さよならを好きだって言えるうちに

最近、眠りが浅くて何度も起きてしまう。
枕のせいかと思って枕をどかして寝てみるけど、眠りが浅いのは変わらず。
不眠に効く漢方を水のお湯割り(白湯ではない)で飲んで、ベッドの上で今パソコンを立ち上げてこれを書いている。

フィロソフィーのダンスの「ヒューリスティック・シティ」という曲が好きだ。

この曲の歌詞を書いたヤマモトショウさんのnoteを読んで、この歌詞の意味を知った。
「別れ」を書いた曲だけど、この別れの対象が時代、「平成」のことだそうだ。

人生において「別れ」は必然だ。
必ずその時は来るし、永遠なんてものはない。
時代が変わって、生き方も変わるのだから仕方がない。
ふと未来のことを考えた時に、自動運転の車が走る様になって、目的地まで運転しなくて良くなって、それってとても楽だけど、あのたどり着くまでの「偶然」には出会えなくなるのかと思ったら、なんだかちょっと悲しくなった。

昔、友人4人と車で出かけた時、帰り道で、たまたま岐阜の高山の方で行われている「狐の嫁入り祭り」に遭遇し、なんだか妖怪に化かされた様な気持ちになったことがある。
ナビの示す方を逸れてしまい、軌道修正しなければ・・・と思っていたところに、狐のメイクを施した祭りの参加者が歩道をぞろぞろ歩いていて、導かれるまま祭り会場の駐車場に入ってしまった。
もしかしたら道ゆく人の何人かは、本当に狐だったかもしれない。

目的地を決めて動くことはとてもいいことだし、そうあるべきだと思う。
それを達成するために動くことがなにより効率的だし、充実感も得られる。
けれど、狐の嫁入りにたどり着いた様に、道を間違えたからこそたまたま通りかかって、たまたまその光景を見られた、そんな寄り道もずっと楽しい。

一人で生きていると、そんな寄り道がたくさんできるけれど、それを共有できる人がいなくて寂しさを感じたりもする。
「次はここを目的地にしよう」と偶然の地点を共にマッピングする人なんてなかなか現れない。

今の私はまっすぐ目的地に向かう自動運転の生活をしている。
仕事と家の往復。
未来を見た時、わざと手を引いて寄り道しようなんて、そんなことをいってくれる人がいたらいいのに、なんて思ったりした。

今日も熟睡はできそうにない。
何度も目を覚ましながら、ちょっとずつ歳をとっていく。
劇的になにかが変わる日は来るんだろうか。
漠然とした不安に苛まれながら、夢でうなされる。
このまま目が覚めなかったら。
見つけてくれる人いるのだろうか・・・。

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みやべ
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