野鳥観察は偶然に
更新しなくなってもいいし立派な論になってなくていいし間違っていてもいい、思考のダストボックスをやっぱり持っておきたくてnoteを作った!友達のこういうの読むのすごい好きだし……
何かの感想とか、雑感とか、ツイート以上日記未満で。携帯から楽に投稿できるもの。
とりあえず最初なので鳥のことを書いてみる。この間野鳥観察のよさは偶然でしか有り得ないということだ、的なことをツイートした。
酉年生まれが関係あるのかどうかはわからないけど、昔から鳥が好きだった。たぶん最初はポケモンのフリーザーやピジョットだったと思う。小さい頃ポケモンの絵をひたすら描いていたのだけど、見よう見まねをする中で「どこをどんな順番で描くか」みたいなところで足や顔周りを意識していた、気がする。そういうディテールを見てた、気がする。鳥ポケモン好きだった。
次に思い当たるのは小学生のとき、理科の先生が趣味でカメラをやっていて、桜に止まるメジロの写真をもらったことを覚えている。その頃は別に野鳥観察をしていたわけでもなく、でもヒヨドリを覚えたのはこのあたりかもしれない。うるっせえ声と羽ばたいては羽を畳む素早く効率のいい飛行、ほっぺの赤いライン、大きさ、見かける頻度もあって覚えやすかった。今も使っている鳥のポケット図鑑を買ってもらったのももしかするとこの頃かも。
鳥が好きだなーとは思っていたけどスズメ、ハト、カラス、ヒヨドリ、メジロくらいしかはっきり分かってないままつい数年前くらいまで過ごしていて、地元に戻ったのを機会に鳥を気にし出した。鳥というか自然の豊かさで、鳥や野草、そういうものから四季を感じるよさみたいなのがやっとわかってきた。
散歩して見かけた鳥の特徴を図鑑と照らし合わせて、同じページを何度もめくることで段々他の鳥も覚え…という具合。
鳥はかわいい。
鳥ごとに特徴があるのでどこがということを普遍化するのが難しいけど、すんごい丸くなるのに翼を広げるとデカいみたいなところとか、地上にいるときの動きとか、とにかく魅力しかない。
鳥に限ったことではないけど、鳥類という括りにいてもおよそ生態がかけ離れすぎていて知るのが楽しい。さえずりの豊かさ。ヒナのかわいさ。
鳥の魅力とは別に、出会えることの「保証されていなさ」、偶然性がたまらないなあ、としみじみ思う。
鳥は飛ぶ。飛ぶというのは飛べない身からするとものすごいことで、移動距離がエグくて、だから必ず出会える鳥、みたいなものはほぼない。鳥以外の動物は住んでいる周りではペットを除くとほぼ見ないので、身の回りで観察できる唯一の動物、しかも探すたび違う場所で違う個体、みたいなことになる。いや同じ個体なのかもしれないけれども。
渡り鳥なんかだと居る期間も限定され同じルートを辿るかとかもわからないので、今日たまたま見かけた鳥をそのまま何年も見ないなんかもざらにある。この春はベニマシコを見かけた(!)けれど、もう同じポイントで出会える可能性がどれだけあるのかわからない。
これ以上ない偶然の出会いをもたらしてくれて、たくさん見れようが見れまいが「それでよい」というところがいい。
仕事とか、生活の上では、結果が約束されていないといけない。そりゃそうである。そうなんだけど、そればっかじゃつらい人間もいるのであって、そんな人間にはたまらん癒しなのである。もちろん珍しい鳥なんかに出会えた時の喜びはひとしおだ。
鳥自体の魅力と、偶然「でよい」ところがすごくいい。カメラほしいなー。
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