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【INTERNET YAMERO】の歌詞考察

 『INTERNET YAMERO』の歌詞について考察してほしいという要望があったので、依頼主は動画を希望してましたが今回は文章でやらせていただきます。歌詞をひとつひとつ、くあちるの個人的解釈で恐縮でありますが紐解いていきましょう。
 ※iTunesの歌詞を参照。

 『インターネット・エンジェルという現象は 仮定された有機交流電燈の かわいい虹色の照明です ぶいっ あらゆる透明なアカウントの複合体』
 『このクソゴミカスカスキショキショな現実を忘れさせてあげる 慈愛の天使 大人のみんなにはナイショだぞ 大丈夫もうなにも怖くないから』
 『こんなSNS抜けだして二人で海を見に行くぞ! インターネットや・め・ろ〜!!!』

 冒頭は超絶最かわてんしちゃんという存在意義について語っているように思えます。インターネット・エンジェルはあらゆる有象無象(透明)なアカウントが集合して生じた虹色(プリズム)の存在ということを示唆していると思われます。

 このクソゴミカスカスキショキショな現実という部分は、超てんちゃんはインターネットに生きていて、現実が大嫌いなのでそれを反映したのだと思われます。そして、ゲーム本編でも大人という存在に強い嫌悪感を示しているのでこれを反映させた後、大人になりたくない人々へ向けて「もうなにも怖くないから」と安心する言葉をかけていますね。

 こんなSNS抜け出して二人で海を見に行く。これは作詞者(原作者)であるにゃるら先生が最近多用している言葉です。元ネタは知りませんが、ほんのりと『AIR』について記した記事か、以前日記として投稿したプチ創作の感覚が想起されます。
 海を見に行くからSNSをやめる。逆にSNSやスマホを手放さなければ海は見れない。

 『わかる真似をして なにも知らないね アナタ』
 『なにが悲しいの なにが寂しいの 聴こえてる?』
 『人が恋しくて 人がイヤすぎて ループ』
 『夜が好きなのに 一人じゃ寒くて 震えてる』
 『ほんとうは幸せを知っているのに 不幸なフリやめられないね』

 ここの辺りはにゃるら先生の内心が強く反映されていると思われます。
 誰かに何かを分かるふりをされて、にゃるら先生の本心とはまるで違う返答をされたのか。
 本人にも何が悲しくて何が寂しいのか、その理由があまりにも漠然としすぎていて理解できない。
 それでも時には人が恋しい。一人が寂しい時がある。
 しかし、本当は何をどうしたら幸せになれるのか、幸せの答えを知っているのに、あえて不幸である道を選び続けてインターネットに身を置いている。これがにゃるら先生自身の生き様だと言わんばかりの意思が感じられます。

 『アンチに負けず 信者に媚びず どんなに努力を重ねても 一寸先は地獄行き』
 『いやもうすでに冥府魔道 地獄の沙汰もいいね次第 偽善者トラップ蜘蛛の糸』
 『こんなに苦しい筈なのに インターネットがやめられないない!発狂!』

 ここは超てんちゃんの意思ですね。そもそもあめちゃんも超てんちゃんもにゃるら先生の生き写しだと推察されるので、キャラクターごとに大きな違いは無くともほとんどこれはにゃるら先生の考えていることです。
 終盤、やはりインターネットに身を置くことは苦しいというのは常に思っていて、その自覚も強いものなのでしょう。なにせにゃるら先生は“インターネット生物”であるから。
 その悦楽も苦しみも、清濁合わせ飲んだ意見を人一倍知っているからこそ、自身はインターネットに生きながら他者へインターネットをやめろと言えるのです。

 『かけめぐるエクスタシー 融けるマイスリー』
 『画面光だすの 不安止まらないよ』
 『誰か殺してくれ イヤだ死にたくない 朝は見たくないの』
 『ムリだ!死ぬ!頭が割れてく!!!!!』

 最近にゃるら先生は睡眠薬としてマイスリーを処方されたようです。本人はマイスリーを好評していて、恐らくそれがこの歌詞に反映されているのでしょう。
 画面光だす。死にたくない。朝は見たくない。この辺りはきっとほぼ毎日思っていることでしょう。毎日、朝日が上ると同時に『朝ってキモい』などとツイートしているので、その嫌悪をここに落とし込んだと思われます。
 朝が嫌すぎるから、もうムリ。死ぬ。頭が割れちゃう! 本当に朝が嫌いなんだなと、ここだけでもう嫌と言うほど伝わって来ます。超てんちゃんもあめちゃんもにゃるら先生も、みんな朝は嫌いなんだ。

 『それでもわたしはこのカオスをオタクと歩む』
 『ここにしかない光景を見つけに行くから』
 『あんなにおそろしい乱れたインターネットから この雪みたいに美しい毒電波がきたんだよ』

 朝は嫌いだしインターネットはカオス。でもあのクソゴミカスカスキショキショな現実には無いモノがインターネットにはある。
 こんなカオスなインターネットの中にも、美しい雪が降るような光景があるのだと信仰している。そう、それが毒電波だとしても。

 『カウンセリングを受けたの』
 『先生から「ネットをやめろ」って言われて』
 『もうおまえらと会えないと思った瞬間 胸が苦しくて リアルが壊れてもココが良いって思ったの』

 これも少し前ににゃるら先生がカウンセリングだったか精神科を受けた際に先生から「ネットをやめなさい」と言われたのを反映されています。
 ネットをやめたら“インターネット生物”であるにゃるら先生に残されるものは何だ。たくさんのフォロワーに囲まれて、苦悶しながらも楽しいインターネット生活をしているのにネットをやめたらそれこそ頭が割れて発狂して死んでしまいかねない。
 だったらリアルが壊れてもいい。だから、何があってもインターネットで生きるんだ。そんな気持ちが色濃く感じられます。

 『初めてフォローされた日のこと覚えてる』
 『こんなわたしを見て・承認してくれたヌクモリティ』
 『もう細かいことはどうでもいいね せーのっ インターネット最高!!!』

 ぶっちぎりましたね。
 モヤモヤをすべて吹き飛ばした。現実とインターネットのどちらを大事にするかを天秤にかけて、天秤はしっかりとインターネットに傾いた。
 清々しいほどの「細かいことはどうでもいいね」という言葉からの「インターネット最高!!!」の流れはもはや芸術の域。

 『ほとばしるエクスタシー 甘い夢をみせてマイスリー』
 『指先で感じる 泳ぐ電子の海 インターネット・ボーイ』
 『悲しみ舞い散る 暗い闇の中インターネット・ゲーム』
 『アナタのとなり微笑む 忘れないでいてねインターネット・ガールきっと……』

 マイスリーの流れは前述の通りだと思います。
 インターネット・ボーイとはオタク達のことか、にゃるら先生本人を指しているのか。それともどちらもかは本人のみぞ知ることです。
 悲しみ舞い散る。インターネットには悲しいこともたくさんある。それは暗い闇の中のよう。だがしかしインターネットは所詮ゲームのようなもの。その比喩がここだと思います。
 アナタのとなり微笑む。くあちるはこの歌詞を見た時、自分の隣に超てんちゃん(インターネット・エンジェル)がいるというような錯覚をしました。ああ、インターネット・ガールは強めの幻覚だけど、確かに存在している。

 『青白いモニター越しの光を通し』
 『オタクの孤独を癒して回る』
 『わたしはインターネットの天使なのだ』

 超てんちゃんのセリフですね。
 『INTERNET OVERDOSE』で「今すぐ薄暗い部屋で青白いライトを浴びろ」という歌詞がありますが、それを復唱したかのように思えます。
 そしてオタクは孤独で、寂しい思いを抱えている。「そんなの決めつけるな!」と憤慨する人もいるでしょうが、にゃるら先生が見て来たオタクは総じて孤独感を抱えていたのでしょう。だからここで豪語できた。
 そんな孤独感を癒すのがインターネット・エンジェルの役目だと言わんばかりに最後に超てんちゃんを引き立たせる締め。実に美しい。

 MVを観ているとより分かりやすいのですが、これは超てんちゃんだけの歌ではなく『超てんちゃん』『あめちゃん』『にゃるら先生』の歌なのです。
 『INTERNET OVERDOSE』では超てんちゃんがメインでしたが、あちらはゲーム発売前に制作された曲ですのでそれもそのはず。
 ただし今作はゲーム発売から一年後。『NEEDY GIRL OVERDOSE』がどのようなゲームか。そしてにゃるら先生がどのような生き方をしていて何を思考しているかを理解している上で歌詞を丁寧に読み解くと、意外にもたくさんの小ネタが見つかるものです。本当に些細な場所にコアなネタを仕込むのが好きなのですねにゃるら先生は。そういうところが尊敬に値するポイントなのです。

 まあこれも全部くあちるの勝手な解釈なので真偽は不明ですけどね。
 ただしにゃるら先生の実体験が反映されている部分がいくつかあるというのも事実ですので、原作者のSNSを追うというのも、この作品を知る上で大事な事であったりするのです。

 でもまあ、もう細かいことはどうでもいいね。
 せーのっ、インターネット最高!!!

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