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ハルマゲドンエホバの証人の視点バージョン

**エホバの証人(Jehovah’s Witnesses)**は、19世紀後半に米国で興ったキリスト教系の新宗教であり、聖書を熱心に研究し伝道活動を行うことで知られています 。本記事では、その歴史、教義と信仰の特徴、終末論(ハルマゲドン観)、そして社会的影響と論争点について、客観的かつ公正な視点で詳しく解説します。

1. エホバの証人の歴史

創設者ラッセルと初期の活動

エホバの証人の創始者はペンシルベニア州出身のチャールズ・テイズ・ラッセル(1852–1916)です 。ラッセルは1870年代に聖書研究グループを結成し、当時の主流教会の教えに疑問を抱きながら独自に聖書を体系的に研究し始めました  。1879年には機関誌「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」(現在の「ものみの塔」誌)を創刊し、自らの聖書解釈や終末予測を発信しました 。このグループはやがて「国際聖書研究者協会(IBSA)」と呼ばれるようになり、ラッセルを中心に信徒が増えていきました 。

「ものみの塔」聖書冊子協会の設立と発展

ラッセルは伝道のための出版物配布を重視し、1881年に「シオンのものみの塔冊子協会」を設立、1884年にはそれを法人として正式に登録しました(初代会長はラッセル) 。この法人は後に名称を変更し、現在エホバの証人の主要法人である「ものみの塔聖書冊子協会」(米国ペンシルベニア州)がその前身です 。ラッセル在世中から国外への宣教も進み、1900年には最初の支部事務所がイギリス(ロンドン)に開設され、20世紀初頭までに約28の国や地域で宣教活動が展開されました 。1909年には世界本部をニューヨークのブルックリン区に移転し、国際的な布教体制を整えました 。1916年にラッセルが没すると、後任のジョセフ・F・ラザフォードが1917年に2代目会長に就任し、組織の方向性に大きな影響を与えていきます。

20世紀における組織の拡大と変遷

ラザフォード会長の時代(1917–1942)に、エホバの証人の教団は大きく変革しました。彼はクリスマスや誕生日など従来行われていた行事を廃止し、十字架の使用も否定しました。また「地上での永遠の命の希望を持つ大群衆(グレートクラウド)」という教義を導入し、1931年には信徒の呼称として「エホバの証人」という名称を正式に採用しました (それ以前、信者は主に「聖書研究者」などと呼ばれていました)。ラザフォードの統率下で、ラジオ放送や大規模大会を通じた宣伝活動が活発化し、信者数は増加しました。一方でラッセル死去後の路線変更に反発した一部の信徒が離脱し別派を立ち上げる動きもありましたが、ラザフォードは組織と資産の管理権を掌握し教団を一本化しました 。

第二次世界大戦前後の時期、エホバの証人は各地で迫害や禁止措置に直面しました。特にナチス・ドイツ下では1933年に布教活動が全面禁止され、戦時中、多くの信者が強制収容所に送られ殉教者も出ました 。戦後は米国などで信教の自由に関する裁判闘争(例:国旗敬礼拒否をめぐるバーネット事件など)を経て活動の合法性を確立し、世界的な布教を再開します。1942年にラザフォードが没すると3代目会長N・H・ノール(ナサニエル・ノア)に交代し、この頃から聖書教育や宣教者訓練が体系化されました。1950年には独自の聖書翻訳である新世界訳聖書の英語版(ギリシャ語聖書、新約)が完成し 、1961年までに聖書全巻の英語訳が発行されています 。以降、各主要言語への翻訳が進み、日本語版も1982年に完成しました 。1970年代には統治体(Governing Body)と呼ばれる指導部体制が整い、教団の指導は会長個人から複数指導体制へと移行しました。これらの組織改革と積極的な宣教活動により、エホバの証人は20世紀後半に急速に国際的規模の宗教団体へと成長しました。

現在の活動状況と世界的な影響

現在、エホバの証人は世界規模で活発に活動しており、その影響力は宗教界でも無視できないものがあります。2024年の公式発表によれば、エホバの証人の全世界の伝道者(積極的信者)数は約904万人にのぼります 。地域別ではアメリカ合衆国が約125万人と最多ですが、日本も約21.4万人とフィリピンに次ぐ規模の信者数を抱えており 、各都道府県に「会衆」と呼ばれる地域集団が存在します。組織の世界本部は現在ニューヨーク州ウォーウィックに置かれ、統治体と呼ばれる指導者グループが教理や活動方針を統括しています 。伝道は「王国宣教」と称され、現在も一人ひとりの信徒が戸別訪問や街頭での出版物配布、オンラインでの布教などに奉仕しています。教団は非常に国際的かつ多言語に活動しており、その公式サイトJW.orgは2024年時点で手話を含む1090もの言語で閲覧可能とされ、これは世界のウェブサイト中最多の言語対応数です 。また、月刊誌「ものみの塔」や「目ざめよ!」は数百以上の言語で発行されており、発行部数は世界有数です。こうした出版・翻訳活動や戸別訪問による宣教は、各国の人々にエホバの証人の教えを浸透させる大きな原動力となっており、現代社会における宗教伝道の一形態として注目されています。

2. 教義と信仰の特徴

聖書解釈の特徴(新世界訳聖書の使用)

エホバの証人は聖書のみを信仰と生活の唯一の指針と位置付けており、自らの教理は聖書に厳密に基づくと主張します。その際に用いられるのが教団独自の翻訳である『新世界訳聖書』です。新世界訳はヘブライ語・ギリシャ語原典からエホバの証人の神学観に沿って翻訳されたもので、神の名である「エホバ」が旧約だけでなく新約聖書中にも復元されている点が特徴です。エホバの証人は、新世界訳聖書によって原語に忠実かつ明確な理解が得られるとし、公の集会や個人研究でこの訳を用いて教義を学びます。聖書の解釈においては、逐語的・文字通りの読み方をする傾向が強く、預言解釈や年代計算にも独自の解釈を適用します。その結果、伝統的なキリスト教諸教派とは異なる教理がいくつも生まれています(後述)。統治体から示される解釈や指針は各信者にとって事実上拘束力を持ち、定期的に刊行される「ものみの塔」誌や書籍を通して教義の細部や変更点が周知されます。エホバの証人はこのような指導に従順であることを重んじ、自らを「聖書の従順な学生」であると位置づけます。

エホバ(神)とイエス・キリストに関する教え

エホバの証人という名称が示す通り、彼らの信仰の中心にはエホバ(Jehovah)と呼ばれる唯一神への崇拝があります。「エホバ」は聖書における神の固有名(四文字語YHWH)の英語読みで、日本語の教団出版物では「エホバ神」と表記されます 。エホバの証人はこの神の名を神聖視し、礼拝や祈りに頻繁に用いるだけでなく、宗教団体の名称にまで採用しています。一方、イエス・キリストについては神の子であり人類の救い主と認めますが、「全能の神ではなくエホバによって最初に創造された存在」であると教えます 。すなわちイエスは父なる神エホバと同格ではなく従属的立場にあるとし、三位一体の教義を否定します(後述) 。また、エホバの証人はイエスの前存在(受肉前の姿)について大天使ミカエルと同一人物であると理解しています 。このように伝統的なキリスト教のイエス観とは大きく異なり、イエス崇拝ではなくエホバ神への崇拝に重きを置く点が特徴です。ただしイエスの地上での贖いの犠牲(十字架刑そのものは否定し、実際には一本の柱で処刑されたと教える)は人類救済に不可欠と信じ、祈りも「イエスの御名によって」と締めくくるなど、救済者・大祭司としてのキリストの役割は強調します。

三位一体否定、魂の不滅否定、血の輸血拒否などの教義

エホバの証人は教義面で伝統的なキリスト教信仰といくつかの重大な相違があります。その主なものを挙げます。
• 三位一体の否定: 父・子・聖霊が一つの神格を成すとする三位一体教義は「非聖書的な異教起源の教え」であるとして明確に否定しています 。彼らは唯一神エホバのみを神とし、イエス・聖霊はそれに従属する存在と位置づけます。このためエホバの証人はカトリック・正教会・プロテスタントなど他教派からは異端的とみなされています 。実際、歴史上のアリウス派(キリストの神性を否定)に近いとも指摘されています 。
• 魂の不滅(霊魂不滅)の否定: 人間の魂は死後も存在し続けるという一般的な教義を取らず、「魂(人格)は肉体の死と共に消滅し、復活によってのみ再び命を得る」と教えます 。つまり人は死ねば無意識の状態になり、地獄の火で永遠に苦しむようなことはなく、未来の復活まで意識はないとします。この見解(霊魂消滅説)は、霊魂不滅を前提とする伝統的な天国・地獄観とは大きく異なります。
• 血の教律と輸血拒否: エホバの証人は聖書内の「血を絶対に口にしてはならない」(レビ記17章14節 等)という記述を文字通り遵守すべき戒めと考えます 。彼らの解釈では、これは医療行為であっても他者の血を自分の体内に取り入れることを禁じているとされ 、その教えに基づき輸血を宗教的信条として拒否します 。この立場は1945年に教団指導部によって公式に示され、以降すべての信者が守るべき倫理とされました 。現在では自己血輸血や一部の血液分画製剤の使用については各人の良心に委ねられていますが 、全血や主要成分の輸血は厳禁です。血液は「命を象徴する聖なるもの」であり、故意に輸血を受ければ「神との関係における霊的生命」を失い永遠の命の希望を失うとまで教えています 。この独特の血に関する教えは、医療現場で物議を醸し社会問題にもなっています(詳細は後述)。
• 偶像崇拝の禁止: エホバの証人は十字架や聖像などの宗教的シンボルをいっさい崇拝しません 。十字架は異教に由来する偶像と見なし、キリスト教会で用いられる聖像やマリア像なども崇敬の対象とはしません。同様に、世俗的なシンボルである国旗や国歌に対する敬礼も「偶像崇拝に当たる」として拒否します 。これも広義では宗教上の教義に基づく立場といえます(政治的中立の項で詳述)。
• その他の特色ある教えや慣行: この他、エホバの証人はクリスマスや復活祭、誕生日などの祝祭行事を「異教起源で反聖書的」として一切祝わないこと、喫煙や薬物乱用を罪と見なすこと、原則として信者同士でのみ結婚することなど、独自の教理・倫理規範を数多く持っています 。これらは全て聖書の記述を根拠に教団が定めたものであり、信者は日常生活においても細かい点まで遵守に努めています。

宣教活動と王国会館での集会の意義

エホバの証人の信仰生活でもっとも重視される実践の一つが、宣教(伝道)活動です。イエス・キリストの命令「全ての人に王国の良いたよりを宣べ伝えなさい」に従い 、信者は皆「伝道者」として自発的に布教に参加します。伝統的には戸別訪問(家庭訪問)が主な手法で、聖書の教えを簡潔に伝え宗教出版物(「ものみの塔」「目ざめよ!」誌や冊子類)を配布し、希望者には家庭での聖書研究(聖書の通信教育のようなもの)を無料で提供します。このような一軒一軒訪ねる伝道は世間でもよく知られ、しばしば玄関先で宗教の勧誘をする姿が目撃されます。近年では訪問以外に駅前や街頭でスタンドを立てて書籍や雑誌を展示し話し相手を待つ形の宣教、電話やインターネットを用いた伝道も行われています。宣教活動はエホバの証人にとって信仰を示す最重要な「奉仕」であり、バプテスマ(浸礼)を受け正式信者となった者はできる範囲で定期的に伝道に参加することが求められます。各個人の奉仕時間は「報告書」として記録され組織に集計提出されますが、これは義務と言うより励みとして推奨されているものです。

もう一つ信徒の霊性の柱となっているのが、王国会館での集会です。「王国会館」(Kingdom Hall)とはエホバの証人の礼拝所の名称で、教会という言葉をあえて用いずこう呼んでいます。各地の会衆ごとに週に2回、王国会館で定期集会が開かれます 。週末の集会(公の礼拝に相当)ではまず聖書に基づく30分程度の講演が行われ、その後『ものみの塔』誌の研究記事をテキストに聴衆全員で質疑応答形式の討議を行います 。この週末集会は一般の来訪者にも開かれており、エホバの証人以外でも自由に参加・傍聴することができます。一方、平日夜に開かれるもう一つの集会は「奉仕のための集会」で、こちらは伝道活動における実践的な訓練に特化したプログラムとなっています 。聖書朗読や模擬対話形式の発表、信者による体験談の紹介など、伝道者としての資質を高め合う内容です。これら集会は学校の授業にも似た参加型の形式を採り、出席者は発言や討論を通じて理解を深めます。集会の冒頭と終了時には賛美歌(王国の歌)を歌い祈りを捧げるのがお決まりで、中間にも休憩代わりに賛美歌が歌われます 。エホバの証人はこの定期集会への出席を非常に重視しており、『ヘブライ人への手紙』10章25節の「集会をやめたりしないように」という勧告を実践するものと位置付けています。集会は信者にとって霊的糧を得て交わりを深める機会であり、激務の平日であっても都合をつけて出席する人が多くいます。なお、エホバの証人には聖職者(聖職位階)の制度がなく、これら集会で講演や指導を行うのは各会衆から任命された有志の長老(男性信徒の任職)です。長老も含め報酬を受け取る「牧師」は存在せず、全員が平等な立場で神に仕えるというのが建前になっています。こうした集会と宣教を通じて信者は信仰を実践し支え合っており、これら二本柱がエホバの証人の信仰生活の中心的特徴と言えるでしょう。

3. 終末論とハルマゲドンの解釈

エホバの証人の終末論の特徴

エホバの証人は強い終末論的志向を持つグループとして知られます。つまり、この現体制の世の終わりと神の王国による支配の到来が近いという終末観が、創設時から現在に至るまで教理の核となっています。彼らの独自解釈によれば、聖書の預言した「終わりの日」(終末の日々)はすでに西暦1914年に始まっており、現在はハルマゲドン(最終戦争)直前の「最後の時代」にあたるとされています  。これは、ラッセルら初期指導者が聖書年代計算から1914年を「異邦人の時代の終わり」と算出し、キリストがその年に天において見えない形で再臨・即位したと信じることに基づきます 。ゆえにエホバの証人は、イエス・キリストは1914年以来目に見えない臨在を続けており、間もなくハルマゲドンを通じて地上の悪と体制を一掃するために行動を起こすと教えています 。この千年王国復古主義的な思想では、キリスト教の歴史の大半は「滅びゆく悪の体制」の一部とされ、唯一エホバの証人だけがハルマゲドンを生き残る真の信仰者集団だと位置づけられます。終末が近いとの認識は信者の生活観や価値観に大きく影響し、「この世(サタンに支配された現人類社会)のもの」に過度に関わったり将来の長期的計画を立てることを忌避する傾向が生まれます。エホバの証人における終末論は時代によって細部が修正されつつも、「今まさに世の終わりが迫っている」という緊張感を維持してきました。これは彼らの布教熱心さや世俗社会からの分離志向の原動力にもなっています。一方で、主流派キリスト教からは「終末の日付や時期に拘るのは異端的」「度重なる時期計算の失敗は偽預言者の証拠」といった批判を受けてきました。

1914年・1975年などの終末予言とその影響

エホバの証人の歴史を振り返ると、具体的な年を挙げた終末予告や神の介入の予言が何度かなされ、そのたびに組織や信者に少なからぬ影響を与えてきました。まず1914年は、上述の通りラッセルらによって「ハルマゲドンがクライマックスを迎える年」と予測されていました 。実際には1914年に第一次世界大戦が勃発したものの、人類社会は終末を迎えず地上にキリストの王国が直接的に立つこともありませんでした。このため教団は解釈を調整し、「1914年にキリストは見えない形で天に再臨し支配を開始した、それゆえ世の終わりは目に見える劇的な形ではなく霊的に始まった」と教えるようになりました 。以降、「1914年以降生まれの世代が生きているうちにハルマゲドンが来る」との主張が長年なされましたが、該当世代の高齢化に伴い現在では「1914年から終末まで生き延びる“世代”」の概念を見直す教義変更も行われています。

1914年以降も、教団内部では終末に関連する具体的年代の言及が続きました。例えば1920年代には当時の文献で「1925年に旧約聖書時代の忠実な人物たち(アブラハムやモーセ等)が復活する」と示唆され 、米国カリフォルニア州サンディエゴにその受け入れ施設(ベス・サリムという邸宅)まで用意されました。しかし1925年にもそうした出来事は起こらず、期待していた信者が落胆し離脱者が出る一因となりました。さらに教団が大きく揺れたのが1975年に関する予測です。1960年代後半の教団出版物は、「人類創造からちょうど6000年に当たる1975年頃にキリストの千年統治(最後の千年間)が始まる」という趣旨の記述を重ねて載せました 。それを読んだ多くの信者は「1975年にハルマゲドンが起こる可能性が高い」と受け止め、当時は世俗の仕事や財産整理よりも伝道に専念する動きが広がりました。しかし1975年が過ぎても世界の終末は訪れず、教団指導部は後に「特定の年に過度の期待を抱いたのは一部信者の推測であった」と弁明しました。とはいえ、この予期外れにより成長率の鈍化や離脱者増加が一時的に起こり、エホバの証人の終末論にも見直しが迫られました 。1975年以降、教団は**「終末の具体的な日時を設定することはない」と公言するようになり 、現在では「日付を特定するのではなく、聖書の“しるし”によって終わりが近いことを識別する」という立場に軟化しています。それでも尚、「終わりは非常に近い」というメッセージ自体は繰り返し強調されており 、21世紀に入っても「20世紀が終わるより前にハルマゲドンが起こると示す多くの兆候がある」 などの言及が過去になされたことがあります。総じて、エホバの証人は創始から現在まで幾度か終末に関する予測の修正を行いつつも、一貫して切迫した世の終わり**を信じ、その警告と希望(後述の楽園の約束)を伝える使命感を持ち続けています。

ハルマゲドンの戦いに関する教えと救済の条件

エホバの証人は、近い将来に起こる神の最終戦争「ハルマゲドン」について具体的なビジョンを持っています。彼らの教えるハルマゲドンとは、全能の神エホバが王であるキリストと天使の軍勢を率いて、人類社会の悪と反抗者を一挙に滅ぼす全世界規模の戦争です 。その際、現在の人間の政府や制度はすべて終わりを迎え、サタンと悪霊たちは封じ込められると信じます。ハルマゲドンでは地上の巨大な軍隊や国家も神の力の前に歯が立たず、「この世」そのものが終焉を迎えるとしています。では誰がこの終末の戦いを**生き延びる(救われる)**のでしょうか。エホバの証人の教義では、「真の神エホバを信仰し従う人だけ」がハルマゲドンで守られるとされています。具体的には、ハルマゲドン前にエホバ神に自分を捧げバプテスマを受け、「エホバの証人の一人として神に仕える」人でなければ救われないと教えます 。この条件は非常に排他的で、事実上「救われるためにはエホバの証人になるほかない」ことを意味します 。彼らは他宗教では救いに必要とされる洗礼や善行についても、「イエスへの信仰に加えてエホバへの献身と証人としての奉仕が不可欠」であると強調しています 。したがって、ハルマゲドンが差し迫ると信じるエホバの証人たちは、自分たちの伝道によって一人でも多くの人を「真の宗教」に改宗させ、救いの機会を提供しようと精力的に活動しているわけです。ハルマゲドンで生き残れるのはごく限られた「忠実な者たち」だけであり、それ以外の大半の人類は神の裁きによって一度滅ぼされる——この厳しい終末観は、他教派や世間からしばしば批判や不安の目を向けられる点でもあります。しかしエホバの証人自身は、この教えはノアの洪水の例(忠実なノア一家以外は滅んだ)に倣った聖書的真理であるとし、むしろ唯一の救いの方策を伝える愛ある行動だと捉えています。なお、ハルマゲドンで滅ぼされた人すべてが永遠に失われるわけではなく、その後の復活で多くが再び命を得る機会がある、とも教えてはいます(次項参照)。

未来の千年王国と楽園地球の概念

ハルマゲドン後、エホバの証人は神の約束する千年王国が地上にもたらされると信じます。これはキリストが1000年のあいだ地上を統治する王国であり、その期間にサタンは封印され、人類は罪や不完全さから徐々に解放されるとされます。エホバの証人の終末論によれば、この千年王国の統治により地上はもとのエデンの園のような楽園に回復していきます 。ハルマゲドンを生き延びた者たち(「大患難から来た大群衆」)と、ハルマゲドン後に順次復活する無数の死人たちが協力して地上を開拓し、美しい楽園にするというビジョンが描かれています 。具体的には、戦争や犯罪のない平和な社会で、病気や老衰も無くなり、人々は永遠に近い寿命を得て、狼と子羊が共に草を食むような楽園環境で暮らすといった理想が示されています。千年が終わる時にサタンは最後に一時的に解放され、人類への忠誠を試みますが、最終的に彼と彼に従う者は完全に滅ぼされます。それによりアダム以来続く「罪による死」は完全に打ち消され、義なる人類のみが永遠に地上で生き続ける——これがエホバの証人の描く最終的な希望です 。なお、彼らは将来の希望に関して二つのグループの存在を教えています。一つは「小さな群れ」と呼ばれる天上の希望を持つ144,000人の集団で、これは選ばれた者のみがキリストと共に天に復活し王国政府に参与するとされる限定的な数です 。もう一つは「他の羊」または「大群衆」と呼ばれる地上で永遠に生きる希望を持つ人々で、これは数に限りはありません。エホバの証人の大多数はこちらに属し、ハルマゲドン後の楽園地上で蘇った死者も含めて生き続ける人類となります 。この地上グループの概念はラザフォード時代に明確化されたもので 、エホバの証人の希望を「天に行く少数」と「楽園地上に残る大多数」に分ける独特の教理として定着しました。以上のように、エホバの証人の終末観・救済観は他教派と比べて非常に具体的かつ排他的です。それゆえ信者にとっては強い動機づけ(伝道や自己犠牲への原動力)となっていますが、外部からはしばしば「世界の終わりを煽るセクト」と見なされる原因ともなっています。

4. 社会的影響と論争点

教育、医療、政治活動への関与の制限

エホバの証人は聖書の教えを最優先する生活姿勢から、世俗社会における一般的な活動にも制約を設けています。そのため、教育・医療・政治といった分野で独特の立場をとり、社会的に議論を呼ぶことがあります。

まず教育について、エホバの証人は長らく高等教育(大学進学)に否定的な姿勢を取ってきました。1950年代にはすでに「大学で学ぶことは神のみ言葉を聞き行う時間を奪うので望ましくない」と教団が信者に助言しており 、1969年には大学進学を奨励する教育を「信者を洗脳する悪魔のプロパガンダ」であるとまで非難していました 。このため、多くの若い証人は高校卒業後すぐ就職したり、フルタイム伝道者(開拓奉仕者)になる道を選択し、高等教育を避けてきた歴史があります。もっとも教団は1990年代に入り方針を一部緩和し、1992年には「高校卒業後の進路選択は各家庭の自由であり、会衆(周囲の信者)はとやかく批判すべきでない」と表明しました 。しかしながら現在でも「大学での学業が伝道や集会出席をおろそかにさせないように」と警告しており 、結果として信者の大半は大学に進学しない傾向が続いています。事実、アメリカにおける2016年の調査では、エホバの証人成人信者の63%が高卒以下の学歴で、他の主要宗教団体と比べても低い水準でした 。日本国内でも信者の大学進学率は一般平均より低く、「宗教二世」(親が信者として育った子世代)の最終学歴が他宗教に比べ低いとの指摘があります 。このような教育観は、世の終わりが近いという終末論に裏打ちされたもので、「このシステム(現体制)でのキャリアよりも神への奉仕を優先すべき」との価値観が教えられている結果といえるでしょう。ただ、教育を受ける権利や職業選択の自由との兼ね合いで問題視する声もあり、信者だった家庭で育った元信者が「進学の夢を諦めさせられた」などと語る事例も報告されています 。

医療の分野では、前述した輸血拒否の問題が顕著です。エホバの証人の患者は、生命に関わる場合であっても他人の血液を輸血する治療を拒みます 。この宗教的信念は医療倫理や法律と衝突することが多々あり、世界各国で社会問題となってきました 。とりわけ本人の意思判断が十分でない未成年患者の場合、親が輸血拒否を望んでも子の生命を守るために強制的に輸血が行われるケースがあります。例えば日本では2008年、医学会のガイドラインにより「医療側が説得しても親の同意が得られない場合、児童相談所への虐待通告・一時保護を経て親権停止の上、代理人の同意で輸血を行う」手順が示されました 。実際この手順によって幼児の救命輸血が行われた例もあります 。司法の場でも、1985年の大分地裁仮処分や2000年の東京高裁判決で「自己決定権を尊重しつつも、緊急時には医師が必要な処置を行える」という判断基準が示されています 。このように、医療現場では患者本人が成人で意思が明確な場合は自己決定権を尊重する傾向ですが、子どもの場合などは公権力が介入することもあります。一方エホバの証人側も、無輸血治療を支援するため「病院連絡委員会」(HLC)という組織を各地に設置し、医療従事者との調整や代替治療法の情報提供に努めています  。それでもなお輸血拒否により死亡する信者が出ているとの批判に対し、エホバの証人統治体は「輸血しなくても回復する例は多く、むしろ輸血にはリスクが伴う」と反論しています 。輸血拒否問題は宗教的信条の自由と医師の救命責任の衝突として、現在も倫理的議論の的となっています。

政治活動への不関与(政治的中立)もエホバの証人の重要な特徴です。彼らは聖書の「世の権威にではなく神に従うべき」(使徒5:29)という考えから、この世の政治に関与しない立場を取ります。具体的には、選挙で投票したり被選挙権を行使したりしないほか、公職にも就きません 。政党や政治運動への参加も一切行わず、常に中立を保つよう求められます 。さらに、「敵を愛し、人を殺してはならない」という聖書の教えに忠実であるとして軍務や戦争への参加を拒否します 。これは法的には良心的兵役拒否と分類され、徴兵制のある国ではしばしば問題視されてきました 。実際、20世紀にはエホバの証人の若者が兵役拒否を理由に多数投獄される事例が世界各地で起きました (日本では自衛隊への志願制のため顕在化していませんが、韓国などでは近年まで収監例が相次ぎました)。最近では国際的に良心的兵役拒否が人権の一つと認知されつつあり、代替の社会奉仕活動への従事で兵役に代える制度が整備される国も増えています 。加えてエホバの証人は国家への敬意表明も宗教上拒みます。典型的には国旗への敬礼や国歌斉唱を行わないことで、これらを「国家という偶像への崇拝」に当たる行為だと判断しています 。「汝自分の神以外に神を持つなかれ」という戒めへの忠誠から、国旗や国歌に敬意を払うことを偶像礼拝と見なすのです 。ただし、国旗の毀損や掲揚・斉唱の妨害など積極的な対抗行動はせず、あくまで自分たちは静かに不参加を貫くという態度を取ります 。以上のような政治的中立と国家儀礼拒否の立場は、一部の国家や政権から反体制的と見做される原因ともなりました。先述のナチス政権下での迫害はその極端な例ですが、現代でも専制的な国家や一党独裁国家、あるいは愛国心を強調する体制下でエホバの証人はしばしば警戒や敵視の対象となっています。

宗教的迫害や法的問題(各国での禁止や制限)

上記のような政治的・社会的立場、並びに独自の教義ゆえに、エホバの証人は創立以来さまざまな国で迫害や差別、時には法的禁止の対象となってきました。20世紀前半にはナチス・ドイツやファシスト政権下の各国、旧共産圏諸国(旧ソ連・東欧)などで非合法化され、信者が処刑・拷問・投獄される事件も起きました 。現代においても依然としてエホバの証人の活動が制限される国があります。ピュー研究所の調査によれば、2019年時点で世界198か国中41か国が何らかの宗教団体を法的に禁止しており、エホバの証人はバハイ教徒と並んで8か国で禁止措置を受けている最も多くの国で制限されたグループの一つでした 。その例としてロシアでは、2017年に同国最高裁がエホバの証人を「過激派組織」と認定して活動を全面禁止し、組織資産を没収する判決を下しました 。以降、ロシア国内では何百人もの信者が当局による身柄拘束や自宅捜索といった弾圧に直面しています 。またイスラム圏のエジプトでもエホバの証人(およびバハイ教)は長年にわたり非合法化され、公的恩恵を受けられない状態に置かれています 。東南アジアのブルネイでは2019年にエホバの証人・バハイ・アハマディヤの3宗教団体が「逸脱した存在」として新たに禁止されました 。さらに中国では、当局がエホバの証人を邪教(カルト)に類する組織とみなし、信者が逮捕・拘禁・行方不明にされる事例が報告されています 。これらの国々では、エホバの証人であること自体が違法ないし極めて危険な状況となっています。

一方、民主主義国家の多くではエホバの証人は宗教法人格を持ち合法的に活動しています。日本を含む多数の国では、駅前で無防備に立って勧誘したり戸別訪問をしたりできているのが現状です 。しかし欧米の一部では教団の教義や活動方針に批判的な視線も根強く、とりわけフランスやベルギーでは過去にエホバの証人が**セクト(カルト)**として政府報告書に名指しされたことがあります 。フランス国民議会の1995年と1999年の報告では、エホバの証人を含む約30団体が「カルト」に分類され、監視対象とされました 。これに対しエホバの証人側は法廷で争い、2010年にはフランスの公的機関が政府の姿勢を批判して「エホバの証人に対する差別を終わらせるよう」勧告する事態に至り、その後フランス政府も見解を軟化させています 。このように、国ごとに対応は様々ですが、エホバの証人は自らの信仰ゆえに各地で少なからず圧力や法的問題に直面していると言えます。こうした迫害経験は教団内部では「神に忠節を保った証し(殉教精神)の歴史」として語られ、信仰アイデンティティを強める要素ともなっています。

内部の統制や排斥制度の影響

エホバの証人は組織内部の統制が厳格なことでも知られています。教義や規律に反した成員に対しては厳しい宗教的処分が科され、その最たるものが「排斥(disfellowshipping)」と呼ばれる破門制度です。エホバの証人のメンバーが教団の定める聖書の掟に故意に反し、悔い改めが見られない場合、長老たちによる審理委員会を経て排斥処分が言い渡されます 。排斥とされた人は教団の公式集会への出席が禁じられ、信者との交わりも一切断たれます 。この宗教的な絶縁措置は非常に徹底しており、教団内のすべてのメンバー(たとえ同居していない親族や実の兄弟姉妹であっても)から、日常の挨拶すら含めて徹底的に無視・回避されることになります 。同居している家族であっても、食事を共にすることは許されず、生活に必要最低限の接触に限られると定められています 。エホバの証人は会衆というコミュニティ自体が生活の中心であるため、この排斥により本人は社会的に孤立無援の状態に置かれます。それゆえ排斥は信者にとって恐れるべき烙印であり、教義から逸脱しないよう踏みとどまらせる強力な抑止力ともなっています 。教団側はこの措置について、「重大な罪人の悪影響から会衆の清浄さを守るために聖書が定める方法」であると正当化しています (新約聖書のコリント第一5章13節「邪悪な人をあなたがたの中から除き去りなさい」に基づくと主張)。

かつては除名された元成員であっても、本人が自主的に教団を去った場合(=離脱届を出した場合)には交際禁止の対象から除外される扱いでした。しかし1981年に方針が変更され、教団から離脱したすべての人が排斥者と同様に扱われるようになりました 。これにより、たとえ自分の意思で穏便に退会した人であっても現役信者からは排斥者同然に避けられるため、以前にも増して教団から離れることのハードルが高くなったと指摘されています 。エホバの証人の内部統制はこの排斥制度によって維持されている面が大きく、結果として信者の結束は強まりますが、同時に人権侵害や精神的虐待であるとの非難も受けています。特に、生まれた時から親に連れられて信者コミュニティで育った「二世信者」が、大人になって教団の教えに疑問を抱き離脱しようとする際、家族からも絶縁され生活基盤を失うという深刻なケースが多数報告されています。日本でも近年、エホバの証人家庭で育った元信者たちが「親から宗教の強制や体罰を受けた」「輸血拒否の教えで命の危険に晒された」等の体験を公にし、社会問題化しつつあります 。例えば、ある元「エホバの証人2世」の女性は、自身が25年間信じてきた教団を脱退した経緯をコミックエッセイに著し、「カルト宗教を信じていました」という衝撃的なタイトルで、自らの人生から大学進学の夢や人間関係まで宗教によって諦めざるを得なかったこと、そして子供の輸血問題をきっかけに脱会に至った心境を綴っています 。排斥制度の存在ゆえに、現役信者と元信者・脱会者との断絶は深刻で、しばしば家族離散や精神的トラウマを生みます。これをカルト的なマインドコントロールの手法と批判する意見も多く、フランスやベルギーでのカルト認定の根拠の一つともなりました 。他方、エホバの証人側は「排斥はあくまで信仰上の愛の懲戒であり、自発的に復帰を望む者には門戸は開かれている」と説明しています。しかし一旦排斥された者が元の人間関係を回復するのは容易ではなく、この内部規範は現在も物議を醸す論争点となっています。

メディアや学術的な見解

エホバの証人に対する世間の見方は、その独特な信条・慣行や社会との軋轢から、肯定的なものばかりではありません。一般メディアでは、ときおり輸血拒否による死亡事例や家庭内虐待疑惑、信者の関与する事件報道などが取り上げられ、論争が喚起されます。また海外では児童性的虐待の内部処理問題(長老が事件を秘匿し警察に通報しないケースがあったとされる)や、エホバの証人が国際連合の施設を利用していた件(当初の反国連的主張との矛盾が指摘された)などが報じられ、教団への批判材料となりました。日本においても、社会学者や宗教学者がエホバの証人を含む新宗教運動について論じる際、しばしばその高い組織統制や排他的教義に言及しています。学術的には、エホバの証人は「キリスト教系の新宗教」「末日論的セクト」の一例として分類されることが多く、時には「カルト」の範疇に入れられることもあります 。特にフランスやベルギーの政府調査報告でカルト指定されたことは国際的にも知られ、エホバの証人はオウム真理教などと並んで問題視すべきセクトと見なされた経緯があります 。ただし近年では上述のようにフランス当局がその姿勢を改めるなど、公権力による一律な「カルト」認定には批判も出ています 。日本において「カルト」といえばオウム事件の影響もあり極めて危険な団体を連想させますが、エホバの証人は暴力的・反社会的活動は行っておらず、法の範囲内で布教しているため、単純に他の反社会的カルトと同一視するのは不適切との指摘もあります。むしろ米国ではエホバの証人が数々の裁判で勝訴し、信教の自由や表現の自由を拡大させた歴史的事実があります。例えば1943年の米国連邦最高裁バーネット判決は、エホバの証人の学生が国旗敬礼を拒否した事件で「愛国的儀礼の強制は憲法違反」と判断し、以降すべての米国人の思想・良心の自由を守る判例となりました。また、各国で兵役拒否や伝道の自由に関する人権裁判を戦ってきた結果、エホバの証人自身だけでなく社会全体の人権意識向上に寄与した側面も指摘されています。こうしたプラス評価もある一方、依然として主流のキリスト教会から見ればエホバの証人の教理は受け入れ難い異端です。カトリックやプロテスタントの神学者は「キリストの神性や三位一体を否定する点で、初期教会から異端と断罪されたアリウス派と共通する」と評価したり 、「根本的に礼拝の対象が異なり、聖霊ではなく悪霊に導かれている教えだ」とまで批判する人もいます 。事実、多くの伝統的教派はエホバの証人への公式な改宗指導(カウンターミッション)を行っており、教理的対立は続いています。

総じて、エホバの証人は世界的に見ても特異な存在感を放つ宗教団体です。その厳格な信仰生活と排他的教義は、一方では熱心な信者にとって明確なアイデンティティと希望を与え、他方では周囲の社会や元成員との軋轢を生んできました。客観的に見れば、彼らの活動は宗教の自由の下で保護されるべき正当な布教でありつつ、輸血拒否問題や児童の人権など公共の利益と衝突する論点も孕んでいます。エホバの証人は今なお終末の訪れを信じ、「この世」に属さない生き方を貫いていますが、その姿は21世紀の多様化する社会の中で様々な評価と議論を呼び続けていると言えるでしょう。

参考資料(一部): エホバの証人公式サイト、各国の判例、ピュー研究所レポート、宗教学者の研究、元信者の証言など     。

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