毒にも、薬にもなる言葉
ある時、知り合いに対して「がんばれ」と励ましたら
「頑張っている人に”がんばれ”と言っちゃいけない」
と注意された。
正直、私は鈍感な人間なので、
知り合いの落ち込みに気づかなったことに申し訳なく思った。
精神的に落ち込んでいる人に、言うべきではない言葉。
これについては、目にも、耳にもしたことがあり
知識としてはあったものの、つい使いがちな言葉であった。
しかし、理由を聞いたところ
知り合いの意味合いはちょっと異なっていた。
「がんばれという言葉は、サボっている人に対していう言葉だ。
私はサボらず頑張っているから、言われると嫌な気分になる」
ということだった。
知り合いの「がんばれ」は「サボっていると非難している言葉」
という考え方は、私には予想できなかった考え方だった。
そもそも私は「がんばれ」と言われると、
「応援してくれている」
と受け取る人間である(だから、よく使いがちでもある)
たとえ、落ち込んでいたとしても、
もっと言ってくれ! 私を励ましてくれ!
と、アンコールをお願いするだろう。
ただ、これは私の考え方であるから、相手に強制するつもりはない。
相手がイヤなら、相手に対して使わない言葉と理解し、使わない。
という、ただそれだけ。
しかし、この対応も、あまり良いとは言えず、
知り合いは不満そうだった。
自分が求めている言葉や共感して欲しいのかもしれない。
往々に「相手の気持ちを察する」という文化はままあるが
喜怒哀楽の感情以外の「考え方」や「欲しい言葉」まで察してほしいは
なかなかの難題であるとも思う。
言葉を求めているなら「こう言って欲しい」と言葉にしてほしい。
考え方が違う人間に、共感を求めるのではなく、
理解してもらえるように言葉にしてほしい。
追い込まれている人間からすれば
「言葉にすることこそ難しい」という話である部分もあるとは理解する。
ただ「1言えば、10伝わる」は、
相手に求めすぎなように、私は思う。
(伝わる人間はゼロではないが、決して多くはない)
その考えは、理解はするし、否定もしないが、共感はできない。
共感しない=否定と、受け取られてしまっても困る。
「がんばれ」は、私にとって、薬にはなるが
「がんばれ」は、誰かにとって、毒になる。
私も言葉や説明が上手い人間ではないので、
伝わらないもどかしさも、悲しみも、苦しみも味わったことがある。
何気ない発言で相手を傷つけたこともあっただろう。
本当に、相手に気持ちを伝えるための言葉はむずかしいと、つくづく思った。
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