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あなたの中の忘れた街

 その日、カラオケでやけに盛り上がった僕らは、もう少し飲み直したいという話になり、友人Tの下宿先へ行くことになった。田舎から都市部に出てきて、たまたま学校で知り合った僕らは、年齢もバラバラで趣味も大して合っているわけでもなかったけれど、なんとなく集まってはよく遊んでいた。みんな中心街から離れた郊外に下宿していて、中でもその日はちょうど近い場所にあった友人Tの部屋に白羽の矢が立ったのである。

 実家が裕福で大してお金に困っていなかった友人Tは、「スーパーの安物総菜だと負けた気がする」という謎のプライドを見せ、あえてコンビニで夕飯を買っていた。数人で彼の部屋に乗り込んで、何の話をしたかは全く覚えていないが、ベッドのそばに並び、各々持ち寄ったお菓子やお酒でただ、だらだらとした。そのうち夜勤のバイトがあるとかで、ぽつぽつと数人がいなくなり、部屋には僕と友人Tの二人だけになった。とりあえずお互いに好きな漫画の、ラストシーンを予想しあったことを覚えている。

 そこそこの大きさの地方都市、高層マンションのふもとには都市高速道路と線路が交差するように伸びていて、上層階にある友人Tのその部屋は、深夜になると遠くにやっと電車の走る音が聞こえてくる程度だった。寒くも暑くもない季節、ベランダに出ると風が気持ちよく流れ、遠くの建設中のマンションの上に赤い警告灯がいくつも明滅して見えた。布団は一つしかなかったので、僕は床に敷いた薄いマットレスの上にうつぶせで倒れ、それを「冷凍庫で保管されているマグロみたいだ」と彼は笑った。

 次の日の朝はよく晴れた日で、早朝だったが友人Tはわざわざ駅前まで送ってくれるという。車はお互い持っていないので、もちろん歩きだ。そこそこの距離を、二人並んで歩いた。都市高速の高架下に伸びる歩道は影と光でくっきりと分かれていて、寝不足で霞んだ頭にはコントラストで目がチカチカするようにまぶしかった。駅前に着くと友人Tは僕に手を振って、「またね」と言った。

 彼とはもう何年も連絡を取っていないけれど、あの日の、もう二度と見ることのない光の中の高架下を、どうしてか僕は忘れることができない。

 思えば、所属するコミュニティが変わるたびに、親しい人たちも入れ替わってきた。車で数時間もかかる街に一緒に遠征してラーメンを食べた知人がテレビドラマ「孤独のグルメ」の五郎ちゃんの真似をした瞬間、卒業前に焼肉に行きもう食べられないのに先輩が「白メシを食ってないんじゃないか」と言って白米を注文した瞬間、凍える寒さの日に近所の公園でスマートフォンをカイロで温めながら上司とポケットモンスターを交換した瞬間、国立公園に指定されている観光スポットに行ったものの大自然は濃霧で一切の視界が無く友人と笑いあった瞬間、どれも五感全体で感じた当時の世界が僕の中に残っている。

 自分の中に残したい景色はたくさんあるけれど、残すことのできる景色は一つもない。なぜならその景色はあの日の、あの時の、あの瞬間にしか無いものだから。でも、ふとした瞬間に、あの時の景色がはっきりと再生されることがある。ふとした瞬間とは、記憶にある場所にもう一度行ってみることだったり、記録した文章を読むことだったり、その時繰り返し聴いていた音楽を聴きなおすことだったり、その時の映像を描いた絵を見たりすることかもしれない。つまり、何か鍵になるようなものに触れることだ。

 記憶の中の映像全体を再生するその鍵は、何らかの形式で「あの時の風景が閉じ込められたもの」と言い換えることができるかもしれない。そしてその「あの時の風景を閉じ込めた鍵」は、この世界にはまだまだたくさんあって、もちろん、自分の分だけじゃないはずだ。

 だから僕はもっと、いろんな場所に行って、いろんな音楽を聴いて、いろんな絵を見て、いろんな人の話を聞きたいと思う。

 そこに、誰かの中の忘れられない景色があると信じているから。

#未来に残したい風景 #あなたの中の忘れた海

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