名もなき星は君をのせて
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タカハシは見知らぬ小屋の中で目が覚めた。木造の壁と天井、吊るされたランプ。窓際には家と同じ木でできた机とイスがあり、カーテン代わりに掛けられた毛皮が夜風になびいている。
――ここは?
タカハシは天井を見上げながら回想した。確か、土星から木星のコロニーに向かう銀河鉄道をジャックし、星府によって撃ち落されたはずだった。肩や腕に手をあて、感触を確かめる。インナースーツはところどころ破けていた。
――生きている。
起きようとしたとき、全身に痛みが走った。途中まで上がっていた体は再び乾燥した植物と毛皮でできた布団の中に沈められてしまい、その心地よさに脱力する。首を横に向けると、着ていた宇宙防護服が畳んで置かれているのが見えた。タカハシはそれを数秒間眺める。安全装置が起動した痕跡がある。瞬きをふたつすると痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がり、よろよろとドアへ向かい、押し開けた。
星明りは辺りを淡く照らしていた。小屋の横には桟橋が架かっており、黒い船が波に揺られている。女がひとり、砂浜に座りながら、何かに話しかけている。
「お友達、早く良くなるといいわね」
タカハシが女の後姿を眺めていると、気配を感じたのか後ろを振り返った。手に自分の上半身くらいの弓を持っている。40歳には満たないが、タカハシよりも一回りほど年上に見えた。
「もう、大丈夫なの?」
立ち上がった姿を見て、タカハシは身構えた。女のインナースーツの胸に、星府の紋章があったのだ。
「星府の人間か」
「元、だけどね」
腕を抱えてうつむく女をにらみながら、タカハシはぬいぐるみをさっと奪った。女はその様子に戸惑う。
「どうしたの、なぜそんなに警戒するの?」
「俺は、あんたら星府に襲われて地球に落ちてきた」
困惑した目とタカハシの鋭い目がぶつかる。女はため息をひとつ吐き、口を開いた。
「あなたは誤解していることがふたつあるわ。ひとつは、私はもう星府とは関係ない人間であるということ。もうひとつは」
女はそこで言葉を切る。そしてもう一度タカハシを見て、落ち着き払った声で言った。
「ここは地球じゃない。まだ名前のない星よ」
タカハシは言葉を失った。波は砂浜を濡らし、寄せては返す。潮風が、ときおり頬を撫でる。
「なぜ、そんなことが言い切れる。この星を一周したわけでもないだろう」
女は額に手を当てる。その表情には虚しさと絶望感がにじみ出ていた。
「星府には様々な資料があるわ。地球に生息する動植物以外にも、水星から土星までのデータが。でも、ここにある植物や動物はデータにはなかった。見たことがないのよ」
「君が見ていないだけだろう」
「生物省の地球研究室長よ。甘く見ないで」
タカハシは口をつぐみ、沈黙が流れた。波が砂浜にうちあがり、退いていく。女の厳しい目が自嘲的なものに変わった。
「まあ、生物省にいたのも昔の話だけどね」
女は呆れ気味に言ってから、人懐っこく眉を上げて見せた。
「どう、住み心地はおそらく1000年以上前の地球とほぼ同じだから住みやすいと思う。ここで一緒に暮らさない?」
タカハシは手元のぬいぐるみに目をやり、それから女をまっすぐ見た。
「俺には、こいつを持ち主に届ける使命がある。だからここを脱出しなければいけない」
その時、何かの唸り声が辺りに響いた。重く錆びた歯車が動くような音に、タカハシは周りを見渡した。
「何の音だ?」
「ホシクジラよ。あそこにいるわ」
タカハシは女が指す方に目を向ける。薄く白んでいく空に、クジラのものらしき尾ひれの影が見える。
「本当にホシクジラなのか? あの宇宙にいる」
「間違いないわ。クジラたちはどうやら、宇宙ではなく特定の星で出産するらしいの。ここもそのうちのひとつみたいね」
女は遠くにいるクジラを眺める。その目は慈愛に満ちていた。女は砂浜に座り、弓に張られた何本もの弦に触れた。
あの地平線 輝くのは どこかに君を かくしているから
クジラは唸っている。そのたびに潮の香がきつくなった。
たくさんの灯が なつかしいのは あのどれかひとつに 君がいるから
タカハシは呆然と女を見つめる。
「ミュージック……」
呟いてから我に返り、女に問うた。先ほどよりも警戒心はなくなっていた。
「なぜ、ミュージックを? どうやって?」
女は演奏をやめ、穏やかに言う。
「これはね、“うた”というの。そしてこの装置は、ハープというらしいわ」
「うた……ハープ……。星府の人間だったあんたが、なぜ」
タカハシが問うと女は足元の砂を撫でた。さらさらとした感触を感じながら、思案しているようだった。
「私は、うたを……いいえ、感情を規制することに反対していたの。だってそうでしょう? 感情が規制されてしまったら、私たちはより良い未来に行くことができない。渇望して、時に悲しんだり、喜んだりするから前へ進める。それが、営みだと思う」
女は言い終わると、唇を噛んだ。砂をひとつかみし、浅く息を吐いた。
「私の考えに賛同してくれる仲間も少しだけいた。でも敵の方が多かった。結局、私は感情を解放するどころか、敵に立ち向かわず、仲間の手助けで地球を脱出した。逃げたのよ」
女の目頭に光るものがある。それを指で拭うと、海を見た。遠くでホシクジラが潜ったり、海面に出たりして腹の子を産み落とそうとしている。
「火星に向かう途中で星のかけらにぶつかって、軌道から大きくそれたの。そんな時、ホシクジラに出会った。逃げようと思っても動力の一部が故障してしまって、漂うことしかできなかった。クジラが迫ってきて、頭が真っ白になって、とっさに警笛を鳴らした」
どこかでカモメに似た鳴き声が聞こえた。空は先ほどよりも白んでいる。タカハシは腕を組んで静かに聞いていた。
「大きな口を見たときは、もうだめかと思ったわ。でも、クジラは私を食べるどころか、子供のように酸素を分け与え、水を与えた。クジラは私の恩人よ」
女はハープを構えて弾き始める。聞こえているかどうかなど構わず、一心に弾いている。タカハシは聞きながら、旋律がどこかぎこちないと感じていた。組んでいた腕をほどく。
「なあ。その、ハープと言うやつは、音の調節はできるのか?」
女はきょとんとした目で見つめ、頷く。
「ええ、できるわよ」
「音が、少し違う気がするんだ。俺に調節させてほしい」
女はタカハシにハープを渡し、音の調節の仕方を教える。タカハシは外科医のように慎重な眼差しで音を確かめながらペグを回す。
「……これで、どうだろう」
女は再び演奏を始め、タカハシは目を閉じて聞いた。先ほどよりも音にまとまりがある。弦のひとつひとつが役割を全うし、夢のようなハーモニーを奏でている。
「すごく、弾きやすい」
女は祈るように弾き続けた。クジラの唸り声が、穏やかになった気がする。空が赤くなり、水平線から太陽が顔を出す。
「あっ」
タカハシは指をさした。女は演奏をやめ、同じ方向を見る。陽の光を受けたクジラの頭と、それよりも小さい頭が現れた。
「よかった、無事に生まれて」
子供のクジラが産声をあげる。古い扉がきしんで開くときのような、高い声だった。それを聞いて、女もタカハシも安堵した。
「君のうたが、クジラを助けたんだな。きっと」
「どうかしら。でも、ありがとう」
女は微笑み、それから真剣な表情になった。小屋のそばにある船を指さす。
「この星を脱出するなら、あの船を使うといいわ。この星を自力で脱出できるほどの力はないけど、ホシクジラの力があれば」
「いいのか」
タカハシは女の顔を覗き込む。女は頷くが、厳しい表情のままだった。
「ええ。ただ、覚悟して。次は木星の渦の中にいるかもしれないし、金星に焼かれるかもしれない。生か死かは運次第よ」
「大丈夫、覚悟の上さ」
女は立ち上がり、タカハシを連れて小屋の横に架けてある桟橋を渡り、船まで案内した。タカハシは乗り込み、桟橋に立っている女を見た。
「世話になった、ありがとう。俺はタカハシ。君は?」
「ミヤザキよ。旅の無事を祈っているわ」
扉を閉め、来る途中で言われたとおり汽笛を鳴らす。子供のクジラの声と似た音が響いて、それに気が付いたクジラがこちらにゆっくり近づいてきた。
――長い旅になる。
もともと二人乗りだったのか、片方の席がぽっかり空いている。タカハシはベルトを締めた後、その虚空をぼんやり見つめていた。そのとき、扉が開いた。
「待って、わたしも行く」
クジラがもうすぐそこに来ていた。急いで乗り込むミヤザキに、タカハシは目を丸くする。
「心強いが、なぜ」
席についてベルトをしめると、ミヤザキは無邪気な笑顔で答えた。
「見てみたいの。あなたのように、うたを愛する人たちを」
クジラは大きな口を開いて船をわが身に迎え入れる。一瞬、子供のクジラが窓の端に見えた。視界が真っ暗になった後、下に向かって大きな力が働いた。恐らくクジラが上昇したのだろう。それが安定すると、ミヤザキは不意にハープを鳴らし、うたを口ずさむ。
地球はまわる 君をのせて
いつかきっと出会う ぼくらをのせて……
作中に出てきた楽曲
井上杏美「君をのせて」
原曲がSpotifyで見当たらなかったため、井上あずみさんのものを貼っています。
お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!