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赤旗と刺青と2匹の犬

 銭湯から出ようとしたとき、番台のところで欧米からの観光客らしい男性2人と店員が押し問答している。
「シールで隠してもだめ?」
「駄目です。申し訳ありません。ここに書いてあるので」
「オウ…」
 タトゥお断りを知らずに来たらしい。残念そうに銭湯を後にする2つの背中。

その姿を見ながら友人が
「外国の人は入ってもいいことにすればいいのに。ヤクザじゃないんだから」 
とがつぶやく。
私は「ヤクザの人も銭湯で悪いことしないと思うけどな」と答えた。
「怖いじゃん」
「怖くないよ。刺青、きれいだよ」

いやでも、と私は思う。あの人たちは怖いと思われたくていれてるんだから、怖いと思わないといけないのかな…?
なんで私は刺青の人を怖いと感じないのか?それには理由があるのだ。

🌸🐉🌸

中学生のころ、団地で新聞を配りがてら犬の散歩をしていたら、刺青のおじさんと仲良くなった。

私の犬はロダンという名前だった。柴犬ぐらいの大きさの茶色い雑種のオスだった。顔の周りにたてがみがありその縁取りは黒く、耳はピンと立っていた額からマズルにいたるラインは可愛らしくくびれていた。ロダンは同級生と打ち解けられなかった私にとって親友だった。ロダンがいなくなってからもうちでは犬を飼っていたけど、私の犬は一生ロダンだけだ。

私の配っていた新聞は赤旗新聞だった。共産党員だった親に「月2000円(※平成の話です!)もらえるよ」と言われてよろこんでやっていた。雨の日も風の日も台風の日も新聞を配った。今思うとあれって児童の労働搾取じゃね…?共産党って労働者の味方の党なのにそんなことしていいんですかァ…?と思わなくはないが、けして嫌な思い出ではない。むしろ私はあの時間がけっこう好きだった。

朝日をあびてロダンの毛は金色に輝く。人気のない早朝の団地。生け垣のツツジのピンク。クリーム色のコンクリの建物。私が青いリードを自転車のハンドルにかけて走るとロダンは並走した。ロダンは全身をバネのように使ってぐんぐん加速する。走ることが嬉しくてたまらないみたいだ。賢い犬だった。「ジャンプ!」と言うと私の頭ぐらいまで跳んだ。私が団地の5階まで新聞を入れに行ってる間、自転車の横でおとなしく待っていた。

マリィちゃんとおじさんに会ったのは、初夏の日曜日の朝の団地だったように思う。マリィちゃんはロダンより一回り大きく、ほっそりとした白い犬で、背中にハケでしょうゆを塗ったような薄い茶色の模様があった。ピンクの首輪をつけて一匹でやってきて、鹿のような優雅な身のこなしでロダンに近寄ると、からかうように逃げていく。ロダンはもう夢中になって、追いかける。息を荒くしてマリィちゃんのお尻の匂いを熱心にかいでは、細い腰を前脚で抱きしめようとする。

はじめ私はマリィちゃんを迷い犬かと思って戸惑っていた。「マリィちゃん、おいで」と声がしておじさんがやってきた。父よりは若くて、でもお兄さんって感じじゃなかった。たぶん20代後半か30歳ぐらいだったと思う。顔はもう思い出せないけど、いつも微笑んでいたような気がする。

白い半袖のシャツからのびる腕に、黒く渦巻く雲と赤い花の絵が見え隠れする。体に描いた絵を「イレズミ」ということや、それを描いている人のことをヤクザということ、ヤクザは怖いらしいということはなんとなく知っていた。

「ぼく何歳?」
とおじさんが聞く。「12歳です」と答える。「中学生か」
「はい」

その頃の私はショートカットにボーイズ服を好んで着ていて、知らない人に男の子に間違われるのがうれしかったから、訂正もしなかったはずだ。おじさんも多分男の子と思って声をかけたんじゃないかな

「犬なんて名前?」
「ロダンです」
「この子はマリィちゃんていうねん」
「かわいいですね」

たぶんそういう話をした。家に帰って
「腕に絵があるおじさんが、ロダンのことかわいいって言ってた」 
と父にいうと
「ふうん、どんな絵?」
「花の絵。梅か桜か」
「遠山の金さんみたいな?あれは絵具で描いてるんじゃなくて刺してんねん。針の先に絵具つけてちくって刺す。ほんで、針を抜くと絵具だけが皮膚の下に残る。赤い絵の具なら赤い点ができるんやけど、墨とか黒い絵の具やと青く見えんねん。それで入れ墨は刺す青って書く。」
「痛い?」
「めっちゃ痛いらしい。痛いの我慢すると強いってことになるから我慢して彫らはんねん」
「ふーん?」
たしかそんな話をした。

その後で父も休日の昼間にロダンを散歩してるとき腕に絵があるおじさんに会ったらしい
「えらい気の弱そうな人やな。テキヤやってはるんやて。お祭りの屋台とかやる人な。若い子何人か束ねてるらしい。あんな気弱そうな人やのに刺青みせて凄んでみせなあかんときもあるんやろな」
ああいう人がおるから祭りが楽しいのに。と父は言った。

あの友好的なおじさんは「ヤクザ」ではなく「テキヤ」なので怖くないようだ。それからも私とおじさんはよく団地で犬を遊ばせた。

おじさんは時々うちの前にマリィちゃんを連れてくるときもあった。ロダンはマリィちゃんを見つけると千切れそうなぐらい尻尾を振って駆け寄ったし、マリィちゃんはロダンを見ると嬉ションをした。

おじさんはカラフルな水飴や風船でできたハンマーなんかの屋台の商品をくれることもあった。おじさんの奥さんもいっしょにいるときもあった。

夜の公園、ロダンが急に駆け出して青いリードが私の手をすり抜ける。赤いリードを引きずってマリィちゃんが鹿のように跳ねてくる。2匹とも静かに笑っている。嬉しくて嬉しくてたまらないというようにもつれ合って追いかけっこして遊ぶ。銀色の滑り台、セメントでできたキリンとカバ。ブランコ。猫の糞だらけの砂場。絡み合う青と赤のリード。

この二匹は愛し合っているのだなと思った。おじさんもたぶんそう思ったのだと思う。ある日曜日の昼下がり、ロダンがいつものようにマリィちゃんの腰を抱こうとしてマリィちゃんにスルリと逃げられるのをみていたら「2時間ぐらいロダンかりていい?」おじさんに聞かれた。「うん」と私は答えて、ゴクリとツバを飲んだ。

おじさんは何のためにロダンを連れて行くか言わなかった。私はおじさんが何をしようとしてるか知っていた。あの時、私とおじさんは同じ気持ちだったと今も信じている。おじさんは私からリードを受け取ると、ロダンとマリィちゃんを連れて団地の階段を登っていって、夕方ロダンを返しに来た。

秋になって、おじさんから電話があった(今思えばなんで電話番知ってたんだろ?父が教えたのか?それとも電話帳で調べたのかな?)。

「子犬が生まれたから見においで」
おじさんの家は団地の三階だったかな?ピンポンを押すとおじさんと奥さんが出迎えてくれた。ゲージの中で少し疲れて見えるマリィちゃんはそれでもやっぱり笑っていた。マリィちゃんのおちちを飲む大きめのネズミみたいな2匹の動物。まだ目が開いてないそれらの模様は一匹はマリィちゃんそっくりで一匹はロダンそっくりだった。ロダンは思いを遂げたのだ。

それからしばらく、おじさんに会わなかった気がする。花火大会の日に音にびっくりしたロダンは走って逃げていって見つからなかった。迷い犬のポスターを作って電柱に張り、保健所にも警察にも届けたけど連絡はなかった。

🐾🐕️🐾

ロダン、ロダン、世界で一匹だけの私の犬。もう一回抱きしめさせて。

🌊🐅🌊


私が高校生になった年の春、おじさんは急にやってきた。ガリガリに痩せた子犬を連れて。

「ロダンの孫やねん」
飼えなくなったという。「人間の子供も生まれて、犬といっしょにしとけへんから犬だけの部屋で餌やりだけは行ってたんやけど、忙しくて世話できひんし、このままでは死んでしまう」
けっきょくその子犬はうちで飼うことになった。3ヶ月まで犬としか接してないその犬は人慣れしてなくて人間を睨むみたいに観察していた。1年たち2年たち、丸々と太った子犬はときどき笑顔を浮かべるようになった。

その頃は知らなかったけど、犬が見せる「笑顔に見える表情」は何万年も人間と過ごし、人間に好かれるために身に着けたもので嬉しいから笑うのではないらしい。

人間に好かれるため。

私だって人間に好かれるために笑顔のような表情を浮かべることはある。おじさんはどうだっただろう。もしかしたらずっと、笑顔のような表情をしてただけだったのかもしれない。

想像してみる。団地の部屋で煙草を片手に、つながった2匹の犬を見守るおじさん。どっちも雑種なのに、挿し木を増やしてよろこぶみたいに。ロダンはマリィちゃんより少し足が短くてそれでいつもうまくいかなかったから、おじさんは挿し木(英語ではinsert)の手助けをしたはずだ。ロダンを持ち上げて前脚でマリィちゃんに抱きつかせ、後ろ脚を古新聞か何かでできた踏み台に乗せる。うまくいったとき、おじさんはほんとの笑顔を浮かべる。

おじさん、もしかしたらおじさんは本当は怖い人だったのかもしれないね。でも私はおじさんのことちっとも怖くなかったよ。











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QOLアゲアゲ星人🛸
えっいいんですか!?お菓子とか買います!!