神戸後日談
2泊3日初めて神戸に旅をする。
「時間」の流れる街、神戸。
神戸駅まわり、都会の再開発は大概どの旅先でも見慣れた光景だ。街の印象でいうと横浜と中野と板橋とかあのあたりをミックスした印象だった。
その一歩路地を迷い込むと、雑居ビルを改装した小さく個性的な雑貨店がならぶ。
駅まわりのサンキタ通りや元町本通、駅高架下にはところせましと古着屋が立ち並び活気がある。商店街もあれば店がポツポツと点在しているだけのわびしく残されたシャッター通りもある。
小さく息づいている場所とチェーン店などインスタントに駆け抜けていく場所と、都会ながらも東京の1つの街では感じられないような空虚さと活気が共存していた。
時間の流れる町
1977年創業の老舗のJazz喫茶※「木馬」に入った。
入り口に足を踏み入れると日中でも薄暗い店内。アルバイトの学生?青年と店主がちゃきちゃきと切り盛りしており、喫茶店でカウンター席を案内され戸惑いつつも席についた。
私が座った席からはレコードの束がビシッとキッチンの背面に並んでいる。客席にはあたたかみのあるランプがあり、木製家具で統一された椅子や机など調度品がある。店主のこだわりや愛が空間全体に広がっている。
この日はピアノの旋律がかけられていた。
ここだけ避暑地のように異空間だった。
見知らぬ旅人にもさーっと引き寄せる何かがある。
あてもなく街に溶け込んでいる店にふと出会えれば、それは歴史と時間をもった、いい喫茶店なのだろうと思う。
小休止をおえて店を出たところにアルバイト募集の張り紙が。
スターバックスやらコメダ珈琲もあるなかで、地元由来のjazz喫茶選ぶなんて。
あの青年もなかなか粋だなあと、勝手に浸りながらホテルに戻った。
最終日には東京で行きたかったところ「Blue bottle coffee」の神戸店に立ち寄った。
白い内装にあえてパイプを剥き出しにした高い天井。整然とした店内はスタイリッシュでミニマルなデザインだ。テーブルもあるけれど奥様方が談笑するような空間でもなさそう。
アイスの「アメリカ―ノ」を頼んだ。丸いグラスに入っていてかたぐるしくない。アメリカ発祥らしいが、現地の人はTシャツ短パンでふらーときてふらーとコーヒーを飲んでサッと仕事に戻るんだろうか。
永く物を愛でるということ
旅がおわると時間の名残がいまも体に漂っている。
この旅で考えたのは時間と物の「消費」についてだ。
ミニマリズムというのは物の最小限化ではあるが、言い換えれば「永く愛せる物を選び、愛でていくこと」なのではないだろうか。
デザインとして好みかどうか。どうしてもSNSを意識した空間を提供するのは仕方がないのかもしれない。
今も昔もそれぞれいいところがあるが、消費でかっさらっていくことに違和感がある私の疑問にたいして、喫茶店の趣は「物や時間を大切にする」ことに応えてくれる空間だった。喫茶店好きが流行るのもうなづける。
しかし「ミニマリズム」を売りにしたサービスに対しての消費ではむなしい。
ホテル「レディースカプセルホテルサウナ&スパ」という温浴設備のついたカプセルホテルに泊まった。カプセルホテルというと簡易的な施設でもってゆったりできるイメージもなかったがホテル自体の快適さは十分にあった。
しかしただ簡易施設とはいえ環境負荷がないかといわれればアメニティをたくさん使ったところで、そこは消費になってしまうだけなのでいかに泊まるか、でもっと充実した旅支度ができるんだろうなと思う。
考える時間
旅の目的を何にするかの時点で、自分が大切にしていることが見えてくる。
なにもバリエーション豊かでアクティビティを求めることだけが旅でもない。
高級旅亭に泊まるだけであとは部屋の中で動画見て過ごす、いつもの生活一場面のように過ごすひきこもった旅でも、一つの楽しみ方ではないかと考える。
わたしはマキシマリストでも、ミニマリストにもなれないだろう。
考えることと「物を愛でる」ためには同じようにある程度の時間が必要だ。
手間を手間だと切り捨てずに、人も物も永く愛でられる、質のいいもの、自分にとって最適解なものを見極められるようになるためだ。
練習がひつようだが物にはそういう扱い方のほうが、物にとってもきっと幸せなはずだから。
こだわることも大切に。
そういう「粋」なことも神戸がおしゃれな街って連想される所以なのかな。