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自分に優しく

自分が嫌っている部分に注目して
自分を変えようとすると
どんどん苦しくなる。

自己嫌悪が強くなるからだ。

今、私は自分が他人軸で
自己受容できていないことを
嫌っている。

「こんな自分はダメだ。」と。

自己受容は自分ではどうにもならないことも含めてすべてを認めることです。

人は表面に現われるものは良い部分もそうでない部分も自分で意識してわかるものです。

それとは別に自分でもうっすらと何かを感じているのだけれど表面に出てこないようにしまい込んでいる場合があります。

誰にも触れられたくないし自分でも触れたくないもの。過去の出来事です。思い出したくないこと。

嫌な出来事だったわけです。

できることなら消してなかったことにすらしたい。そんなもの。

自己受容にはそんなものすら受け入れなければならないのです。消えないんですね。消せないんです。

からだもこころも晴れのち晴れ
2023年9月7日 
パセリ

「過去と他人は変えられないけど、
自分と未来は変えられる。」

というけれど、
どうしたらよいものか?

自分を受け入れられないことに加えて
完璧主義まで発動している。

しんどくて、しんどくて、
涙が出るほどしんどかったので、調べた!

「自分が嫌っている部分を変えたかったら
変わらなくていい」???

という記事に行き当たった。

逆説的だ。

今度は「逆説的」をキーワードに調べると、

「パラドクス介入」というものを見つけた💡

基本的には「問題といわれる行動をもっとするように」あるいは「問題を解決してはいけない」と指示するわけです。この指示により、指示通りに問題が存続すれば「経過が順調に進んでいる」ことになり、提案に反して問題が見られなければ「結果的に、問題がなくなったことは良いこと」と、意味づけることができるのです。つまり、「問題が継続してもよい」という奨励と「問題が解消してもよい」という、相反する2つの命令があり、どちらでも奨励される状況になります。「××してはならない」「××しなくてはならない」という、相反する2つの禁止令で身動きが取れなくなる二重拘束のように、どちらに転んでも同じ結果になることは共通していますね。二重拘束の場合はどちらを選んでも否定されてしまいますが、パラドックス介入の場合はどちらに転んでも肯定されることになります。つまり、パラドックス介入とは、ダブルバインドの強力な力を治療に生かしているのです(これを「治療的ダブルバインド」と呼びます)。

   問題が深刻化している場合、その多くは“コントロールできないこと”が問題になっています。「部屋から出てきてほしいのに出てこない(引きこもり)」「落ち着いて過ごしたいのに落ち着かない(パニック)」「眠りたいのに眠れない(不眠)」「仲良くしてほしいのにいつももめる(人間関係)」など、好ましいと考えられる状況とは正反対のような状況に陥っていることが問題の問題たるところです。

   そこで、「いったん問題をもっと出しましょう」というのがパラドックス介入です。つまり、問題と扱われている事象に対して普段は「無くそう」「止めよう」という働きかけによる悪循環を断ち切るため、「もっと増やそう」と働き掛けてコントロールしようという介入です。

   もちろん、問題を悪化させて喜ぶことが目的ではありません。パラドックス介入を行うことで、ダブルバインド状態を作ることが目的です。つまり、

パラドックス介入の通り問題を増やすことに成功した → 問題をコントロールできる状態になった

パラドックス介入に失敗して問題を増やすことが出来なかった → 問題が減少した

   このように“コントロールできないこと”を、治療的ダブルバインドにより“コントロールできるようになること”が、パラドックス介入です。

治療的ダブルバインドのこつ①
こころのための専門メディア
金子書房


「自分が嫌っている部分を変えたい。」は
「変わらなくてよい。」ことによって
「変わらなければ」順調で、
「変われれば」それはそれで奨励される。

この解釈で合ってるのかな?
行動に関する介入に限るのか?

そうすれば自分責めをする事もなくなって
自分に優しくなれるのかな⁈



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