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月に一度、グループカウンセリング「円(まどか)の会」に通い続けた。私には自分の問題を解決する糸口が欲しいという強い思いがあった。


そうは言っても会では、私を含めどの人もなかなか自分の話しを公にするのに抵抗があって、
「せっかくだからどうぞ〜」
「時間がもったいないですね〜」
なんて促されつつ、ぽつりぽつりと誰かしらが話す感じだった。

私も次第に話しを聞いてどんなことを感じたか話せるようになっていったし、自分のことも話すようになった。

初めの頃に
「そんな風に感じるのはどうしてだと思う?」と聞かれたことがあった。
「相手のせいでそう感じているのか?」
「それともこれまでの人生で培ってきたものからそう感じるようになったのか?」と。

「敢えてそれを聞かれるって事は相手のせいじゃないんだろうな。」と思った。

それからは自分の心の奥へ奥へと分け入っていかなくてはならなくなった。

しんどいなんてもんじゃなかった。自分を責めるクセがあったから上手くいかないのは自分が悪いと自己嫌悪してみたり、荒波を航海する船のように揺さぶられ続けた。次の月、行けなくなることもあった。

そんな中でも、「気づき」は心の栄養になった。
色々とヒントをもらって実行してみた。「行動する事が大切」とも言われていた。そんな時、「いい子」の私はその言葉に素直に反応した。「やってみてどうなるか?」行動に移してみた。

上手くいったりいかなかったり。
上手くいかなくても自分の挑戦を認められたり。
少しずつ、本当に少〜しずつ
「人っていいな!」と思える事が増えていった。

いつからか?わからないけれども
そこでカウンセリングを受けていた頃の私は、自分が巨大な卵🥚のようなモノの中にいて、そ〜っと外を覗きながら生きている感覚がしていた。
「そこから出たい!」とは思っていなくて、ただ「私っていつも小さな穴からそ〜っと外を覗いているな〜」と思っていた。「これってなんだろう?」と心の片隅に持ちながら生活していた。

ある時、先生の病気が判明してお互いにもう時間が無いとわかったから先生は治療を続けながらも
毎月、「円(まどか)の会」を続けてくださった。
私はもう兎に角、問いかけに必死に食いついた。
どこがどうなったのかは覚えてないけれど先生との最後のセッションの時には自分を覆っていた膜がなくなっていて、その事実を先生に伝える事もできた。本当に不思議な体験だった。

が、
その短期間にかなり依存的になってしまい、もう先生なしではどうすればいいのかわからなくなってしまうという副作用がおまけについてきた。
その後何年もの間、毎月命日に墓前で手を合わせる日が続いた。

今でも先生のことは「育ての母」だと思っている。あの時出会えていなければ今の私はいない。

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