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💟新串呂解明2-⛩元伊勢内宮と御在所岳の神風串呂(№375)
🔴⛩元伊勢内宮の新串呂を解明する!
三浦芳聖師が生涯の精魂を込めて解明した神風串呂により、「元伊勢伝承」についての長年にわたる疑問が、下記のように明らかになりました。
🔴元伊勢伝承とは
元伊勢伝承の皇祖神・天照大御神の各地巡行は、元伊勢クシロ構築の旅であり、各地の産土神(地霊)に元伊勢クシロ構築計画への協力を呼び掛ける遊説であった。
元伊勢クシロは神風串呂である。天照大御神が、伊勢にお鎮まりになったのは、神風串呂の超重要起点(基点・根拠地)をここに置くためだった!
上記のように、天照大御神の各地巡行の目的が元伊勢クシロ(神風串呂)の構築であったというなら、三浦芳聖師が解明した⛩元伊勢内宮の神風串呂の他にも串呂があるはずである。
このように考えて、まず元伊勢伝承の最初の駐留地「⛩元伊勢内宮」と「⛩皇大神宮内宮」とを串呂してみたところ、下記の神風串呂を解明することが出来ました。
🔴⛩元伊勢内宮と⛩皇大神宮内宮の神風串呂!
「⛩元伊勢内宮」-「⛩上賀茂神社」-「⛩皇大神宮内宮」-「的矢湾」
今回は、これに続いて、「⛩元伊勢内宮」と八大串呂起点のひとつである、三重県三重郡菰野町の「御在所岳(御在所山)」とを結ぶ新しい串呂を研究し解明しました。
この串呂は、上記の串呂と同様、世に公表するのは初めてですが、「芳聖師の研究ノート」には、記録があったかも知れません。
それは神のみぞ知る世界です。
🔴⛩元伊勢内宮と御在所岳の神風串呂!
🟡御在所岳(御在所山)とは
御在所岳(御在所山)は、何(誰)がございますか?(どなた様のどのような在所ですか?)を鑑定する重要串呂起点です。
三重県三重郡菰野町の御在所岳(御在所山)は、全国各所にある御在所山の中で、標高からも、歴史(地誌・地歴)的にも、霊的にも、地文(三重県三重郡)の上からも位置的にも、串呂哲学上、名実ともに日本最高の御在所山です。
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御在所岳(三重県三重郡菰野町)
標高・・・1,212m(日本一)
地歴・・・天照大御神(御鏡)の御在所(駐屯地)
地文・・・三重県三重郡(三串 -〇-〇-〇- に相当)
位置・・・日本列島の中心地(中部地方)に存在する。
山頂・・・御嶽大権現、長者池 八大龍王
在所とは「住所、居所、物が存在する所、ありか、郷里など」の事で、「その在所を尋ねる」「生まれ在所」などと使用します。
御在所山と御の字が付くのは「その対象は、やんごとなき御方」という事で原則的に「皇統、皇室」に関する串呂地文です。
🔴山岳名(御在所岳)の由来は、元伊勢伝承による天照大御神(御鏡)の御在所(駐屯地)から来ています。(地元・菰野町の伝承)
御在所山の名の由来は「神や仏がいます所」の意で、菰野では、垂仁天皇の皇女倭姫命が天照大神の神霊を奉じて、大和の笠縫の宮から伊勢の五十鈴川のほとりへお遷しするとき、その鎮座地を求めて伊賀、近江、美濃の国々を巡行されて、桑名の野代から亀山へ向かわれる途中、御在所山の上に、仮の屯宮を設けられた故事から、その名がついたと伝えられています。
ここからも天照大御神(御鏡)の各地巡行は、元伊勢クシロ構築の旅だったことが分かります。
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【参照】御在所岳の詳細は下記をご覧ください。
🟡世界初!⛩元伊勢内宮の御在所を解明しました!
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元伊勢伝承の最初の駐留地である京都府福知山市大江町の「⛩元伊勢内宮皇大神社」と、途中の元伊勢駐留地である三重県三重郡菰野町の「〽御在所岳」とを結んで東西に延長して見ました。
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すると西北から、兵庫県美方郡新温泉町の「但馬御火浦」、京都府舞鶴市桑飼上小字大呂の「⛩大呂神社」、滋賀県東近江市平田町の「⛩大宮神社」、愛知県西尾市一色町の「開正」、同市吉良町の「饗庭」、豊橋市植田町「的場」など、的確なる地文が多数串呂していました。
🟢北西方面から
「但馬御火浦」-「⛩元伊勢内宮」-「⛩大呂神社」-「〽御在所岳」-「⛩大宮神社」-「開正」-「吉良町饗庭」-「的場」
🟡但馬御火浦
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御火浦という地名は、漁火に由来するとされていますが、不思議な事に皇室を表わす「御」という文字が付いています。
但馬御火浦は、兵庫県美方郡香美町と新温泉町にある、香住海岸西端の伊笹岬から浜坂海岸東端の観音山の間の約8キロメートルの岩礁海岸。御火浦という地名は、漁火に由来するとされる。
🔴元伊勢伝承の最初の駐留地において、天照大御神が元伊勢クシロ構築の烽火(聖火)を掲げたと解釈致します。
元伊勢内宮皇大神社で、霊的烽火(聖火)を掲げて、元伊勢クシロを構築し、扶余王依羅(ミマキイリヒコ=崇神)によって滅ぼされ、背乗りされた「豊葦原の瑞穂の国」を復興する決断をされたことを表わす地文と解釈致します。
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🟡⛩元伊勢内宮皇大神社
前々号「新発見-⛩元伊勢内宮と⛩皇大神宮内宮の神風串呂!」(№373)で詳述しましたので、そちらを参照下さい。
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🟡大呂神社
京都府舞鶴市桑飼上831にある小さな神社です。
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「大呂」とは、皇室に関する重大な串呂という意味です。
「大、御、公、高、日、天、神、などがつく地名は皇室関係の地文である場合が多い」というのが神風串呂の鉄則です。
「⛩元伊勢内宮皇大神社」-「⛩大呂神社」-「〽御在所岳」
この「⛩大呂神社」は、大変小さな神社ですが、この串呂上に寸分違わず、ピシンと串呂しています。
🔴串呂は実に驚異的です。
🟡「市」四串の超特級 至高絶対確証の神風串呂
市は、ここでは「大市毘女尊」(天照大御神)を昭示する文字(串呂地文)です。
この串呂を細部にわたって調べたところ、「市場」二串 -🔴-🔴- の確定立証の神風串呂で、この「市場」二串のほかに、滋賀県東近江市「市辺町」、同市「市原野町」と「市」が四個串呂しています。
「市」四串 -🔴-🔴-🔴-🔴-の超特級 至高絶対確証の神風串呂です!
滋賀県東近江市「市辺町」
滋賀県東近江市「市原野町」
愛知県常滑市「市場町」
愛知県西尾市一色町池田「市場」
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この「市」は、天照大御神の皇女時代の御尊名「大市毘女尊」を昭示する文字です。(「神皇紀」)
大市毘女尊の「大」は、あとから付け加えた尊称でしょうから、天照大御神の皇女時代のお名前は「市毘女」であったと思われます。
従って、市場、市辺、市原野は、大市毘女尊(天照大御神)の居られた場所を表わします。
🔴串呂は実に的確ですね!驚異的です!
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🟡饗庭(愛知県西尾市吉良町)
「饗庭」は、「神の鎮座地」を意味する地名です。
「⛩元伊勢内宮」の御在所を昭示する実に的確な地文に驚いています。
饗庭
神を招きもてなす聖地に由来している。※”アエバ”→神に捧げ物を奉る場所を示し、饗庭の”ば”→古代は祭を行う広場を意味し、中世以降は宮を建てて神の鎮座地を意味するようになった。
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🟡まとめ
北西方面から主な地名を連記しました。細部は下記をご覧ください。
「但馬御火浦」-「豊岡市宮井」-「⛩元伊勢内宮皇大神社」-「⛩大呂神社」-「卍光明寺」-「卍長光寺」-「⛩大宮神社」-「市辺町」-「市原野町」-「〽御在所岳」-「陽光台中央公園」-「日永」-「新開町」-「市場町」-「開正」-「市場」-「吉良町饗庭」-「的場」
⛩元伊勢内宮皇大神社は、笠縫の里を出奔された天照大御神(大市毘女)の御在しました「大宮地・饗庭」であり、神皇正統家を明らかにするために元伊勢クシロ構築を決意して御火(聖火)を掲げ豊葦原の瑞穂国の再興を始めた神社である。
🟡細部の串呂地文
兵庫県
美方郡新温泉町但馬御火浦
新温泉赤崎「⛩八柱神社」-🟡-🟡-
新温泉町和田「⛩八柱神社」-🟡-🟡-
美方郡香美町香住区土生
豊岡市宮井
京都府
与佐郡与謝野町与謝
⛩元伊勢内宮皇大神社(福知山市大江町)
福知山市大江町高津江
⛩大呂神社(舞鶴市桑飼上)
綾部市八代町「⛩八代神社」
綾部市内久井町
綾部市睦合町
船井郡京丹波町
南丹市美山町高野
京都市左京区花背
滋賀県
大津市八屋戸「卍光明寺」
近江八幡市若葉町
近江八幡市長光寺町「卍長光寺」
東近江市平田町「⛩大宮神社」
東近江市「市辺町」
東近江市「市原野町」
東近江市「高木町」
三重県
御在所岳(三重県三重郡)
三重県三重郡菰野町「きらら湖」
三重県四日市市浮橋「陽光台中央公園」
三重県四日市市「日永」
愛知県
常滑市新開町
常滑市「市場町」 市場二串 -🔴-🔴-
知多郡武豊町山ノ神
西尾市一色町一色
西尾市一色町開正
西尾市一色町池田「市場」 市場二串 -🔴-🔴-
西尾市吉良町饗庭
豊橋市植田町的場
💌新しい研究成果の発表(2023年11月13日)
この「⛩元伊勢内宮と御在所岳の神風串呂」の解明により判明した新しい研究成果をお知らせします。
(1)芳聖師は「由良は三浦芳聖の代名詞である」と考察しています。
🟣山崎町御名-⛩元伊勢内宮-宮津市由良-春江町正善
🟣養父市由良-鏡-御在所山-在りし日の三浦芳聖家
🟣八頭町三浦-山崎町御名-⛩伊弉諾神宮-洲本市由良
🟣山口市由良-天皇原-天王-八頭町三浦-和田野
【参照】「由良」の神風串呂
(2)諺文学(音韻による転化法)により、下記が成り立ちます。
🔴吉良=よしなが=由良
🔴吉=由=良
(3)以上の説明と下記の串呂とを合わせて考察しますと
🟣⛩元伊勢内宮-〽御在所岳-愛知県西尾市吉良町
⛩元伊勢内宮に御在しますのは「吉良」である。
天照大御神=吉良=由良=三浦芳聖
天照大御神とスメラミコトは一体であるという原理です。
🟣田原市蔵王山-大宝天皇蒙塵の地・牧平大門-吉良見-三浦山
⭕「よしなが(由良=吉良)」とは、天照大御神の嫡皇孫である「神皇正統三浦皇統家(代表者・三浦芳聖)」の代名詞であると言えるのです。
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🔴バックナンバー(総合)
🟡情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
🟡前号(№374)
筆禅道と三浦芳聖
🟢次号(№376)
神皇紀の記録を立証!
新串呂解明3-⛩元伊勢内宮と〽御正体山の神風串呂
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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