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「スーパーマリオRPG」と私


このトピックにうってつけのヘッダを設定してみた。
解説すると、
「カエルコインで買えるアイテム、『あのころにもどりたい』の効果は?」という問題で
ご存知の通り正解は「戦闘を最初からやり直す」、つまり一番下の選択肢なのだが
一番上の選択肢の意味は「ゲームを最初からやり直す」なのだ。


スーファミ時代からの話になるため昔話もいいところである。
お時間を頂ける方は5〜10分程度、コーヒーと茶菓子のお供にでもお付き合いを願えればと思う。
当然だがリメイク要素を含めゲームの内容のネタバレがあるためご了承頂きたい。


小学生時代


それはもう遠い過去の話、28年前のことである。
1996年3月9日にスーパーファミコン用ゲームソフト
「スーパーマリオRPG」が発売された。

携帯電話はあったがTwitterもInstagramもなく、インターネットも各家庭まで普及してなかったあの頃。
新作ゲームの情報源はゲーム雑誌や小学館の学年誌、コロコロコミックなど紙媒体が主流であった。
そんな時勢ではあったが「マリオシリーズ初のロールプレイングゲーム」という触れ込みで前評判は上々。
絶大なインパクトを与えたTVCMを記憶している人も多いだろう。

発売を前にして誌上では毎月特集が組まれ否が応でもゲーマー達の期待は高まるばかりであった。

我が家にも同ゲームはやって来た。

1996年の3月だと私は小学3年生の終わり頃、兄は2歳年上なので5年生。
自分ではプレイせず兄や母がプレイするのを後ろで見ていた。
ファイナルファンタジーシリーズなどで著名なスクウェア社(現スクウェア・エニックス)とタッグを組んだだけあって、マリオのゲームではあるがなんとなくFF感も覚えたものである。
攻撃や回復などでHPが増減するあの数字の出方が正にFFシリーズのそれだったのだ。
戦闘時の操作を数回させてもらったこともあるが、バトルコマンドもA・B・X・Yの各ボタンを連打する方法で直感的でわかりやすいと感じた。

「FF感」の話で外せないのは裏ボスともいえる「クリスタラー」の存在である。
何故彼らがマリオRPGに出現したのか当時は全くわからなかった(正直リメイクを経た今でもよくわからないが一種のサービス要素なのだろう)。
プレイ済の方ならよく知っていると思うが、クリスタラーの戦闘時BGMはFF4のバトル2(いわゆる、その面のラストに出現するボスと対峙する時のバトル曲)なのだ。
FF4をリアルタイムで家族がプレイしていたのは1991年、私は幼稚園年中であったためあまり曲は覚えておらず、母が「きゅぴちゃん、この(クリスタラーの)曲、FF4の曲だよ」と言うのを聞いて初めて知覚した。
今考えるとそんなことに気付いた母もまあまあオタクだったのではないか?

そんなことはどうでもいいが、とにかく「対クリスタラー戦」もとい「バトル2」の勇ましさ、荘厳感、高揚感とクリスタラーの手に負えなさが相俟って強烈な印象(トラウマともいう)をプレイヤー達に残したのである。

また、小学校で私の1学年下だったユウト君だったかユウヤ君のことを思い出す。昔過ぎて名前がどっちだったかはっきり思い出せないのだ。
ここでは仮にユウヤ君と呼ぼう。
どこで顔を合わせて何をきっかけに話すようになったかは全く覚えていないが、確かユウヤ君と兄がゲームのことで話すようになり、そこから私とも顔を合わせるようになったのだろう。
とにかくゲームの話をよくしていたのは覚えている。
ああそうだ、ユウヤ君が「オレはT(私の兄)の弟だから、きゅぴの弟でもあるだろ?」などと言っていたことを思い出した。
どういう理屈だか全くわからないがそう言われて悪い気はしないものだ。
兄がある日学校から帰ってきて「ユウヤもクリスタラーがなかなか倒せないと言ってた」と零したことがある。

そんなユウヤ君はある日転校してしまった。
今思えば珍しくできた他学年の友達、もっと話しておけばよかったなと悔やまれる。
ゲームを通して色んな人と話すきっかけができるのは悪くないことだ。


ストーリー面の話をするならば当時も衝撃を覚えたに違いない。
クッパと共闘することは前情報で知っていたのではないか…と思う(なにぶん28年も前のことなので自信がない)。
マロがカエルの子でないこともわかっていたはずだ(ゲーム付属の説明書でもほんとはカエルの子じゃないんだよ…っていう匂わせがあったと記憶しているし)。

特に衝撃的だったのは
・ブッキータワーのにんぎょうさがしゲーム
・リップルタウンでスターピースを奪われてしまうところ
・メリー・マリー村で強制労働させられること
だっただろうか?
それから、マロが王子様だったのには驚いたかもしれない。

いうまでもなくクリア時のジーノとの別れは寂しいものであった。
トイドーの持ち物であるジーノ人形から星の形の魂が分離するシーンを目にするたび、
浮かんでいる星の姿の彼を「ジーノ」と呼んでよいのかわからなくなる。
名を呼ぶ時に肉体を呼ぶべきか魂を呼ぶべきか、あのシーンはその問題を私達に提起しているのかも知れない。
というのは飛躍しすぎか。

キャラクターでいうと、当時は正直そこまで注目していなかったかも知れない。
ジーノのこともかっこいいとは思っていたけれども…という感じである。
小学3、4年生はそんなものだ。

という感じで「スーパーマリオRPG」が私に与えた影響は絶大なものであった。バトルシステムもストーリーもミニゲームも、「なにかんがえてるの」等のネタ要素もBGMもどれも大満足できた。

それに、この年(96年)の7月に病気で亡くなった母と最後に家族団欒できた思い出のゲームともいえる。
もし健在だったら綺麗なグラフィックにオーケストラが奏でるBGMを携えて蘇ったマリオRPGで一緒に盛り上がりたかった。

大学生時代から

(この項、出来事の前後関係などあやふやであるためご容赦願いたい)

私は年月を経て大学生になっていた。
聡明な諸兄諸姉ならおわかりであろうが、人は大学生になると悪いことを覚えるものだ。
酒?タバコ?(よい子は20歳になってからにしましょうね)
それもあるだろうが
私の場合、その「悪いこと」とはインターネットであった。

まだ我が家にはインターネット環境がなく、携帯でネット検索はできるがパケ死(パケット通信料が高すぎて終焉を迎えること)が怖くそんなに思う存分使えない。
しかし、大学に来れば学習の名目でパソコンが自由に使える。
mixiができる。2chができる。YouTubeが見れる。ニコニコ動画が見れる。

そんな感じで毎日パソコン室に入り浸っていた私はある日とんでもない動画を見つけた。
幼い頃よく聴いた「森のキノコにご用心」をBGMに謎の人物が踊っているのである。
…なんだこの動画?

これが俗に「VIP先生」と呼ばれるものだ。

ご存知の方も多いであろうが念のため説明しておくと
この動画は「森のキノコにご用心」の曲に外国の方が英語の詞をつけて歌唱し、
それを「メトロポリス」という1927年公開の映画のワンシーンに乗せている動画である。
「VIP先生」というのは歌詞の
”Many of which drive some peeps insane."
の太文字部分の空耳である。

この動画は非常に中毒性があり、空耳歌詞を覚えるのは勿論のこと
原曲の英詞をノートに書き写すなどしていた。
この英詞を書いた人の強烈なマリオRPG愛に感服しきりであった。

このVIP先生騒動が作曲家の下村陽子先生の耳にも入り、
ある日コメントを残されていたのには笑ってしまった。


それと同時期に本家ゲームも注目を集めるようになり、
ニコニコ動画ではあキら氏の「フルボイスマリオRPG」が脚光を浴びていた。
タミフルを服用したかのようなマリオの昂った「ヤッフー!」の声は「マリフル」と呼ばれ絶対的な信仰支持を得ていたし、
ジーノの声は声優の緑川光さんを思わせるような美声でますますジーノのイケメン度が増す結果となった。
マロは可愛らしい声かと思いきやなぜか力士風だし、キノピオに至ってはニャンちゅうであった。

あキら氏の発する七色の声に毎回舌を巻くばかりだったのだ。


このフルボイスマリオRPGを楽しく視聴しつつも本家本元のリメイクに期待を寄せていたのは私だけではないはずで、寧ろ熱望する声が圧倒的だったのだが
その頃掲示板では「任天堂とスクエニの確執のため、リメイクは絶望的」という見方が大勢であった。
コロコロコミックで今も連載中(2024年9月現在)の「スーパーマリオくん」のスーパーマリオRPG編も、当時は「事情があって」コミックスに収録されていなかったのである。

もうひとつ紹介しておきたい動画がある。
ティタン氏の低レベルクリアだ。
雑魚戦を避け、ボス戦の経験値も「ラッキー」のはずれを狙うことで
獲得経験値を0に近い状態にしてクリアするものである。

スペシャルわざの「ジャンプ」は効果が蓄積するため
積もり積もってカジオーさえも倒すことができる、という理論ではあるが
「言うは易く行うは難し」の諺がここまでしっくりくるシチュエーションもそうそうないだろう。
「ジャンプ」のダメージを充分に与えられたとしても相当な根気が要ると思うし、
やっとの思いで敵を倒せてもはずれの卵が出なければリセットしなければならない。
相当の時間と労力を費やしたことだろう。
ティタン氏に改めて敬意を表明する。

と、こういった状況でマリオRPGが多くの人に愛されていることを知ることはできたが当時はリメイクの吉報に立ち会うことはできないまま、私は大学を卒業し社会人になった。

この期間にスーファミ版やWiiUのVC版をちまちまプレイしていた記憶がある。


2023年6月

その瞬間をどう迎えたかははっきり覚えていない。
その日私はスーファミのグラフィックで何度も見た光景を目にしていた。
少し粗いドット絵で描かれているのは、マリオの家の前のお花畑にいる楽しそうなピーチ姫。


ただ、いつもと違ったのは
そのピーチ姫を星の光が囲んで照らしたかと思えば一気に眩くなり、2023年の鮮明なグラフィックで蘇ったのだ。




「スーパーマリオRPG」27年越しのリメイクが叶った瞬間である。


嬉しさのあまり外国で撮影されたと思しきニンテンドーダイレクトのリアクション動画をいくつも見たし
喜びあまってリメイク発表記念のファンアートまで描いてしまう始末である。

想像よりも多くの人々が歓喜していたのを記憶している。
普段マリオシリーズに然程興味を示さない友人も喜んでいたほどだ。
27年といえば四半世紀以上の長い年月で、少し待たされすぎたかもしれない。
しかし改めて考えてみると任天堂とスクウェアの史上最強タッグが世にもたらした珠玉の作品がリメイクされる場はそれなりの大舞台であるべきだ。

Switchの画像は非常に鮮明で綺麗だしサウンドも美麗で重厚、オーケストラの再現性も高い。
3DSなどもよいゲーム機ではあったが、Switchでこそリメイクされるべき作品であるためその機が熟すまでゲームの方が待っていた…そんな風に捉えることもできるな、と今は思う。
11月の発売がとても待ち遠しく感じた。


2023年11月


遂に発売日が来た。
だが私はすぐにプレイすることができなかった。
発売の週の週末、野球の試合を観に行くため東京に遠征していたのだ。
(11/18〜19に東京ドームで開催されたアジアチャンピオンシップ。終電の新幹線を逃したがとても楽しく観戦することができた)

仕方ないので帰ってきてからなるべく情報をシャットアウトしてプレイした。

スーファミ版との違い

最初に戸惑ったのは、アクションコマンドのタイミングがスーファミ版と微妙に違うことであった。
ジーノの武器はその武器ごとに異なるし、「かみなりドッカン」などはスーファミ版とのタイミングの違いが顕著である。
逆に「ジーノカッター」はタイミングが合わせやすい気もするけれども、全体的に難化していないだろうか?

また、オートセーブ機能は非常に助かった。
この機能について説明するチュートリアル役のキノピオが
「いい時代になりましたね」などと宣うのだが
私はこのゲームのメタ要素も大好きなのである。

3人わざも心が躍るものだった。
虹の道を滑走していくマリオ、マロ、ジーノの
「スターライダーズ」こそが基本パーティだと私は主張したい。

下村先生が新たにアレンジを加えた音楽も想像以上に素晴らしかった。
雑魚戦の音楽が転調するのはかなりテンションが上がるし
「森のキノコにご用心」のオーボエには聞き入ってしまうし…
音楽の話だけで1万字超えてしまいそうなのでこの辺で自重しておく。

ミニゲームは難化している印象があった。
特にヨッシーのレースはスーファミ版の調子でやっていると
チュートリアル役のキノピオに「やる気あるんですか?」とキレられ駄目出しを受けてしまう。
やる気は充分にあるが君が説明不足なのである。

カブトムシも、樽を踏んづけるタイミングが難しくて
あまり採ることができなかった。
ワイン川下りは元から苦手なのであまりやっていない。
ちくわブロックだってそうだ。
トロッコは2D部分だけ頑張るものである(頑張れているとは言っていない)。
モグラ叩きは楽なものだ。一つの土管に目星をつけてトゲへいにだけ気をつけていればそれなりのスコアが狙える。

ミニゲームが苦手でも物語の大筋に影響がないところは
マリオRPGの誇るべき長所である。

敵とのバトルについては易化しているように感じた。
そのためあまりレベルを上げすぎないように進めていった。
クリスタラーをなるべく低レベルで倒したいのでモンスタウンまで
雑魚戦を避けつつ「なにかんがえてるの」だけやっていたのだが、
「ひまんパタこうら」を手に入れるにはマシュマロ王国までクリアしなければならない。
「ひまんパタこうら」なしで倒せって?
できたらやってる。


これについては今後、より低いレベルで挑戦したいと思う。

2周目の強くなったボスキャラ達については
ほほーやるな…といった思いであった。
一度玉砕してから装備やパーティメンバーを創意工夫し、何度も挑むという経験が出来て楽しかった。

蛇足ではあるが強化ペパットに勝利した後の彼の悲しそうな顔、
クッパの役に立ちたいという想い…
非常に胸が熱くなった。


イレギュラーな楽しみ方ではあると思うが、
Switch本体の表示言語を変更するのも面白いものである。
Twitterのフォロワーさんは英語に変更し、日本語版との細やかな台詞のニュアンスの違いを楽しんでいた。
私はというと高校2年次から大学3年次まで中国語を履修していたこともあり
簡体字中国語への切替を試みた。

平易な単語はまあ読めなくもない。
しかし中国語表示にしたままクッパ城のクイズに挑んだが中々難しい。
時間制限があるためじっくり選択肢を読めないのだ。


誰が瞬時にわかるんだこの選択肢の違い!
看不清楚了!

と危うくSwitch本体を投げ飛ばすところだった。

クイズの出題画面のスクショを撮影し、選択肢をじっくり読んでから再戦を挑むことでなんとかクリアすることができた。

ほかにも「なにかんがえてるの」の表現にも言語毎の違いが見られるし
言語学習が好きな方には是非実践して頂きたい楽しみ方である。
私も次は英語に切り替えて色々楽しむつもりだ。

ジーノ

キャラについても語っていきたい。
今考えてみると私のメカクレキャラ好きは
ジーノに端を発するものかも知れない…?

と思う今日この頃である。
(あるいは鬼太郎かも知れないが、二者のどちらかではあるはずだ)


異世界から颯爽と現れた気障キャラ、
片メカクレ、
物理も魔法も強い、
他者の身体を借りて戦う、
物語のエピローグで元居た世界に戻る、
一人称がカタカナの(←ここ重要)「ボク」…

属性てんこもりではないか。
96年の時点でそんなに盛ってどうするんだ?
武器工場でオタク量産型を生産しているのか。
その量産された結果の一つがこの私だ。
任天堂ありがとう、スクウェアエニックスありがとう。

マリオRPG自体が当時のマリオゲームの中でかなりの異色であることに
疑いの余地はないけれども
ジーノのキャラ自体も相当異色だったに違いない。
先述した「スーパーマリオくん」の作者の沢田ユキオ先生も
コミックスの折り返しに「ジーノは(クールキャラだから)動かしにくい」と書いていた。
だから出番が少ない上に別行動させられていたのか…

その後発売されたマリオのRPGゲームにはいろいろな曲者が出てくるが、
ジーノが生まれなければ彼ら彼女らも生まれなかったかも知れないと思うと
ジーノの、マリオRPGの残した功績は大きいものである。


また、少しエモーショナルな話をするが
この度のリメイクが叶ったのは
偏に「人々の願いがスターロードに届いたから」なのではないか?


何度も何度も夢見て、そして散って行った思い。
今の綺麗なグラフィックで幼い頃遊んだ思い出のゲームをプレイしたい、
再び動くマロやジーノが見たい、
立体になったクリスタラーと戦いたい、
あいつの「なにかんがえてるの」の意味がわかるようになった今、大人になった今こそ噛みしめたい…

そんな願いが年月を経て天空に届き、ジーノが叶えてくれたのだろう。
1周目のエンディングからの流れから鑑みても
ジーノ自身が再び冒険することを選んでくれたのだと私は確信している。
このゲームにおいてジーノの存在はそこまでに大きいものだったのだ。

マロ

また、マロの功績もまた大きなものである。
幼少期に実の親と生き別れ、
別の親に育てられた、
魔法が強力な、
杖を持った少し臆病な子供…
とくればFF9のビビを想起する人も少なくないだろう。
(年代的に言えばマロの方が先であろうが)

私は勝手にマロの年齢を10歳前後だと想定している。
幼い子供がベロ~ムやユミンパに怯えるのは言ってしまえば当たり前のことだ。
だがそんなマロも、果敢に敵に立ち向かうマリオの勇姿に影響を受けて少しずつ成長していく。

星の降る丘で親の願いをたまたま見つけてしまって涙を堪える…
そんなん泣いて当たり前だ。
なのにマロは自己を奮い立たせて前進し、強敵を倒して実の両親との再会を果たす。


(話はズレるが私はマルガリータとドドとの戦いの時必ず
マリオ・マロ・ジーノの並びにしているため
マロとドドの真・贋王子のタイマンが発生する。
同様の人は多いと思うし、これはかなり胸熱な戦いではないだろうか?)

試練を乗り越え、自己の欠点を補おうとするマロに
今改めて勇気を貰うのだ。

クリスタラー

クリスタラーにも言及せねばなるまい。
スーファミ版でクリスタラーを倒した後、
平面に描かれた彼はマリオ達が持つ立体の力が自分に欠けているものだと悟り
いつの日か再びマリオ達に相まみえんと欲し、別れを告げるのだ。

立体になることを果たしたクリスタラーの姿に驚かない人がいるだろうか?
少なくとも私は驚いた。


同時に、このゲームに年齢制限を設けなくてよいものかと狼狽した。
「立体の力を手に入れる」というのは、攻撃力とかの戦闘のための力のことであって
決して人に劣情を催させるような力を得ることではないだろう…

いや、勿論とても強かった。
「エンドコンテンツ」なんて言葉を知っていることにも驚いたけれども。
彼はひょっとしたら覚えなくていいことを覚えてしまったのかも知れない。
彼が力を手に入れてマリオ達と再戦することに喜びを感じているなら何よりだけれども。

クロコ

キャラについて一人ひとり語っていたらキリがないので彼で最後にするが
クロコもまた強烈なキャラである。
狡い盗賊、
スペイン語の挨拶をするのに一人称は「ミー」、
気障ったらしいナルシシスト、
主人公の隣にいるキャラに異常な執着を見せる…

なんだお前かまってちゃんか。
小学校によくいる「好きな子に意地悪しちゃう」キャラだろ?
マロに嫌われるぞ。

そんな鼻につくクロコもラストダンジョンの手前で優れたアイテムを売ってマリオ達の手助けをしてくれる。
いわばツンデレキャラの先駆けである。

まあ…マロに振り向いてほしいならもう少し優しくしようね…
ツンデレって割合が大事だったりするから。


まとめるつもりは全然ないまとめ

改めて「スーパーマリオRPG」に向き合って、無理やり一つの形容詞にまとめるとすると

楽しい。


この一言に尽きるのだ。
勿論「楽しい」だけではなく苦難の日々もあったわけだが人の心の「楽しい」を増幅させる作用がこのゲームにあることには疑いの余地がない。

熱の高低こそあれど28年も同じゲームを愛好していることには我ながら驚くばかりだが、私はこれからも「スーパーマリオRPG」と共に楽しく歩んで行きたい。


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