プロ奢みたいなことしたい
だいぶ前にツイッターのスペースで人に「プロ奢」について教えてもらってて、「プロ奢は若い頃、世界を放浪してパスタを川の水に浸して食べていたらしい」と聞いて
「いいな!私男だったらプロ奢みたいなことしたかった!」
って言ったら
「プロ奢は女でもできるって言ってました」
と言われ、まぁ、女でもバックパッカーとかいるから私に勇気がないだけなのはわかってるけど、自分の生き死にだけ気にすればいい男と違って女には妊娠のリスクとかあるのに気軽なこと言うなぁ。仮に「ピルのめば妊娠しないだろ」って意味としても「生理中でもタンポンして水泳の授業出ろ」っていう体育教師とおんなじ匂いがするぜ。女がいうならギリわかる(それでも頭悪いなと思う)けど男でそゆこと言うやつ私好きじゃない。なんでそんな雑な人にたくさんの人が相談するんだろう。わけのわからん文化だ。と思ったのだった。それで私はプロ奢が嫌いになってしまった。
でも最近急に、あのときのやりとりは、相手の人は私がプロ奢ラレヤーになりたいのだと思ってプロ奢が「プロ奢ラレヤーには女でもなれる」ということを言ったってことを教えてくれたんだな。って気づき、ということは、あの人は私のことを「プロ奢ラレヤーになりたい人」と思ってたんだな、ということに思い至った。
私はどちらかというと自分がすごいって言われたいタイプではなくて、自分で作ったものをすごいって言われたいタイプであり、変わった人になりたいのではなく普通の人のまま変なことをするアンビバレントにこそ面白みを見出しているので奢られをマネタイズ化するという意味でのプロ奢ラレヤーになりたい気持ちはない。プロ奢ラレヤーになりたいのになれない人と思われるのは不本意である。
ひんぱんに他人から寿司を奢ってもらうというという意味でのプロ奢みたいなことは素直に羨ましいけどそれは今までの私の人生のなかでも何回かは発生したことがあるし、奢ってもらうのは嬉しいけど奢ってもらわなくても寿司を食べることは可能なのですごく羨ましいというのとは違うし、プロ奢はそれに対する労働(カウンセリングをしたのちにコーチングとかコンサル的な業務、それに加えて広報とかエゴサもしてる)をちゃんとしてるので、あまり気楽なものではなく、気軽になれるものではないと思う。
いろんな人の話をを聞くという意味でのプロ奢みたいなことは好きだけど、普段からしてるからこれはそんなに羨ましくはない。いやどうかな??おもしろ人間が集まってくる仕組みはやっぱり羨ましいかな?でもそれに関してはなにか工夫すればできそうな気がするし、そこにはプロ奢がいうとおり性別は関係ないと思う。
ただ、やっぱり海外を放浪して川の水でパスタをふやかして食べて北欧美女と結婚するのが心底羨ましい。羨ましいなぁ。プロ奢(前半)みたいなことしてみたい。でももう結婚してるし子供が18歳になるまではそういうことできない。まぁタンポン水泳と同じで理論的にはできるけど、子供が子供なうちは普通のお母さんをやりたいのだ。子どものためじゃなく私が。
おそらく私の人生は子供が子供でなくなってからのほうがやや長くなる。プロ奢(前半生)みたいなことはそれからすればいいと思ってる。
北欧美女と結婚するのは現行法では不可能。国籍か民法か性別を変えたら可能だけど。そういうプロセスを経ずに両性の合意のみで実現できたなんて、ああ、やっぱりプロ奢羨ましい!でもぷろ奢が男性と結婚するには私が女性と結婚するのと同じだけの困難があるのでそれは相殺。
でも今気づいたんだけど「パスタを川の水に浸して食べる」は普通のお母さんでもできるわ。こんどやってみよう。
プロ奢、今までタンポンして水泳の授業受けろっていう体育教師みたいなやつと誤解しててごめんなさい。いつか奢れるといいなぁ。