かつてはゴルフ場だった駒沢オリンピック公園の歴史
Aiko(4歳)とAoi(2歳)のアラフィフパパQPちゃんです。
ブラタモリ的な観点から、街をブラブラしていて気になったものをQPちゃん視点で色々ご紹介していきたいと思います。
今回は、いつも子どもたちを遊ばせに行って馴染みの深い”駒沢オリンピック公園”です。普段は”駒沢公園”としか言ってなかったのですが、正式名称は”駒沢オリンピック公園”です。
駒沢オリンピック公園概要
駒沢オリンピック公園は、東京都世田谷区、目黒区に位置し、1964年の東京オリンピックを契機に整備された公園です。
その成立ちは、戦前から戦後にかけての東京の都市開発とオリンピックという国際的イベントが大きく影響しています。
駒沢オリンピック公園の場所はかつてゴルフ場として利用されていました。戦前、この地域には「東京ゴルフ倶楽部」という名門ゴルフ場だったとのことです。
そのころは駒沢の辺りは東京の端っこで当時としては郊外という感じの場所だったんでしょうね。
その後、戦争のための軍事施設となり、戦後からは現在の駒沢公園の原型となる総合運動施設として開発が進められてきました。
それでは、駒沢オリンピック公園の成り立ちを詳しくみていきましょう!
駒沢ゴルフ場
1913年(大正2年)、このエリアに「東京ゴルフ倶楽部」の駒沢コースが開設されました。
東京ゴルフ倶楽部は、日本で初めての日本人の手によるゴルフ倶楽部で、名門クラブです。
摂政宮時代の昭和天皇が英国の皇太子、プリンス・オブ・ウェールズ殿下との親善ゴルフを楽しんだコースだそうです。
その後、コースは埼玉県朝霞に移転し、現在の「東京ゴルフ倶楽部」は埼玉県の狭山市にあります。
軍事施設への転換
駒沢にあったゴルフ場は、日本陸軍がその敷地を接収し、1924年(大正13年)に「陸軍騎兵学校」に転用し、軍事訓練や演習が行われていました。これにより、ゴルフ場としての役割は終了し、駒沢地区は軍事施設として使用されるようになりました。
しかし、戦後、軍事施設は解体され、敷地は新しい用途に転換されることになります。
戦後の整備と東京オリンピック
総合運動場となっていったのは、1949年(昭和24)10月に開催された第4回国民体育大会のためのハンドボールコート(2面)とホッケー場(1面)の建設に始まります。
第二次世界大戦後、東京都は駒沢地区の再開発を進め、1950年代に入り、この地域がスポーツ施設として注目されるようになります。
1964年に開催された東京オリンピックの際、この場所が「第二会場」として利用され、サッカーやレスリング、バレーボール、ホッケーの競技がここで実施されています。
オリンピックのために新たに整備された施設には、駒沢体育館や陸上競技場、野球場、テニスコートなどがあり、これらの施設が公園の基礎となりました。
オリンピック後は市民の憩いの場に
オリンピック終了後、これらの施設は一般市民が利用できる形で開放され、地域のスポーツ振興やレクリエーション活動に大いに貢献しています。
現在の公園の姿
1964年のオリンピック後、駒沢オリンピック公園はさらに整備が進められ、総面積約41.3ヘクタールの広大な敷地にわたる公園として、スポーツ施設だけでなく、散策やレジャーを楽しめるエリアも広がりました。スポーツを目的とした施設に加え、自然環境を感じられる場所として、都内でも人気の公園となっています。
駒沢オリンピック公園は、戦前の軍事施設から戦後の復興、そして東京オリンピックという歴史的なイベントを経て、現在の市民の憩いの場として変貌を遂げた場所です。
スポーツと自然が調和したこの公園は、東京都の貴重な公共スペースとして、今も多くの人々に利用されています。
それでは、今日はこのへんで。
それではまた!