ドイツ留学記録 その2
みなさん、こんにちは、ずーみんです。
ドイツに留学してから2カ月が経ちました。8月上旬までの滞在を予定していますので、今がちょうど折り返しといったところです。
ドイツに到着してから最初の1カ月ほどは、住民登録をはじめとした手続きや生活環境のことで頭がいっぱいでしたが、5月に入るとドイツでの生活にもある程度は順応してきました。
例によって、色々とトラブルがあったりなかったりしたので、いくつか記憶に残っているエピソードを綴ろうかと思います。
1.現地学生との交流
ハイデルベルク大学には日本学科(Japanologie)という学科が存在しています。日本語の基本から日本文化まで幅広い学習や研究がなされてる学科です。ドイツの大学の中でも日本学科を置いているところはあまり多くないようで、これはハイデルベルク大学の特徴の一つとして挙げられます。
日本学科の学生たちは日本への留学経験がある学生も多く、日本語が非常に堪能で驚かされました。日本への留学経験がない学生であっても、難しい漢字を書くことができたり、流暢に日本語を話すことができたりするなど、とにかく日本語の運用能力が高いのです。彼らとはドイツ語でコミュニケーションを取りながら、日本語で誤りを教えてくれるので、日本人の留学生にとっては非常にありがたい存在です。
その中で、日本学科の学生とのバディプログラムというものが存在していました。バディプログラムに登録をすることで、現地の学生とバディを組んでもらうことができ、お互いの言語や文化を教え合うことができるというものです。私は留学前にこのプログラムへと登録をして、現地の学生とつながることができました。
留学からしばらくたったある日、それまでSNSで繋がっていたバディから「実際に会って話をしよう」という提案があり、私もぜひ会って話をしてみたいと思っていたので、二つ返事で次の週に大学で会うことになりました。
待ち合わせ場所についてから、最初にバディからドイツ語で話しかけられたのですが、聞き取ることができないかったので、「英語でもう一度言ってもらってもいい?」と聞くと、英語はあまり得意ではないとのことでした。
それで、その後もなんとか拙いドイツ語を駆使して会話をしていました。
しばらく会話をして分かったことなのですが、なんとバディも私と同様に現地の学生ではなく、ハンガリーからの交換留学生だったのです。本来は現地学生と交換留学生で組まれるはずなのですが、何かの手違いでどちらも交換留学生となったようです。相手にはバディプログラムの運営からメールが来ていたらしく、「こちらの手違いでどちらも交換留学生となってしまった」とのことでした。私にもそのメールは来ていたのかもしれませんが、私が見落としていたのでしょう。
結局のところ、ハンガリー語とドイツ語(と日本語少し)が話せる学生と日本語と英語(とドイツ語少し)が話せる学生という、どうにも不思議な組み合わせが誕生してしまったのです。
しかしながら、相手はとても気さくに話して下さり(ただしすべてドイツ語)、いくつかハンガリー語を教えてもらったり、逆に日本語について教えたりしながら楽しい時間を過ごしました。自分はドイツにいるのだから、英語ではなくドイツ語を積極的に使うように心がけるようにもなりました。
ちなみに相手から「すみませんとごめんなさいはどう違うのですか」と尋ねられました。なかなか難しい問いだと思います。
2.日本料理店がオープン
留学をしてからは当然のことながら洋食ばかり食べていたので、そろそろ一度くらいは日本食も食べたいと思っていました。
ドイツの街を歩いていると、日本料理のお店を見かけることがあります。しかし、それらの中には日本食とは名ばかりのアジア料理店や、創作の域をはるかに超えた寿司が提供される寿司屋も少なくありません。以前マンハイムに出かけたとき、遠くに"Sushi"と書いた看板があったので近づいてよく見てみると、"Sushi and Vietnamese"(寿司とベトナム料理)と書いてあり衝撃を受けました。別にベトナム料理のことを悪く言いたいのではないですが、寿司とベトナム料理は並列されるべきものではないでしょう。ヨーロッパで例えるなら、"Pasta and French"みたいなものでしょうか。いずれにしても、似つかわしくないですね。
ちなみに個人的な怪しいお店を避ける方法としては、"Sakura"や"Tokyo"といったいかにも日本を象徴するようなワードをそのまま使っているお店には行かなことです。もう少し日本人しか知らなそうな単語を使っている凝った名前のお店がいいと思います。(特定のお店を指しているわけではないし、すべてが怪しいというわけではありません)
そうしたエセ日本料理店もあるなかで、ハイデルベルクにKadokkoという日
本人が経営する正真正銘の日本料理店が新しくできることを知りました。
プレオープン期間中には割引価格で食べられるとのことだったので、予約をして友達と行ってみました。
私は「よくばりセット」というメニューを頼みました。ご飯(白米と玄米から選択)と味噌汁に、主菜が1つと副菜が4つ付いてくるものです。主菜の「エビとグリーンアスパラとジャガイモのバター醤油炒め物」は醤油がほどよく効いており、副菜の中でも「白アスパラの酢味噌和え」はドイツ名物の白アスパラと日本の酢味噌が非常によく合っていました。それから久しぶりに口にした白米と味噌汁は格別でした。
あえて一つだけ言わせてほしいのは、もっと白米を食べたかったということです。しかし、逆に考えれば、日本におけるご飯の「大盛り無料」や「おかわり自由」がおかしいのです。正しいのはドイツです。
味噌汁の上にあるのは抹茶ラテです。せっかくの日本食なので緑茶とかにすればよかったのに、なぜ抹茶ラテを頼んだのかはわかりません。
当時の私に尋ねてみてください。
余談ですが、私の経験からして抹茶はヨーロッパでも Matcha として広く知られているようです。以前、ハイデルベルクでジェラートを食べたことがあるのですが、その時にも抹茶味が販売されていましたし、ヨーロッパにおいて抹茶はそれなりに市民権を得ているようです。
3.ビザを取得
抹茶が市民権を得ている一方で、私も長期滞在の許可を得ることに成功しました。すなわちビザ(査証)を取得したのですが、これは想像よりも簡単に入手することができました。ビザの取得に苦労した話はインターネット上でも見かけますし、友人にもビザが下りないことを嘆いている人がいたので心配していたのですが、私は申請してから3週間ほどで取得できた記憶があります。どうやらハイデルベルク大学の学生は独自のシステムが試験的に運用されているようで、通常よりも早く手続きができたようです。
4.波乱のウィーン旅行
5月末から4日間ほどウィーンへ旅行に行きました。音楽が好きな自分にとってウィーンは留学中に必ず行きたいと思っていた場所でした。ウィーン楽友協会というクラシック音楽で有名なホールがあるのですが、そこで私が好きなショスタコーヴィチとシベリウスの曲が演奏されるとのことで、それを聴くことを主な目的としていました。
実際に、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴いたショスタコーヴィチとシベリウスは得も言われぬもので、ホテルに戻ってからもずっと余韻に浸っていました。その他にもウィーンにゆかりのある作曲家たちの記念碑や博物館を訪れるなど、充実した時間を過ごしました。
旅行の3日目には隣国のスロバキアにも足を運びました。この日はヨーロッパの広い地域で豪雨だったようで、自分もスロバキアで結構濡れました。
そして色々あって7時間で帰れるはずだったドイツに25時間くらいかけて帰りました。
ウィーン旅行については別の記事で詳しくまとめようと思っているので、そちらを参照していただけると幸いです。
5.音楽学の講義
留学生という身分にもかかわらず、ドイツでどのような勉強をしているのかを書いていなかったので、それも一応書いておこうと思います。
私の専攻は「音楽学(Musikwissenschaft)」です。音楽の実技ではなく、音楽史や音楽理論を主に扱っている分野です。もともと中学3年生くらいの頃から音楽史や音楽理論が好きで、これまでほぼ独学で勉強してきたのですが、ドイツに来てからは今まであまり触れてこなかった分野を学習しています。具体的には、バロック時代以前のルネサンス音楽や、ドイツ歌曲、モーツァルトの歌劇など日本ではあまり触れることのない音楽を学習しています。(日本にいると外国語を伴う歌曲や歌劇はどうしても演奏回数が少なく、あまり触れる機会が得られないのです)
6.終わりに
早いもので留学生活も折り返しとなってしまいました。ドイツでは契約の解除に時間を要するようで、すでに住居の退去手続きも始まっています。何事もなければ、予定通り8月上旬には日本へ帰国することになると思います。
何事もなければね。
それではまた次回の記事でお会いしましょう。さようなら