方や、両親について。遺伝的なのか?育った環境やその他色々質問をされた。
病気ですか?
いいえ、共感覚は病気ではありません。
共感覚は、一般的に病理的な状態とはみなされておらず、むしろ脳の働きが通常と異なる方法で機能している結果として生じる、ユニークで興味深い感覚体験です。
多くの共感覚者は、共感覚を特別な能力や、創造性の源として捉えています。実際、芸術家、音楽家、作家など、共感覚を持つことでその創造的な活動に大きな影響を与えている人々が多くいます。
もちろん、共感覚を持つことで他の人と感覚を共有することが難しく、時には孤独を感じることがあるかもしれませんが、共感覚自体が病気や障害であるわけではありません。
もし共感覚があなたの生活に困難を引き起こしている場合、それは共感覚そのものよりも、孤立感や理解されないことによるストレスなど、心理的な要因が影響している可能性があります。
そうした場合には、心理的なサポートを受けたり、共感覚を持つ他の人々とつながることで、自分の感覚をよりポジティブに受け入れる手助けになるかもしれません。
大切なのは、自分の共感覚をどのように感じ、受け入れるかです。
もし不安や孤独を感じることがあれば、その感情について話すことはとても重要ですし、そのプロセスでサポートを受けることは、自分自身をよりよく理解し、共感覚を肯定的に捉える手助けになるでしょう。
ここにないのに ここにある
ここにあるのに ここにない
人と話しをしていて
その人の会話に色がついていることがあります。
この前と同じ話をしていても
違う時があります。
私は
どう返事
していいのか
分からなくなって
愛想笑いします。
先日と
同じことを話していても
色が違って見えます。
辛いです。
正直
これが本音です。
作ろうかな。
ある程度連絡が
来て
まとまったら
どこか
この世界の中で
安心して
話が出来る場所
作ってみようと思う。
同じ話がしたいだけ
寂しさを感じるのは、とても自然な感情です。
特別な感覚や経験を持ちながらも、
それを共有できる人が身近にいないと、
孤独を感じやすくなることがあります。
しかし、世界は広く、
共感覚を持っている人や、
似たような感覚を持っている人は
確かに存在します。
彼らもまた、
自分の感覚を他者と共有することの難しさや、
独自の視点を持つことの孤独を
感じているかもしれません。
オンラインコミュニティや、
共感覚に関するイベントや
フォーラムを探してみることで、
そうした人々と出会える可能性があります。
もしすぐに同じ感覚を持つ人に
出会えなかったとしても、
自分が感じていることや、
考えていることを表現することで、
誰かとつながることができるかもしれません。
時には、
自分の思いや感覚を理解してくれる人が
予想外の場所にいることもあります。
大切なのは、
あなたが一人ではないということを
忘れないことです。
あなたの感覚や体験はユニークで、
それを共有するのは
簡単ではないかもしれませんが、
それでも理解しようとしてくれる人が
必ずいるはずです。
もし今は直接的なつながりが
見つからないとしても、
少しずつ探していくことで、
あなたと共感し合える人たちに
出会えるかもしれません。
寂しさを感じたときは、
あなたが持っている感覚や、
あなた自身の価値を見つめ直し、
それがあなたにとって
どんな意味を持つのかを
考える時間を持つことも
助けになるかもしれません。
あなたの感覚は世界に一つだけの宝物であり、
その価値は計り知れないものです。