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アインシュタインとフロイトの手紙 第491幕

本日は、人気YouTuberのミルクティー飲みたいさんの動画『人類はなぜ戦争をするのか?天才の解答』の中から、ミルクティー飲みたいさんが要約したアインシュタインとフロイトの手紙の内容をご紹介したいと思います。

1932年7月30日、国際連盟からの提案により、かの有名な物理学者アインシュタインと人間の心を知り尽くした心理学者ジークムントフロイトが、「なぜ人間は戦争をするのか?」というテーマで手紙を交わしました。

戦争をなくす為には巨大な権力を持った世界政府を作るか?
長い時間をかけて人間が戦争をしない動物に変化していくか?
というのが、二人が辿たどり着いた結論です。

みなさんは、この手紙のことをご存知ないかと思います。
なぜならこの手紙は、長い間封印されてきたからです。

ぜひ、じっくり動画をご覧になり、考えて頂きたいと思います。

1.アイシュタインの手紙

フロイト様
あなたに手紙を差し上げ議論できるのを大変嬉しく思います。

「人類を戦争から解き放てるのか?」

これは文明人の運命を決める問題だということは、今では知らない人はいません。問題を解決する努力もされてきましたが、未だ解決策が見つかりません。

私自身は物理学者なので、人間の感情や想いを深くのぞくことにけていません。
なので、人間の生活に通じている人からの意見を聞きたいのです。

(長いので、内容を要約していきます。(ミルクティー飲みたいさんの要約文))

戦争の問題を解決する唯一の方法は、全ての国家が一致団結して、一つの機関を作れば良い。

この機関に、立法と司法の権限を与え、国際的な紛争ふんそうが起きた時には、この機関に解決をゆだね、国はこの判断に従わなければならないようにすれば良い。

しかし、これには大きな問題があります。

それは、裁判は人間が作り上げたものである以上、法以外のものから影響を受けてしまうということです。

つまり正義を実現するためには、この機関に大きな権力がなければ意味がないということです。

現状の国連には、自らの決定を押し通せるような権力はなく、その実現はおぼつかないものです。

ここで、一つのことが確認できます。

平和の実現には、各国が主権の一部を完全に放棄しなければならないということです。

これ以外の方法では、完全な平和は望めないのではないか?

数世紀もの間、数多くの人が国際平和を掲げて努力してきても、未だに平和が訪れていないのには、人間の心の中に平和へあらがう力が働いているのではないか?

その一つが権力欲。
いつの時代も、権力者は自分の権限が制限されることをこばみます。
それだけでなく、この権力を後押しするグループが存在し、彼らは金銭的な利益を追求する力にすり寄っていきます。

典型的な例が、戦争の際に武器を売り、利益を得ようとするグループです。
彼らは、平和よりも自らの利益を優先します。

しかし、そこである疑問がきます。
なぜ、少数の人々がおびただしい数の国民を動かし、欲望の道具にすることができるのか?

『軍人含め、なぜ不幸になる国民がそれに手を貸すのか?』

それは、少数の権力者が学校やマスコミ、宗教的な組織すら手中に収め、国民の心を思うがままに操っているからでしょう。

ですが、新たな問題が発生します。
『なぜ、国民がマスコミにあおられ、自分の身を犠牲ぎせいにできるのか?』

その答えは一つしか考えられません。
人間には、本能的に憎悪にられ、相手を絶滅させようとする欲求がひそんでいるのではないか?

この衝動を呼び覚ますのは、それほど難しいことじゃないでしょう。

これが、戦争にまつわる問題の根底にひそむ問題です。
だからこそ、人間の衝動に精通した方の意見が聞きたいのです。

そして、最後の問いは、
『人間を憎悪と破壊という心の病に犯されないようにすることはできるのか?』
というものです。

経験上、「教養のない人」よりも、「知識人」の方が、この暗示にかかりやすいと言えます。

それはなぜか?
彼らは現実を自分の目と耳でとらえないからです。
紙の上の文字を頼りに複雑な現実を捉えてしまうのです。

最後に付け加えると、今回は国家間の戦争についてだけ言及しましたが、人間の攻撃性はさまざまな形であらわれるでしょう。
あえて人間の争いが最も露骨にあらわれる、この問題に取り組むのが近道だと考えました。

あなたの最新の知見に照らして、改めてこの問題に集中的に取り組んでいただければ、これほどありがたいことはありません。

心からの友愛を込めて。
アルバートアインシュタイン。

ミルクティー飲みたい『人類はなぜ戦争をするのか?天才の解答』から『アインシュタインの手紙』

2.フロイトの手紙

アインシュタイン様

あなたが私と意見を交わしたいという計画をお持ちだとうかがった時、私は喜んで引き受けたいと思いました。

ですから、あなたからのテーマを聞いた時には驚きを禁じ得ませんでした。
このような問題にこたえることは、私の力が及ぶところではないと思ったからです。

私どころか、あなたにも答えられないと言いたいところでした。

心理学的観点から議論を展開しようとしても、あなたはすでに多くのことを述べてしまっています。
仕方ありません。

あなたの進んだ跡を辿たどりながら、あなたの意見をおぎなっていくことにします。

今の人たちは法(権力)と暴力は、二つの正反対のものと見なすのではないでしょうか?

しかし、権利と暴力は密接に結びついていて、権利からはすぐに暴力が出てきて、暴力からはすぐに権利が出てくるのです。

原始時代にさかのぼると、人と人の利害の対立は暴力によって解決されてきました。
動物たちは皆そうやって決着をつけています。
人間も動物なので、やはり暴力で決着をつけます。

しかし、人間の場合、暴力以外の新たな解決策が求められてきます。

かつて誰の言うことがまかり通るのかは、肉体の力で決まりました。

しかし、武器が用いられるようになると、強力な武器を手にし、たくみに使用したものが勝利を収めるようになるのです。

と言うことは武器が登場した時に、優れた頭脳が腕力を凌駕りょうがし始めたということになります。

頭脳は使えど、目的は変わらず、相手を傷つけ、麻痺まひさせ、何も要求できない状態におとしめることです。

しかし、敵をほうむろうとした時に、新たな考えが浮かびます。
恐怖心を植え付け、敵を生かしておき、何かの労働に使おう!というものです。

ともあれ、き出しの暴力か、才知溢さいちあふれる暴力が支配者を決めたのです。

このように社会が発展していくにつれ、暴力による支配から法による支配へと変わっていきました。

この団結した人間の力が法で、一人の人間の暴力に対抗しました。
ただし、この力が暴力であることには変わりありません。
歯向かう人間がいれば、やはり暴力に訴えます。
違いは一つ。一人の人間の暴力か、多数の人間の暴力か、です。

際限なくこのパワーゲームは繰り返され、共同体を持続的なものにしていくために、法にのっとった暴力を行使できる機関を定めないとならないのです。

そのためには、集団の団結心がなくてはいけない。
人間の集団をつなぎ止めるのは感情のきずな、一体感なのです。

ここで、問題が起きます。
社会が同じ強さの人間ばかりから成り立っているのであれば、問題は難しくありません。
しかし、現実の社会にはバラバラな力を持った人間たちが住んでいます。
男もいれば女もいる、大人もいれば、子供もいる。

戦争が起これば、勝者と敗者が生まれ、主人と奴隷どれいという関係に変わっていく。
そうなると法とは、現実の不平等な力関係を映し出すものになっていきます。
法律は支配者によって作られ、支配者に都合が良いものになっていくのです。

すると、社会の中には二つの力が働きます。
一つは「法による支配」から「暴力による支配」に戻そうとする力。
もう一つは、「不平等な法」を「万人に平等な法」に変革しようという力。

このように、法によって支配される社会が一度出来上がっても、利害の対立が起きれば、暴力が問題を解決するようになってしまうのです。

人間の歴史を辿たどれば、その対立のほとんどが戦争という力比べによって決着を見てきました。

どんな集団でも戦争に参加すれば、強奪か服従に行き着きます。

しかし、かつてのローマやフランスのことを思い出してください。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、人々が「がれてやまない」永遠の平和を達成するのに、戦争は決して不適切な手段ではないのです。

戦争は大きな単位の社会を生み出し、中央集権的な権力を生み出すことができるのです。
そして、権力で二度と暴力が引き起こされないように管理すれば良いのです。

しかし、現実には平和は実現されていません。
それは、なぜでしょうか?
征服せいふくによって勝ち得た状態は、長続きしないからです。

ここまで振り返ってみた時に、あなたと同じ結論が出てきます。
戦争を確実に防ごうと思えば、皆が一致団結して巨大な中央集権的な権力を作り上げ、利害の対立が起きた時には権力にゆだねる。
それしか道がないのです。

ここで、あなたの別の主張にコメントを加えることにしましょう。

『人間の心自体に問題があるのではないか?』
『人間には本能的に憎悪にられ、相手を絶滅させる欲求が潜んでいるのではないか?』

人間には二つの欲動があります。
一つは”愛”、もう一つは”破壊”。
ただし、気をつけなければならないのは、一方を”善”、一方を”悪”と決めつけがちですが、そう簡単に善悪を決めることはできません。
どちらも、人間にはなくてはならないものなのです。

人間の行動は複雑なもので、愛や破壊衝動が結びついて出来上がった欲動が、いくつも合わさって引き起こされるのです。

すると、人間を戦争に駆り立てる理由もさまざまでしょう。

精神分析者たちは、ある一つの結論に辿たどり着きました。
それは全ての生命体には『生の欲動』と『死の欲動』があるということです。

生命体は異質なものを外へ排除はいじょすることで、自分を守っているのです。

ここで、みなさんもお気づきのように。
これは私が反対してやまない行為を、生物である以上は仕方ないという言い訳を与えることになってしまうのです。

わかったことは、「人間から攻撃的な性質を取り除くことなどできそうにない」ということだけです。

しかし、人間の攻撃性を取り除くことが問題なのではなく、戦争という形で発揮させなければ良いとも考えられます。

その一つの方法は、反対の欲動である「愛」を呼び覚ますことです。
宗教でも「なんじ、隣人を汝のごとく愛せよ」とあります。
言うのは簡単ですが、行うのは難しいです。

しかし、人と人の結びつきが社会を強くするのです。

ここで、一つ問題提起をさせてください。
『そもそもなぜ私たちは戦争に強いいきどおりを感じるのでしょうか?』
戦争は生物学的なレベルでは健全で、現実には避けがたいのに。

たくさんの理由があるでしょうし、今は昔と違い勝っても英雄になれるわけでもなければ、兵器によってどちらか、あるいは両方が地球上から姿を消すことになるかもしれません。
つまり、戦争に対して人間が反対の声をあげてしかるべきで、反対しない人がいたらその方が不思議なのです。

『私たちが戦争にいきどおりを覚えるのはなぜか?』
それは、体と心の奥底から憤りを覚えるからです。
はるか昔から人類の中に文化、文明が発達し広まっていきました。
何が文明を引き起こし、結末がどうなるかはわかりません。

しかし、文明には幾つかの特徴があります。
一つは、文明が発達すると、人類が消滅する危険性があります。
なぜなら、人間の機能が失われていくからです。

実際、文明に取り残された国では、子供がたくさん生まれ人口が急増しているのに対し、発展した国の人々は子供を産まなくなってきています。
文化が発展していけば、肉体レベルで変化が起こると思われるのです。

それに対して、文明、文化の発展が人間の心に影響を与えることは明らかで、本能的に行動することは少なくなってきています。

僕らの先祖なら強く興奮を覚えたものが、今の時代には興味をかないものになっています。

このように、私たちが求める道徳や美徳が変化してきていることは、究極的には体と心全体の変化なのです。

文化が生み出す最も顕著けんちょな現象は二つです。
一つは、知性を高めること、二つ目は攻撃性を内面に向けること。

文化の発展が、人間にもたらした心と体のあり方は、戦争というものと対立するものにほかなりません。
このような意識が戦争への嫌悪感けんおかんを生み出す原因になっていると考えます。

全ての人類が平和主義者になるには、後どれくらい時間がかかるのか、その答えはわかりません。

しかし、この二つが近い将来、戦争をなくす方向に人間を動かしていくことは期待できるのではないでしょうか。

最後に心からのご挨拶を申し上げます。
私の手紙がつたなく、あなたを失望させたようでしたら、お許しください。

ジークムントフロイト

ミルクティー飲みたい『人類はなぜ戦争をするのか?天才の解答』から、『フロイトの手紙』

というのが、二人が辿たどり着いた結論です。
人間が、人間らしく存在する以上、憎悪や破壊といった本能をなくすことができないので、人間がいつか人間たらしめるものを失った時こそが、本当の平和への道になるんじゃないか、もはや楽園なのか、ディストピアなのかわからない世界こそが唯一の道なんじゃないかと思わされるようなそんなお話でした。

ミルクティー飲みたい『人類はなぜ戦争をするのか?天才の解答』

と、ミルクティー飲みたいさんは締めくくっています。

みなさんは、どのように感じたでしょうか?
アインシュタインとフロイトの手紙を載せたのですごく長い記事となってしまいました。
私たちに何ができるのかを、じっくりと考えていきたいですね。

尚、アインシュタインが最後にたどり着いたもの『愛』について紹介した、私の記事『アインシュタインからのメッセージ(リメイク版)第463幕』も合わせてご覧頂ければ幸いです。

いつもご覧いただきまして 有難うございます。
スキ フォロー コメント等を頂きまして 有難うございます。
では また次のnoteで お会いしましょう。





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