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「愛し合いなさい」ってオジサンはいうけど

 わたしたちは未熟なまま産まれてくるように進化した。出産と子育てに手間がかかり、そのあいだ母親は食料を手に入れるのがむつかしい。だから子育てをするならなんらかの共同体の中でしたほうがだんぜん楽。

 でも資本主義はわたしたちを共同体の一員から労働者にした。それはひとりひとりの選択肢を増やしたけど、良き労働者で良き消費者で良き投資家になったわたしたちにとって、いまや結婚や出産は大きなリスクだ。

 地方から都会に若者を吸い寄せて、子供よりindex投資のほうが手堅く儲かるゲームに参加させておきながら(子供をハイリスクハイリターンな投資対象にする親もいるけど)それでも国家という巨大な想像の共同体の維持には国民が必要だから、資本主義と国家主義をつかって偉くなったオジサンたちは少子化を憂う。

 女の子の夢と男の子の恋をお金に買えるショービジネス業界でなくても、資本主義が拡大し続けるためにはたくさんの「資源」が必要なのだ。

 その口ぶりに「おんなこども」への侮蔑を嗅ぎ取って、リベラルな言葉で応戦してみたり、ていねいな暮らしや趣味の中に逃げ込んでみたり、だけどそういうやっとみつけた秘密の花園にも評価経済が染み込んできて、いつの間にかせっせとマウンティングマウンテンを登山してたりして。もっと速く、もっとスマートに!だってもっともっと愛されたいから!

人類は増えすぎました。緩やかに減っていくのは人類にとっても地球の他の種にとっても望ましいことでしょう。

 個人の意思を尊重するなら本人の同意なしに産むのは加害行為になり得ます。もっとも私は着床するときママに「着床していい?」なんて確認しなかったけどね。

 産んで産まなくても、愛しても愛さなくてもみんながみんなを好き勝手に裁く。

 ひとりぶんのto be or not to beだけを悩めることの身軽さと寄る辺のない悲しみ。それとは別の悩みや苦しみが子育てにはあるけど、子育てにしかない楽しみも喜びもオモロさもあって、私こどもを産んで良かった。

 それでもどこか奥の方に、さみしいって泣いてる部分があるのを感じる。きっと産み続けたほうが生き残りやすかったわたしたちは、産んで産まなくても何人産んでも満たされないようにできてるんじゃないかな。

 だから、友達がいたら、恋人がいたら、結婚したら、こどもをもてば、幸せになれるというような信仰を流布するつもりはない。

 でも、わたしたちみんなが、なんらかの意味づけがあったりなかったりする空虚さをもってるとしたら、お互いの虚しさをみとめあうことが可能で、そうして、セックスよりも愛っぽいようなやり方で、穴にふれあえば、真っ暗だった穴に光が差し込み、風が吹き込んだように爽やかな気分になることもあると思う。

 それって四捨五入したらほぼ愛だし、わたしはオバサンだけど「愛し合いなさい」って言ってみようかなとか思った。


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ホネクイハナムシ
えっいいんですか!?お菓子とか買います!!