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Quaijiu Vol.1 案内

 文学はしかし社会の奴隷として、虐げられたものを虐げ、搾取されたものを搾取し、殺されゆくものの背を崖に向かって押すことができる。

 文学はしかしまつろわぬ民のアジールとして、体制の破壊者として、楽園からの途絶えがちな音信として、在ることもできる。
 斃れゆく怪獣たちに花を。歩きつづける怪獣たちに乾杯を。

怪獣歌会宣言 川野芽生

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 怪獣歌会のネットプリント Quaijiu Vol.1は、2017年1月に公開され、160枚ほど印刷されました。

 今回は1ヶ月ほどかけて、当時公開した内容に修正と増補を加えたものをnoteとkindleに再掲します。
 初出は2年ほど前のことですが、怪獣たちが当時から抱いていた問題意識は、2019年現在、ますます重要なものとなっています。なってしまっている。それは残念なことではあるけれど、世界がマシになりつつある証拠とも言えるかもしれない。やっていくしかもうないんだ。(鳥居)

※Kindle版の内容はnoteで無料で読めるものと同一です。

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製作者のことば

「世界がつらいつらいって言いながら、つらいって言っていいことが楽しくて笑い転げてしまうような歌会をしました」
「世の中が息苦しいと思っている人、あなたたちのために作りました」

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公開予定スケジュール

▶ 2月24日− 短歌7首連作

見上げると星は針穴 外側はきっとなんにもなくてまぶしい 「酸化街」鳥居萌
忘れられてきた傘たちが好き好きに開き沈んでいった谷間  「喩(ゆ)ではない」 山城周
なべての詩を遁れあなたを庇ひたきをヘレネ、われさへもパリスの臣か 「ヘレネ、手をつないでいて。」 川野芽生
セーターにあやしき柄のありにけり  斉藤志歩

短歌7首連作 酸化街(鳥居萌)

短歌7首連作 喩〈ゆ〉ではない(山城周)

短歌7首連作 ヘレネ、手をつないでいて。 (川野芽生)

俳句連作 雪 (斉藤志歩)

▶ 3月3日 - 歌会録1

【歌会録】魂はちいさき鳥の形して雌雄をわける鑑別師の魂

【歌会録】強ひられて嫁したるごとし 女〈をみな〉としてこの世へいたる閾〈しきみ〉越えにし

【歌会録】20人のレスビアン来て従順になるなと次々りんごをくれる

山城 そう、これ結構「女歌」意識して読めますよね。
斉藤 それだとやっぱり、「女が」苦しんでるんだなって思うと思うんですよ。〈女〉であることは自明のこととして見てる。でも私は、この歌を見たとき、〈女〉であることもできたし〈女〉でないこともできた魂が苦しんでると思うので、その差はすごい大きいと思うんですよね。

話されていること
性別の恣意性、女「である」ことと女「に生まれる」こと、フェミニズムとレスビアン、神が「彼」と呼ばれてしまうかなしみ

▶ 3月10日 -  歌会録2 題「生」

斉藤 神なんじゃないですか。
川野 神なんですか?
斉藤 何かしら第三者的な。だって人だったら人かよって感じじゃないですか。
川野 神だったらお前何とかしろよって思いません?
斉藤 神は何とかしてくれないんですよ!

話されていること
一度きりの生、いくつもの生、動物の搾取と殺害、メディア、自己と世界の純粋性

▶ 3月17日 - 増補 宗教とジェンダー

序文
男性原理としての神または神としての男性原理
ニーチェの話
「宗教」vs「フェミニズム」では、ない。 

編集後記

 Quaijiu vol.1に寄せられた感想のなかに、「(特に歌会録Ⅰは)フェミニズムをテーマにしているのだろうか」「思想が先行しているように思える」という声があった。
 ネットプリントでは、「テーマ」や「コンセプト」はあえて掲げないことにした。ひとつのパフォーマンスとしてそうした。「ふつう」と対置される、「特殊」な領域にみずからを囲い込みたくなかったので。「ふつう」のふりをするためにではなく、「ふつう」を壊していくために。
 ただ、それだけでは何に盛り上がっているのか分からなくて疎外感を覚える、という方もおられるだろうと思うので、ここで説明しておきたい。

 歌会録Ⅰの詠草は題もテーマもなし、と決めたとき、ひとつだけ、「他の場に出してもふさわしい読み方をしてもらえないであろう歌を互いに読み解きあって見せたい」という提案が出た。他の参加者がそのことを覚えていて詠草を出したかどうか、それは知らないが。
 「フェミニズム的に読める/詠んだ歌」を出すことに決めたのではなくて、わたしたちは、セクシズムから解放された場で歌会がしたかった。
 セクシズムの蔓延する社会の縮図としての歌会、に出したら、ジェンダー規範によって歪められた形でしか読んでもらえないかもしれない歌、下手したらセクシュアルハラスメントを受けるかもしれない歌を、安心して歌会に出したかった。

 「君」という言葉が出て来たらそれは〈恋愛〉の相手であり〈異性〉である、と読むのは、思想が先行していると思う。
 人間が出て来たら〈男〉か〈女〉のどちらかだ、と読むのは、思想が先行していると思う。
 〈女/男らしさ/らしくなさ〉を歌に見出すのは、思想が先行していると思う。
 この社会に生きるわたしたちは、言葉を学んだとき、その言葉に内包された思想をも同時に受け取ってしまった。その思想は、たとえば異性愛主義や男女二元論やセクシズムやミソジニーは、あまりに普遍的に共有されているので、思想とは普段見なされていない。しかしわたしたちはつねにその色眼鏡をかけているのだ。わたしも。
 だからわたしたちは、色眼鏡を外して歌会をしたい。色眼鏡で見られずに歌会をしたい。それがわたしたちの思想で、それがフェミニズムということだと思う。

 わたしたちの読みが、また詠みが、「ふつう」に共有されるものではないことは充分承知している。わたしたちを縛る「ふつう」の規範を壊したいのだから。
 わたしたちはまだどこにもないものを作るために動くのだ。いまここにあって、ないものとされているものたちのために。

川野芽生

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