その愚行の先にあるもの
YouTubeのアルゴリズムに導かれ、なぜか中島らもがゲスト出演している「徹子の部屋」を見た。1996年オンエアらしい。
中島らも。全てがツッコミどころみたいな、面白い人だったな。そして突然いなくなった。
アルコールと薬物依存の地獄を見たあと、今(収録時)は禁酒を続けているという前提で、過去の飲酒遍歴から違法行為まで、あの独特のゆるい口調で、だけど妙に饒舌に語っている。
お酒やドラッグの怖さを特に若い人に伝える意味で貴重な経験談だと思うし、単純にこの人のトークの面白さは一見の価値がある。
亡くなった直接の原因ではないにしろ、最後までお酒が仇となった。
訃報を聞いたとき、不謹慎とは思うがこの人らしい幕引きだなと感じたことは事実だ。
中島らもの作品のなかで、好きなエッセイがある。
ところが、わたしの本棚にある何冊かの彼の作品集にはそれらしき一編が見当たらない。タイトルも忘れた。思いつくキーワードで検索してみたが、グーグルもチャットGPTも教えてくれない。
なので、仕方なくあやふやな記憶のままに書く。
らも氏は「まずいものを食べたい」という人だった。そして実際にまずいものを探しに行くのだ。そのエッセイではたしか神戸(三宮か元町のはず)で、とある店に目をつける。
店にはおばあさん(だったと思う、たぶん)がいて、らも氏はカレーを注文。カウンターの向こうで調理する様子は見えないが、あきらかに挙動不審だ。このあたりの描写で笑った記憶がある。
出てきたカレーは、見覚えのあるレトルトカレーとしか思えないものであった、という結末。
レトルトカレーは商品として成立している物だから、正確には「まずいもの探し」と言うより「ちょっとヤバいお店探し」としてリアルに面白い。
それにしても「まずいものを食べたい」とは。
巷のグルメ文化を茶化すことが目的ではなかろう。意味不明な覚悟を感じる。好奇心と心中するかのような。
ふと「愚行権」という言葉が浮かぶ。
まずいもの探しと同列に語ってはいけないかもしれないが、お酒や薬物も、その愚行の先にあるものは本人がいちばんよくわかっていたのかもしれない。
人としてどうかというのはさておき、こういう破天荒な天才の作品をもっと読みたかった、と凡人は思うのだ。