ドイツ留学記録 その3
みなさん、こんにちは、ずーみんです。
ドイツに来てから3カ月が経過しました。元々は1ヶ月ごとに記事を書く予定だったのですが、しばらく放置してたせいで、もうすぐ帰国することになってしまいました。それでも7月中になんとかして仕上げたかったので、今急いで書いています。
ドイツ留学記録 その3では、これまで自分が取り組んできた日々の活動や講義について少し綴りたいと思っています。
おそらく今までよりもディープな内容(特に音楽のこと)もあるかと思いますが、よければお付き合いをお願いします。
1.専攻科目の音楽学(Musikwissenschaft)
ドイツに交換留学をするにあたって、自身の専攻科目を一つ選択する必要がありました。この専攻科目は、一部の科目を除いて日本の大学での所属とは無関係に選択をすることができます。私はかねてから音楽学を勉強してみたいと思っていたので、迷うことなく音楽学(ドイツ語:Musikwissenschaft)を選択しました。
日本の大学にはあまり置かれていないのですが、ヨーロッパやアメリカでは総合大学の中に音楽学部が存在することも珍しくありません。もちろん音楽教育に特化した音楽大学も数多く存在するのですが、それらに比べて総合大学の中の音楽学部(もしくは音楽学科)は実技よりも学問的な傾向が強いと思われます。私はハイデルベルク大学の音楽学科で次の4つの講義を受講していました。
1.ノルウェーとドイツの歌曲の講義
2.モーツァルトのドイツ語で書かれた舞台作品
3.1420年から1750年頃までの西洋音楽史
4.ソビエト連邦時代と崩壊後の音楽
上記のうち1と2はドイツ語と英語での講義、3と4はすべてドイツ語の講義だったので、特に3と4は自分にとってハードなものでした。しかし、どの講義もとても興味深く、自分が浅学非才の身であることを思い知らされるほどに刺激的なものでした。
1と2の講義について、歌曲や歌劇というのは日本で勉強する機会も触れる機会も少なかったので、自分にとっては新鮮で新たな発見が得られる講義でした。それぞれの講義で1「グリーグの『Haugtussa Op.68』について」と「モーツァルトのトルコ様式について」という題目のプレゼンテーションを行い、質疑応答もなんとか(本当になんとか)耐え抜きました。
授業以外でも、実際に歌曲のコンサートに行ったり、フランクフルトでモーツァルトの歌劇(厳密にはジングシュピール)を鑑賞したりしました。歌劇場にはエアコンが付いていなかったのでとにかく暑かったですね。
3と4の講義について、1420年から1750年というバロック以前の音楽は、これまであまり触れたことのないジャンルだったので講義には積極的に参加をして、少しでも新しい知見を得ようと努めました。この講義を担当していた教授について、一つエピソードがあります。
音楽学科の教室で作業をしていたある日、この講義を担当している教授が話しかけてくれました。最初はドイツ語で話しかけられたのですが、この教授、なかなかに話すのが速く、私には到底言っていることが理解できませんでした。そこで「英語で話してくれますか」と言ったところ、「日本語でも大丈夫だよ」と言って日本語を話し始めました。実は、この教授は日本で研究をしていた経験があるようで、とても流暢な日本語で私と会話をしてくれました。
その一方で、私が英語を話そうとした時に「でも、ドイツ語勉強してるんでしょ?」と教授に言われてしまいました。その言葉で目覚めた私は、それ以降の日常会話も含めて可能な限りドイツ語で話すように努めました。同時にドイツに滞在中は能動的な英語の勉強はあまりしないで、ドイツ語に全集中することに決めました。
しかし、成績などの重要な話の時には日本語で補ってくれたのでとても助かりました。ありがとうございます。
それから4の講義ですが、自分はソビエト連邦時代に活躍した作曲家であるショスタコーヴィチ(1906-1975)が大好きなので、完全にそれを目当てにして講義を受講しました。ソビエト連邦の音楽史となればショスタコーヴィチは当然避けては通らないので講義でも扱われていました。教室に大音量で響き渡る交響曲第7番(レニングラード)は結構いいものでした。もちろん他にもシチェドリンといったショスタコーヴィチより後の世代の作曲家や、ポストソビエトの音楽も取り上げられており、個人的には聴いていて楽しい講義でした。教授が言っていることは相変わらずわかっていないんですけどね。
交換留学生として4つの講義(語学コースを含めると6つ)を受けるというのはやや多いらしいのですが、自分は講義を大切にしたいと思っていたし、振り返ってみても、どの講義も有意義なものだったと自信を持って言えます。自分の留学生活の中心的存在となり、日々を充実させてくれたのは間違いなく4つの講義だったと思います。
2.日本人のオルガニストが主催するコンサートに出演
私はハイデルベルクの滞在中にFacebookを通じて
現地で活動している日本人のオルガニストと知り合いました。その方は自主コンサートを開催しており、自身だけでなく周りの演奏家の方々にも協力を募っていました。私はドイツに来てからほとんどピアノを触っていなかったのですが、せっかくの機会ということで、コンサートに出演させていただけないかと打診したところ快諾してくれました。
結果として、6月と7月のコンサートに参加することになり、それぞれのコンサートで私が日本で直前に練習をしていたいくつかのレパートリーを弾きました。ハイデルベルクの聴衆の方々はとても優しく、終演後にいい演奏だったと声をかけてくれる方もいました。実際のところ練習時間がほとんど取れていなかったので、あまり納得のいく演奏はできなかったのですが、それでも聴いてくださった方々には感謝をしています。
それに加えて、同じようにコンサートに出演していた演奏家の方々とも知己を得ることができました。作曲家の方やピアニストなど様々でしたが、みなさん素晴らしい音楽家でした。(誰目線)
貴重な経験をさせていただけたことに、心から感謝しています。ありがとうございました。
3.日本学科の合唱団に参加
5月の中頃に、ハイデルベルク大学の日本学科で合唱をするのでメンバーを募集しているという旨のメッセージが自分の元に届きました。合唱といってもクラシック音楽や合唱曲ではなくJ-ポップを歌うものだったようで、普段あまり積極的に触れることがないJ-ポップもやってみようと思って参加をしました。何よりも、みんなで歌うというのは純粋に楽しいので、それが一番のモチベーションだったかと思います。
曲目は米津玄師の「Lemon」とSEKAI NO OWARIの「サザンカ」でした。幸いどちらも知っている曲だったのですぐに歌うことができました。しかし、混声合唱だったので他の声部と合わせるのは難しく、仕上がるまでには時間がかかりました。ついでに、それぞれの曲(少し編曲されていましたが)の楽譜を眺めながらコード進行を把握していました。音楽している人の性とでも言っておきましょう。
本番は7月の頭に大学内で行われましたが、自分の友人や日本学科の学生などが聴きに来てくれて、記憶に残る想い出となりました。私は音楽理論とか音楽史とかを勉強することが好きですが、そういうことは無関係に、純粋に音楽を楽しむことも大切にしたいと常々思っています。やっぱりみんなでする音楽というのはいいものですね。
4. 終わりに
これを書いているのはドイツ時間で7/31の20時ですから、帰国の1週間前といったところです。帰国のための手続きが多いですが、残りの時間も有意義に過ごしたいと思います。一応、次回の留学記録で完結する予定です。