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ゲシュタルト崩壊

今日も調べ物をしていて、

気づいたことがあったのです☺️

過去記事、「薄々気づいていたこと」の中で

私は親からの一方的な期待に苦しんだ過去
がある。そして、それは何ひとつ叶わなかった。


と、書いています。

一瞬、これって

鬼畜生を全うしたってこと?」と、

思いました。

鬼畜生とは?

「できないことをできなくて良い」
「無理なものは無理で良い」
「しなくないことはしない」
「やりたいことだけをする」
「敢えて見捨てる」
「わがままに振舞う」
「ダメなものはダメだと言う」

そうやって“意識的に”鬼畜生になるんですね。

「いい子の仮面」
根本裕幸オフィシャルブログ


ところが、

私には期待に添えなかった痛みがあるのです。

それは、

相手が望むことをしなければ、というより、してあげたい、と思ってしまう。
 でも、義務感もあって必ずしも快い場合でないことも多い。
 だから、相手の望みをかなえてあげられないことがすごく悪いことのように思い、自分を責めてしまう。

こうした思いの背景には「いい子」や「優等生」と言う側面もありますし、「無価値感」「完璧主義」「罪悪感」と言うような痛みも隠れています。

相手の望みをかなえてあげなければ受け入れてもらえない、とか、そうすることでしか自分の価値や存在意義を見いだせない、とか、何もない自分は相手の望みに応えることくらいしかできない、とか。

同上

そして、

いい子でいたいという思いから、相手の望むようにすることが自分の喜びであると誤解し、犠牲し、断ることに罪悪感すら覚えるようになってしまいます。

同上

その痛みがまだ癒やされていないという事です。

そして、あろうことか最近の父との関わりで

更に傷口に塩を塗ったのでした。

「鬼畜生
👹」を貫けばよかった💦

この夏はもう帰省する気がしなくて、

兄に任せっきりです。

これ、自分の子どもたちに対しても

結構やっていたんですよ。

夫に対しても。

少しずつ手放してはいますが。

でも、それは頑張って無理して犠牲したものですから、逆に言えば、認められなければ相手に恨みを持つことも出てくるのです。(もちろん、いい子の自分はそんな姿は見せませんけれど)
そして、犠牲ですから、疲れてしまいます。
本意ではありませんから、やがて化けの皮が剥がれます。
そして、燃え尽きたり、行き詰ったり、やる気がなくなったり、自分が何がしたいのかが分からなくなったりするのです。

同上


今、やる気がないのはこういう事なんですね。

親への恨みの感情も自覚しています😞

やるせなさも。

※ 最後までお読みいただきありがとうございます🍀

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