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「QURUWA7町・広域連合会」ができるまでの経緯


はじめに

こちらの記事では、愛知県岡崎市の「QURUWA7町・広域連合会」という任意団体ができるまでの経緯について説明します。

「え?岡崎市って?」「QURUWAって?」という方は、こちらの投稿をご覧いただければ幸いです。

そもそも「QURUWA7町・広域連合会」ってなに?という方は、こちらの投稿をご覧いただければ幸いです。

〜2000年 : 周辺エリアの歴史

岡崎市の中心市街地(康生地区)は、家康公生誕の地である岡崎城の城下町、東海道の宿場町を基盤として発展し、西三河の中心として賑わった場所です。「地域の性質 : 住んでいる人 = 商いをしている人」

戦後の戦災復興土地区画整理事業や昭和40年代後半に全国に先駆けて行われた康生地区市街地再開発事業により現在の都市基盤が確立され、大規模な商業集積が生まれて、活発な経済活動が展開される中で、人のつながり、交流、コミュニティ、新たな地域文化が生まれ、岡崎市の顔として市民に認知される場所となりました。当時は、西三河地域における主要な商業集積が岡崎市の中心市街地(康生地区)であったために、周辺市町村からも岡崎市の康生地区に買い物に来ており、商業機能として西三河地域の広域拠点の役割を担っていました。
(平成23年3月 「岡崎市中心市街地活性化ビジョン 康生・東岡崎周辺地区 ~岡崎市中心市街地活性化基本計画再構築~」より抜粋)

昭和40(1970)年代に全国に先駆けて再開発が行われ、2000年初頭までは人通りも多く活気にあふれた街並みだったが、1995年にジャスコ南店、2000年にイオンショッピングモールの開業とともに、中心市街地の空洞化が目立つようになりました。

〜2011年 : 周辺エリアの歴史

モータリゼーションの進展とともに、大規模集客施設の中心市街地外への建設、岡崎市民病院などの公益施設や行政機能の拡散が起こりました。
中心地としてのポテンシャル(人・モノ・金・情報の集積力)が低下し、中心市街地側として顧客や消費者のニーズ対応など必要な変革に取り組んだものの、離れていく人を引き止められず、来街者の減少を始め、消費者等の支持が低下し、「まちの顔」としての市民の認識も薄れていったと考えられます。
こうして中心市街地の衰退および空洞化の現象が進みました。

2014年 : 乙川リバーフロント地区基本方針策定

平成26年2月12日に岡崎活性化本部から提出されました「乙川リバーフロント地区整備 基本方針のための提言書」を受けまして、乙川リバーフロント地区整備 基本方針を平成26年3月28日策定しました。

岡崎市ホームページ「乙川リバーフロント地区整備基本方針」より引用

2015年 : 岡崎デザインシャレット

このまちで暮らし、このまちに関わる市民の方々の参加を得て、まちの未来を作り出していく市民参加イベントの第1弾として岡崎デザインシャレットを開催しました。
8月2日から9日の9日間で大学生と専門家で編成した複数のチームによって、期間中に実施した公開型ワークショップにて市民の皆様から意見をいただきながら「乙川リバーフロント地区のまちづくり」について模型を作成して地区の活用案を提案していただきました。

岡崎市ホームページ「岡崎デザインシャレットを開催しました。」より引用

 岡崎デザインシャレットの成果

都市政策は専門家等によりつくられることが一般的です。一方、今回のデザインシャレットは、学生が中心となり、「中立的でやわらかい議論の場」をつくることで、敷地がもつ課題や可能性、計画の方向性等の重要な要素を見つけ出すことができる取り組みであることが確認できました。
また、具体的な設計作業を行うことで、今後検討すべきことが明確認になり、関係者の間でその課題を共有することができたことも大きな成果のうちの一つです。

岡崎市ホームページ「岡崎デザインシャレットを開催しました。」より引用

 プロジェクトA:中央緑道再生計画

戦後の戦災復興土地区画整理事業により整備された「中央緑道」は籠田公園と乙川を結ぶ、長さ約300m・幅30mの緑道です。
緑地帯が車道に挟まれ隣接地から分断される形状となっているため、その空間の持つポテンシャルを活かせずにいます。
本プロジェクトは、東岡崎駅と康生地区を結ぶ中央緑道の活用を検討し、籠田公園と(仮称)乙川人道橋を含めた緑道のあり方についてご提案いただきました。

岡崎市ホームページ「岡崎デザインシャレットを開催しました。」より引用

2016年 : 中央緑道検討会議

町内会が、主催となり、行政がオブザーバーとして参加し、籠田公園・中央緑道の周囲の7つの町内会が呼びかけられ、「中央緑道検討会議」を開催しました。

誰も通らなかった以前の中央緑道(写真:日経アーキテクチュア)

自宅が中央緑道の目の前にある方や周辺の住民も参加し、質問や意見などを述べられ議論しました。

町内会が主催した中央緑道検討会議

結果として、2016年から5年間で50回の検討会議を実施しました。

2018年 : 新しい籠田公園と関わるワークショップ

岡崎市が籠田公園のリニューアルに伴い、「籠田公園の活用管理について考えるワークショップ」を開催しました。
ワークショップに参加された地域役員の方から「籠田公園が新しくなるのであれば、久しぶりに盆踊りをやりたい。」という意見が出ました。

30年以上前まで籠田公園で行われていた地域の盆踊り

2019年7月 : 籠田公園リニューアルオープン

令和元(2019)年7月26日に籠田公園がリニューアルオープンしました。

籠田公園は、戦災復興の過程で生まれ、令和元(2019)年にリニューアルした公園です。子どもたちが自分で遊び方を見つけられ、大人たちが子どもを見守りながら、ホッとできる場所です。
「つどい・つながり・つづく」というコンセプトの下、芝生広場やステージ、屋根付き休憩スペースなどで幅広い楽しみ方ができます。

岡崎市パンフレット「籠田公園と中央緑道」
新しくなった籠田公園

2019年8月 : 籠田公園夏祭り(盆踊り)開催

賛同する籠田公園周辺の3町内が動き出し、さらに中央緑道に隣接する町内会にも共感の輪が広がったことで、2019年夏には7つの町内会が協働して、地域主催の盆踊りを籠田公園で復活させました。

30年以上ぶりに復活した籠田公園の地域主催の盆踊り

2019年11月 : 第1回 自治会(町内会)の広域連合発足説明会

上記の盆踊りを象徴とした、つながりが更に輪を広げ、今や3つの学区の枠を超えた20程度の町内会がつながる広域連合へと発展しました。

町内会の広域連合会の定例会議

以降、毎月定例会を開催しています。
はじめは、50名ほどだった参加者が、今となっては「KCBR」という会議体へと名前を変え、80名程度の多種多様な方が集まる会議体へと広がりをみせています。

7町・広域連合会の主催する会議「KCBR」(2024年開催の様子)

この会議体「KCBR」については、また別の記事で詳しく説明します。

【考察】 7町・広域連合会ができた理由

7町・広域連合会ができた理由について、最下部にて私見を述べます。
通常、 町内会は、町内会ごとに仲が悪かったり、悪くないにしても協力するような事はないと思います。ところが、それがうまくまとまりこういった組織ができました。
その理由について考えました。
全国各地でもこれはできる理由になるかと思います。もし、興味がありましたら有料となりますがご覧ください。
また、私どもは、現地視察(有料)も行っております。

【岡崎市「QURUWA戦略」視察|自治会主催のエリアマネジメントについて】 のご案内

QURUWA7町・広域連合会 次世代の会/株式会社Q-NEXTでは、岡崎市QURUWA戦略の担当者とともに、私たちの取り組みとQURUWA戦略について、レクチャーと現地のまち歩きを行う視察(有料)を受け入れています。

・公民連携まちづくりに取り組みたい行政職員
・公共空間活用に取り組みたい行政職員
・民間事業者の探し方、付き合い方のヒントを得たい行政職員
・公共空間活用等のため、行政を巻き込みたい民間事業者や商工会議所等
・リノベーションまちづくり(スクール)を始めたい行政職員、民間事業者等
・地域住民と連携してまちづくりを進めたい行政職員
・自治体と連携してまちづくりを進めたい民間事業者・住民
・自主自立したまちづくりを進めていきたい民間事業者・住民
・まちに大きな変化が起こりそうな町内会の役員
・次のまちの担い手を探して育てたい町内会の役員
上記に当てはまる方は、一度、下記の視察検索サイトをご覧くださいませ。
みなさまの直面している課題の一助になることがありましたら幸いです。
ご依頼、心よりお待ちしております。

【考察】 7町・広域連合会ができた理由

本題に戻りまして、この記事では、7町・広域連合会ができた経緯を述べてきましたが、ここからは7町・広域連合会ができた理由・ポイントについて考察します。

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