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未来あるメンヘラ

 度々言っていることだけど、小学生や中学生がメンヘラ界隈に入り込んでくるこんな世の中は本当にどうかしてる。

 配信をしているとコメントで相談がくる。話を聞いていくとその人が小学生や中学生というケースが多すぎる。
 精神を病む気持ちは痛いほど分かるけれど、でも、それでも、せめて義務教育中の学生には病んでほしくない。いや、こう言うと語弊がありそうだから補足しておくと、誰しも病まない方がいいしそうであってほしい。大人でも子供でも。

 人それぞれ置かれた状況や環境というものがあるから一概に「こうすればいい」ということはまず言えない。このように答えが存在しないからこそ精神科なりカウンセリングが存在する。
 自分が病みを感じ始めたのは高校二年生のことだった。根っからの文系である自分は数学やら科学が全く理解できずテストでは常に赤点だった。
 休み時間、次の授業は数学。その時ふと思った。「数学なんて嫌だ」これだけ。そしてその日は数学の授業をサボり、保健室で過ごしていた。これがくあちるの初めての適応障害の発症。
 それ以来、自分が少しでも嫌だなとか退屈だなと感じることに対して心がモヤモヤするようになった。

 そもそも自己中心的に生きてきて今でもそうしているから友達がいない。いずれ同窓会とかの誘いが来るのかなとは思っているけれど、たぶん自分は行かない。こんなみっともないと自覚しているままでそんな場に姿を現すことはできない。
 これは自分の認知が狂ってるのだけど、同窓会って要は自慢大会なのではないか。過去の同級生に会ってしみじみするのは当然だとしても、やれ結婚しただの、高級な車を買っただの。まあマイナスな部分は誰しも隠すものとして、だからといって何かとマウントを取ることになる可能性があるというのならば自分は同窓会には絶対に出席しない。

 だいぶ話が逸れてしまったけれど、やっぱり小学生や中学生がメンヘラ界隈にいるのは不健全と言いたい。でも、来てしまったからには仕方がない。先述の通り、状況も環境も人それぞれなのだから。
 そうしてくあちるを発見して、配信にて悩み事を相談しにきてくれたならば自分は力になる。

 しかし、くあちるのYouTubeチャンネル登録者数やTwitterのフォロワーが増えるということは、メンヘラがそれだけ増えていると自分は考えている。まあシンプルに雑談が好きという理由で観てくれている人もいるだろうしそれはとてもありがたい。
 別にメンヘラ界隈の頂点に君臨したいとか微塵も思っていない。これも先述したけれど、自分は自己中心的に生きているわけであるのだが、「メンヘラ配信者としてメンヘラのみんなが安心できる人間であろう」という信念はある。

 こう、メンヘラだからこそできる職業とかあったら自分なんかすごくピッタリだろうなとは思う。けどたぶん適応障害を起こして結局辞める未来しか見えない。というよりそもそもメンヘラを雇う企業が存在しない。夜職以外は。
 いつだったか、気が向いて池袋のコンカフェに一人で行ったことがある。その時に接客してくれた女の子の腕にはびっしりとしたリスカ痕が刻まれていた。
 だからなんだと思われるだろうけど、メンヘラでもこういう場なら働けるのかと感じた反面、自分は労働意欲すら持ち合わせていないので本当に惨めなことこの上ないな、と常々そう思う。正真正銘の社会不適合者。

 成功体験が無いからなのか? そういう経験がないから何に対しても鬱屈とした気持ちを抱いてしまうのだろうか。
 23年間生きていてこれといった成功がない。強いて言えばこのくあちるという存在そのものが当てはまるけれど、これは狙って得た成功ではないからなんか違う気がする。
 中学ではいじめ。高校では孤立。やはり自分はなるべくしてメンヘラとなったのかもしれない。
 普通って何なんだろうね。その答えは人類が絶滅しても出ないと断言できる。だからこそ割り切って、胸を張って「メンヘラで何が悪い。何か問題でもあるのか」という姿勢を取るべきだと思う。現にくあちるはそうしている。ただ、そうするからには最低限自分のできる範囲でやれることをやらなければならない。その最低限が自分の場合はこうした文字書きだったり配信だったりする。

 また話が逸れてきそうな気がするからまとめると、誰しも自己中心的に生きるべきだしやりたいことには失敗してもいいからまず挑戦するべき。ということ。
 果たしてこの文章を小学生や中学生が見ているかは不明だけれど、もしもここまで読んでもらえたのならばそれはとてもありがたい。
 なんせ未来のある子供たちを、どのような形であれ導くのが大人の役目──その中でメンヘラに特化しているのがくあちる。と覚えておいていただきたい。