僕はなぜ毎度苦しみを忘れて同じことを繰り返すのだろうか
builderscon の登壇資料を作っている。つらい。苦しい。比喩じゃなくて本当に息が苦しくなってくるのが面白い。いや面白くない。苦しい。
いつだってそうだ。DroidKaigi の直前のときはもっと重苦しかった。トントン拍子で話が出来上がって良い発表が出来たなんてことは、いまだかつて一度もない。登壇だけじゃないや、技術書典の原稿もそうだ。なぜ俺はこんなにつらい思いをして書いているんだろうかという気持ちで毎度半分泣きながら書いている。
なのになぜ毎度毎度繰り返してしまうのだろうか。
問題は 応募 => 準備 => 発表 のサイクルだ。応募の時は圧倒的に明るい未来が見えている。あれもやりたい、これもやりたい。準備の前半も楽しい。いろんな知識をインプットできる。発見がある。だけど直前の仕上げるところが辛い。うまくいかない。時間が足りない。泣きたい。そして発表する。やり遂げた達成感がある。フィードバックをもらえる。うれしい。そしてなぜか辛かった準備の時間のことは忘れてしまう。
多分これの最たるものが "産みの苦しみ" なんだろう。(※僕は男です。)自分で書いてクソださいと思うけど、出産に立会っただけで大変だしめちゃめちゃ体力消耗する。登壇準備どころの騒ぎじゃない。だったら本人の苦しみはどれだけだよという。だけど後で聞くと、別に個々の記憶がなくなってるわけじゃないのに、「もう二度とやりたくない」みたいな気持ちにはならないらしい(N=1だよ念の為)。
多分、本能なんだろう。受け入れるしかない。そして一生これは続く、というか続けるしかないんだろうと思う。この苦しみになんとか打ち勝つ気力と体力があるうちは。
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