わたしというパズル
ネット上でアンケートに答えたりショップの会員登録をするとき、性別欄の選択肢が3つあることが多くなった。
男性・女性・回答しない の3つだ。
初めて見た時はちょっと不思議だった。ジェンダー多様性に配慮するならば、むしろ性別はいっさい尋ねないことにすればいいのでは? と感じたから。とはいえ性別情報が必要な場合もあるだろうし、何が正解かは判断できないけれど。
それはさておき。
性別に限らず、望むか望まないかに依らず、人はその「属性」を背負って生きる。
国籍、身体的特性、才能、家庭環境。
就職した会社、自分で築き上げた地位名声、などなど。
生まれた瞬間決まっていることと、本人の選択の積み重ねで築いたもの。どちらも、客観的にそして表面的に見るなら、その人を構成するピースのひとつに過ぎない。
そう、人はその属性を組み合わせて完成する大きなパズル。
自己紹介というものは、自分の属性を都合良く並べて他人に披露する場と言えるだろう。
わざわざ苦手なことや性格の短所や悩みごとを初対面でカミングアウトする必要ないから、虚偽にならない程度に良いことだけ集め、きれいなパズルを見せればいい。
と、思うのだが。
SNSのプロフ欄を見ていると、きれいなパズルとは真逆の自己紹介にも行き当たる。どちらかと言えばネガティブな情報、弱点や性癖や持病をドーンと公表している人たち。
たとえば、「イイネ」をくれた見知らぬ人のアカウントを覗きに行くと
「離婚調停中」「アルコール依存で治療中」「DV被害者」
とか並んでいて、え、なんか大変そう…と一瞬たじろぐ。
これだけの「属性」と向き合っているとは偉いなあ。と感心することもあるし、場合によっては痛いところを見せたがる中二病的な所作? と疑うこともある。
いずれにしろ、属性は自己演出の素材だ。
そして、属性は流動的なものであることを忘れてはいけない。
成果を上げれば組織内のポジションは変わるし、「生まれた瞬間決まっていること」ですら、時代の変化や本人の価値観によって解釈がコロッと変わることがある。
さらに属性は、最終的には自分が決めるものだ。「無職」か「自由人」か、みたいに「ものは言いよう」である。
迷ったときは、パズルのピースを全部シャッフルしてやり直すくらいの気分を味わうのも大事なことかもしれない。
嘆くことはない。かつ驕ることなかれ。
「限りなく無職に近い関西在住フリーランスとりあえず主婦」は強くそう思う。