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夏の昼下がり

よく晴れた夏の昼下がり。果奈は黙々とらっきょうの薄皮をむいていた。
義母から菜園でとれたものをたくさんもらったので、下処理をして漬けようと思ったのだ。爪が短いので思うように進まない。外はうだるように熱く、クーラーが苦手な果奈はいつも体のすぐそばに扇風機を置く。

不意に、外の空気が変わった気がした。相変わらず太陽はぎらぎらと辺りを照り付けているが、なんとなくしんとしている。そういえば蝉の声も聞こえない。さっきまで聞こえていた子供たちの声も無い。

お茶でも飲もうかしら、と果奈は立ち上がると、不意に扇風機のそれとは違う風が右脇をスッと通った。まるで鳥でも通りすぎたかのように。
何かしら、と思いふり返ると、「やあこんにちは。」とどこか陽気さを含んだ男性の声が聞こえた。

驚きとっさに瞬きをすると、声の持ち主はそこに居た。
果奈がたまに友達と行くカレー屋の店員のような、どこかアジア風の濃い顔立ち。身体がずいぶんと大きく、特徴的なのがその肌だ。ゴールドと黄緑の中間のような不思議な色である。

「こんにちは。驚かせたことでしょう。」それは丁寧に言葉を連ねる。「私は人間ではありません。そちらの言葉をお借りするなら、魔神、とでも言いましょうか。」
魔神、と言うところでそれはくるりと一回りした。果奈は魔神が床から40㎝くらいの高さに浮いていることに気がついた。

「あの、どうも、こんにちは。」
戸惑いながらあいさつの言葉を口に出すと魔神は満足げに笑った。

「突然おじゃました非礼をお詫びします。」そう言って右手をくるりと前にやり腰を折る。
「私が現れたのは、あなたにもてなしてもらうためでなく、むしろひとつ良いことをして差し上げに来たのですよ。」魔神の眼は愉しげにきらきらと輝いている。
「私はあなたの願いを叶えに来ました。」

そう伝えても果奈が喜ぶ様子もなく、ぼうっとしているので、魔神はもしもし、と左手をひらひらとさせた。「あの、ごめんなさい。急なことで驚いてしまって。」そうだろうとでも言いたげに魔神はうなずく。

「魔神というのは、普通、ランプをこすったり、一通りの儀式をしたりして、呼び出すものではないかしら。」と果奈が尋ねると、魔神は馬鹿馬鹿しいと言いたげにフンと鼻を鳴らした。

「ああ、そうですね。」と両手を広げる。
「人間はとかく理解して納得したがる。全ての物事には理由があると思っている。」そう言って片方の眉を吊り上げる。
「理由なんて無いのに。ただそこにある。どうしてそれが受け入れられないのでしょう。」

魔神が悠々と語り出したので果奈は慌ててさえぎった。
「ごめんなさい。ただ小さい頃からそんな風な本をたくさん読んできたから。」そう言うと魔神は目を瞬かせ「ああ、それはいい。」と言った。

「では私は物語の化身、一種の妖精みたいなもので、あなたがいつも心豊かに物語をたのしむお礼として願いを叶えるとでもいたしましょう。」
「さあ願いを言ってください。何でも願いを叶えるのが私の役目ですから。」ええと、と果奈は口ごもる。何か頼まなくては悪いような気がした。

「じゃあ、お庭の草抜きをしていただけるかしら。」
おずおずとそう伝えると魔神は目を丸くした。
「草抜き?」と聞き返す魔神が呆気にとられた風だったので、果奈は悪かったかしら、と思った。草抜きだなんてそんなありふれた面倒なこと。

「草抜きねえ。」ふむ、と魔神は左手をあごにやる。
「かしこまりました。草という草は全て抜いてよろしいですか。」と魔神がすぐにでも取りかかりそうだったので、果奈は慌てて「あの、ハーブとかミニトマトとか、必要なものもあるの。抜いてほしいのは雑草なの。」と言った。
魔神は訝しげな顔をした。
「ザッソウ?それは何です。」そんなことを聞かれたのは生まれて初めてだったので、果奈はどう伝えれば良いか逡巡した。

「ええと、つまり、どこから来たのか何故そこに居るのか分からなくて、やけに生命力が夥しいものを抜いてほしいの。」
そう説明すると魔神はぱぁっと顔を明るくさせた。
「なるほど。よく分かりました。」ではお任せあれ、とどこかから出した青い布をヒラリと体に巻きつけると、パッと消えた。


次の瞬間、果奈ははっと目を覚ました。らっきょうの下ごしらえをしている間に、机でウトウトしていたらしい。やけにはっきりした夢だったな。頭をゆらゆらさせながら眠気を追いやる。なんとなく、果奈は立ち上がって庭に面する窓を開けた。

すると、そこにはまっさらになった綺麗な庭があった。夏の日光を浴びて生い茂っていた雑草たちが姿を消している。まあ、と果奈は口に手をやった。夢じゃなかったのだ。つっかけを履いてパタパタと庭に出る。手入れされた庭をしばらく眺めているとふと違和感を抱いた。何かが違う。

辺りをじっと観察して、ゴーヤだ、と気がついた。ネットにつるを絡め葉で日光を遮ってくれるゴーヤのカーテンがない。すっかりなくなっている。
魔神はこれも「ザッソウ」だと思ったのだろうか。そう思うと果奈は可笑しくて笑い出してしまった。

確かに、どこから来たのか分からなくて、生命力がやけに夥しい。ごつごつでこぼことした実も、怪獣の皮膚のようできっかいだ。果奈は笑いながら、明日すだれを買ってこようと決めた。
魔神さん、どうもありがとう。と心の中で伝えると、どこか遠くで風がザワザワと木を揺らした。


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