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コラム。24 12月〜25 1月〜2月
図書室で任されている、小説の紹介コラムをまとめます。大体400字前後で、現状は月イチ更新です。宜しくお願い致します。
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私が初めて読んだ、「背筋(作家)」の小説は「近畿地方のある場所について」だった。
元は2023年の1月にネット上の小説投稿サイト、「カクヨム」へ第1話が投稿され、
同年4月に最終話が。X(旧Twitter)で反響を及び、8月には書籍化へ至った。
「背筋」の作家性と言えば、旧態依然に囚われない革新的な書式的技巧であろう。
ネット小説は必ずしも、紙の本の様に1話、2話と読まれるものではない。
読者がその投稿をクリックする時期や、個々のインプレッションの差異によって、
その話がいつ読まれるか、に、紙面よりも多くの外的要因がネットでは絡んでくる。
「近畿地方のある場所について」では、そのハンデとも言える要素を逆転させた、
実に技巧的な方法で読者の心を掴んでいた。
それが「口に関するアンケート」では、今度はフィールドを紙面に置いて「背筋」の、
狡猾とまで言える小細工が仕込まれている。
最後のページを読んだ時、思わずあっと声に出してしまう様な。そんな仕掛け小説だ。
どんな仕掛けなのかはここでは「口」にしない。自らの目で確かめて欲しい。
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この小説、ほとんど代名詞が使われていない。一文一文確認した訳ではないが、主にその人物の名称を文頭に置き、細かく刻む様に物語が進行していく。
それが、『個から見た集団・集団から見た個』の、文体的メタファーだと気付くまでに時間はかからなかった。
この書き手は、『個』を『集団』のなかで定義されたレッテルにより消費されることを強く恐れている。感覚でそれが分かる文章だった。
主人公のジャクソン、日本とアフリカのミックスで日本在住。そんなマイノリティである彼の周囲は、いつも集団で溢れている。スポーツチームだったり、テレビ番組のオーディエンスだったり、クラブの人混みだったり。挙げていけばキリがない。
劇中劇として登場した、話の度に姿が変わる主人公、『i』は、SNS上でのアイコンを示唆した、『あい』というネーミングで間違いないだろう。
国籍だけではなく、セクシャルマイノリティとしての描写も欠かせない。多国籍化が進む世界において、これらの出来事は他人事ではない。
日本の中ではマジョリティに属する私が、ジャクソンをひとりの人間として見られるだろうか?偏見なく接することは出来るだろうか?
くそ。書きたいことがまだまだある。
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サブカル・セクシャル・ポエトリーリーディング・ジュブナイル・ノベル!
ビューティフル。最初にこれだけ言わせてくれ。この小説は実にビューティフルだ。
主に散文詩の形式で進行していく地の文は、そのどの一説を区切ってもⅩ(旧ツイッター)や、TikTok、Instagramで『バズり』そうなポエトリーになっており、(勘違いしないで欲しいが、これは誉め言葉のつもりで書いている)つまりは、作者の『日比野コレコ(作家名)』がサブカルチャーに精通しているということで、『そういう小説、ルサンチマンが文章のなかにふりかけみたいにちりばめられてて、クソまずい』というセリフを読んだ時なんか、自分の部屋に監視カメラが付いているのかと勘繰った程だ。ふりかけといえば。作中全体を通して令和の若者らしい『冷笑主義』や軽薄さが散りばめられている。冒頭で描かれる、堕胎と埋没の費用が同じだとか、正にそうだ。『アインシュタインってさ、証明はできないけど、でも絶対間違ってると思わん?』アスファルトの上でヒップホップを唄う、モラトリアムの世界で。またビューティフルからビューティフルへ。