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アンダーグラウンド

最近やっと自分について
わかったことがある。

感情が麻痺している⁈

人によっては罪悪感を感じる状況で
あまり感じてないことがわかった。

私はかつて、
アンダーグラウンドにいた。
想い人がいた。
物理的な接触は殆どなかったけれど
心は完全に持っていかれていた。

8年近くそこから抜けることができなかった。
とっくに相手は別の人生を選択していたのに。

夫は気づいていて
「人道にもとる」と
芸能人を引き合いに
食卓でも話題にしたがった。

その頃の私は
同居の義両親との不仲で
親戚中からそっぽを向かれ、
家では
長男が不登校、
次男がADHDで月に一回の通院。
と、次々と難題が降りかかっていた。

過干渉な母から逃げたと思ったのに
同じく過干渉な義両親と義理の祖母との同居。
そんなところでも
行くあてはなかったから
居続けるしかなかった。

夫は全く本を読まない人だ。
子どもたちが大変な時にも
呑気にしていて
全く動く気配がなかった。
私が不登校に関する本を買ってきても
読まなかった。
自分の病気の時は違ったのに。

長男の不登校は
私がお世話になっていた
カウンセラーさんに相談し、
自宅で過ごすことを選択した。

それに納得できない義家族が
長男を学校に行かせようと
躍起になっていた。 

「そっとしていて欲しい」

何度もお願いした。 

ある時、帰宅した私に
長男が教えてくれた。
義理の祖母と2人きりの時に
「一緒に死のう」と言われたと。

驚きとともに怒りで震えた。
その事を伝えても
生活を変えたくない夫は
なかなか動かない。
「息子」で居続けようとしていた。

私の脳裏には「離婚」の二文字が
何度もチラついていた。
踏ん切りがつかなかったのは
私が経済的に自立できるような
状態でなかったからだ。
実家にも帰れない。

なんとか別居に漕ぎ着けたが、
自立を目指すために、
月に1回のグループカウンセリングに
参加しながら働いた。
義家族から離れるために。
物理的に距離があれば
少しは負担が減ると。

何かに縋りたかったんだろう。
心の拠り所が欲しかったんだろう。
彼のことを思っている間は
辛い気持ちを忘れることができた。
そんなになるまで追い詰められていた。
そんなになるまで
「感情を麻痺させて生きていた。」
とも言える。

夫に対して
「罪悪感を感じていなかったのは何故か?」
やっと理解できた。





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