坂井市正善と宍粟市御名との神風串呂(№43)
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神・天照大御神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
三浦芳聖師が生涯の精魂を込めて解明した串呂によって、元伊勢クシロとは、皇統正史を我が国の国土に埋め込んだ地文学「神風串呂」であることが判明したのです。
地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「坂井市正善と宍粟市御名との神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになります。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠の戦国時代(120年以上)に、無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、三浦芳聖の符号・正善と御名との神風串呂
御名御璽という言葉があります。ご存じの事と思いますが、「天皇の名前と印章」のことです。串呂哲学では、名前を鑑定する串呂起点の筆頭は「御名」です。日本国内には2ケ所の「御名」が有りますが、その代表的な地名は、兵庫県宍粟市山崎町の「御名」です。
福井県坂井市春江町「正善」が、三浦芳聖を表わす串呂哲学上の符号であることを更に確定するために、名前を鑑定する串呂起点「御名」と「正善」との串呂をご紹介します。
巻末に1959年の「伊勢湾台風」の原因について述べました。ぜひ最後までお読み下さるようお願いします。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、坂井市正善と宍粟市御名との神風串呂
三浦芳聖は、彼の串呂上の符号である「正善」(坂井市春江町)と、名前を鑑定する串呂起点である「御名」(宍粟市山崎町)を串線すると、次のような神風串呂になると述べています。
「御名」(宍粟市)-「元伊勢内宮皇大神社」(福知山市)-「由良」(宮津市)-「正善」(坂井市)
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』65頁、現住所に改めた。)
【地文のみ掲載】
「御名」-「元伊勢内宮皇大神社」-「由良」-「正善」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)御名(ごみょう、兵庫県宍粟市山崎町)
御名御璽(ぎょめいぎょじ)の御名ですから、「御名=天皇の名(大辞泉)」という意味です。串呂では、天皇をはじめ串呂至点(鑑定対象)の名前を鑑定する串呂起点です。下記の串呂を参照ください。
【参照】後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
御名-湊川神社-後醍醐天皇塔尾陵-三浦
上記の神風串呂は後醍醐天皇の嫡皇孫が「三浦」と称していることを昭示しています。
【参照】御名(兵庫県宍粟市山崎町)
(2)元伊勢内宮皇大神社(京都府福知山市大江町内宮)
元伊勢内宮皇大神社(もといせないくうこうたいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町内宮にある神社。旧社格は府社。元伊勢伝承地(吉佐宮)のひとつ。この串呂の守護神です。
天照大御神の各地巡行は、縦横無尽にリンクする神風串呂を構築する為だったという「神風串呂史観」では、伊勢の「皇大神宮内宮」と同じく重要串呂起点であり、重要地文です。
【参照】元伊勢内宮皇大神社と金崎神宮との神風串呂
金崎神宮-大君-元伊勢内宮皇大神社-三浦-天王-上村上
(3)由良(ゆら、京都府宮津市)
由良は、「よしなが」と読み、三浦芳聖を表わす串呂上の符号です。
後醍醐天皇の皇子の名前には「良」が付いていて「よし・なが」の両方に読める。
また、大宝天皇の諱が、美良(よしなが)ゆえ、「よしなが」は、後醍醐天皇の嫡孫家を表わすのではないかと思います。
(4)正善(しょうぜん、福井県坂井市春江町)
正善は、「まさよし」と読めるので、三浦芳聖(みうらよしまさ)の串呂上の符号とされています。正善=善正=芳聖という論理です。
三浦芳聖(みうらよしまさ)の串呂上の符号には、「善正町」(ぜんしょう町、大阪府和泉市)と「正善」(福井県坂井市春江町)があります。善正は「よしまさ」と読めるし、正善はその上下転換語で「まさよし」と読めるからです。
【参照】正善(坂井市)と善正町(和泉市)
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「御名」-「元伊勢内宮皇大神社」-「由良」-「正善」
串呂哲学上、大変重要な地文である「正善」と「由良」が、ともに三浦芳聖の符号であることを的確に昭示している神風串呂です。
由良は後醍醐天皇の嫡孫家を表わします。
串呂は、串呂主宰神・皇大神宮内宮の天照大御神様が設計された青写真に基づき、極秘裏に長年月掛けて構築された、地文による日本民族への啓示(メッセージ)であることを、一人でも多くの方が、気付いて頂きたいと念願しています。
戦後、伊勢神宮の神様がいかなる「お力の持ち主」であるかを垣間見せられた事件がありました。昭和34年(1959)9月26日に発生した「伊勢湾台風」です。
三浦芳聖が、東京都千代田区の皇居の位置が国家の象徴たる天皇の住居として相応しくないとして、皇居遷都を提唱し、昭和30年(1955)1月から昭和34年(1959)6月まで、文書により政府当局者や国会議員等に呼びかけ、皇居遷都提唱運動を実施していた時のことです。
【参照】『ウィキペディア』皇居遷都提唱運動(2009年2月16日 版)
某政治家が金を出し、昭和34年9月、某愛国団体が、その機関紙「新聞」を使って、他の愛国団体に呼び掛けて、連名にて、三浦芳聖を「不逞凶悪の徒」として糾弾したことがありました。
最初に「新聞」が発行された日は、東海道線が不通になってしまったので、三浦芳聖が公安調査局や警察本部長に「こういう事を再びやったならば、それこそ大きな天変事変が起こるぞ!」と警告したにもかかわらず、二回目の糾弾が行われたのです。
昭和34(1959)年9月26日は、その「新聞」の二度目の発行日で、
と、伊勢神宮の神様がお怒りになったので、犠牲者5,098人(死者4,697人、行方不明者401人)負傷者38,921人という、台風災害としては最多の犠牲者が出たのでした。
伊勢神宮の神様がお怒りになって発生した台風であることは「伊勢湾台風」という名前が証明しています。
伊勢神宮の神様がその気になれば、鎌倉時代に、神風(台風)によって元寇(文永の役、弘安の役)を退けたように、国難から逃れることができます。伊勢神宮の神様の御神意に添い奉ることが、日本民族喫緊の課題です。
💟皆様方の御支援に感謝しています!
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🟡情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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