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手首と背骨の骨折で入院していた時のこと

今年の1月27日から、3月21日まで入院しておりました。
その時のことを軽く記録しておこうと思います。


1月26日、群馬県のゲレンデへ夫と2人で遊びに行きました。
駐車場は雪が凍っていてアイススケート場みたいな状態。
ゲレンデも雪がザラメでガリガリ。
午前中はおろしたてのスキー板で滑り、午後にはアイスバーンがだいぶん削れて滑りやすくなったかな?と思い、スノーボード に履き替えて緩斜面へ向かった。
・・・が、滑り始めて軽くターンし、後ろ向きのターンに入った時に谷側のエッジが引っかかって転んでしまい、右手首骨折。腰も痛くて歩けない…

夫がレスキューを呼びに行ってくれて、スノーモービルで下山。
夫が調べてくれた群馬の病院へ行き、手首の処置をしてもらう。
「手術した方が良いので、千葉へ戻ったら早めに出来るだけ大きな病院へ行ってください」と先生に言われ、紹介状を作って頂きなんとか帰宅。
翌日、夫が調べてくれた千葉の大きな病院へ行ってレントゲンやCT…そして MRI を撮ってもらったら、尻餅をついた時の衝撃で背骨の12番目の骨がひしゃげてしまっていた。圧迫骨折とな。
ひしゃげた骨が神経に触ってしまっているので、ただちに安静が必要と診断されて即入院。
食事の時でも上体を起こして良いのは30度まで。トイレもベッドの上で横になったまま…
ただひたすら安静にして、12番目の骨が自分で治るのを待つしかないのだそうな。
かなり落ち込んだ…

手首は一応引っ張って骨の位置を良い処へ動かしてギプスで固定してもらったものの(これがもうめちゃくちゃ痛かった。先生、麻酔打つの下手だった。群馬の先生は上手だった…)、次の日のレントゲンではまたズレてしまっているので手術してプレートで固定しましょうと言われ(あんなに痛いの我慢したのに)、すぐに予定を入れてもらい一週間後に手術。
抜糸するまで2週間はシーネで固定し、毎日消毒&ガーゼの交換をしてもらった。
シーネから出ている指と、入院してから立ったり歩いたりしていないので足の筋肉が衰えないように、リハビリ士さんが毎日15分程度だけどベッドのそばまで来てくれてあれこれ動かしたり色々と手伝ってくれた。手と足はそれぞれ違う人が担当してくれた。
どちらも男性で、手のリハビリ士さんとはスノボやバイクの話しを毎日して楽しかったな。とても良い人で、退院が決まって最後の2日間は、1日に3回も来てくださった。本当にありがたかった…

着替えは看護師さんが手伝ってくれて、夫が日曜日に来て病院のコインランドリーで洗濯してくれた。
毎日、朝起きてすぐと寝る前に、看護師さんが熱いタオルを持って来てくれて、それで顔や体を拭いていた。
毎日ではなかったと思うけれど、看護師さんが背中や足などを熱いタオルで拭いてくれることもあった。

お風呂は寝たきり状態だと週に一回だけで しかも曜日が決まっているので、手術の日のタイミングなどの都合で2週間入れず・・・髪が洗えないのはかなりつらかった(´-`) ウェットシートをちまちまと眉切りハサミで切って小さな穴を開け、クシにセットして髪をすいてみたり、色々とやってた(なんせ、何もすることがないので時間は有り余っているからね)。

急な入院で着替えの準備を自分で出来なかったから、パジャマがわりの部屋着とパンツを夫に頼んだら、GUで買って来てくれた。
パンツが5枚セットになっている品だったのだけど、とても布地が少なくてどこから足を入れるのかよく確認しないといけないタイプ。お風呂に入れてもらったり着替えをさせてもらう時などに、看護師さんたちが「ぇーっと…」という対応をしはるので、「夫に頼んで買って来てもらったんですけど、男性にしてみたらパンツってこういう形なんですかね?」と言うと、皆さんクスっとして下さりその場が和んだ。

朝食は8時、そのあとすぐに傷口のガーゼの交換などの処置、検温、病室のゴミ捨てと床掃除、週に一回ほど薬剤師さんの訪問、リハビリ士さんは午前だったり午後だったり時間がまちまち、たまに相談員さんの訪問、昼食は12時、夕食は6時、担当医の訪問。その隙間を見つけてトイレをお願いするタイミングを図るのは中々難しかった。食事の配膳は看護師さんがやってくれていたので、その時間帯はお忙しいから避けないといけない。ナースコールは計画的に。
トイレの対応も看護師さんによってまちまちで。コールしただけでちゃんと準備をして来てくれるかただと、とても安心感があった。
午後から面会時間になり、隣のベッドにお見舞いの方が来られたりしている横で私がトイレしているというのも、なんだか非日常的すぎて貴重な体験だったと思う。
だって、薄いカーテンで区切られているだけなのよ?上の方はアミだし…


食事はだいたい美味しかった。にんじんが苦手なのだけど、容赦なくゴロゴロ出て来た。とにかく早く治りたいから、頑張ってどれも残さず全部食べてました(^^)
しかし私は右手が使えないので、夫に頼んで買って来てもらったアイストングを使い左手一本で食べるしかない訳です。それがなかなか大変だったのだけど、アイストングは閉じて刺せばナイフがわりにもなり、刺したあと力を抜いてパカっと開けば食べ物を分離してくれたりと、意外に役に立ってくれました。ありがとう、アイストング君・・・この御恩は決して忘れません。
あと、夫がついでに買って来てくれたスプーン&フォークにも大変お世話になりました。

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天ぷら&てんつゆが出て来た時は、アイストング&上体30度の私には難易度が高すぎて ちょっと笑ってしまった。


バレンタインデーには、デザートにチョコムースが出てきた。

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福寿草のカードは、なんで出て来たんだっけな?
時々ついてくるカードに癒されました。
退院する前日に食事に関するアンケートがあったので、やっと少しだけ使えるようになった右手で、ミミズがはうような字で感謝の気持ちを色々と書かせて頂いた。

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シチューとかカレーも、上体を起こせない姿勢にはなかなか大変だったな。
しかも左手一本だし。まあでも他にすることもないし、作って頂いたものが毎食出てくるなんて本当に幸せだなーって思いました。



2月25日、リハビリを始めるために転院。

転院前日になってやっと上体を起こして良い日が来て、車椅子に乗ることが出来た。
次の日からさっそくリハビリ開始。立ったり歩いたりするのは割と大丈夫そう。
でも「先生の許可が必要だから」と日常生活の中では車椅子のままで、中々次の段階へと進むことが出来ない。
そしてコロナのせいで面会が禁止となっただけでなく、1Fの売店にも行けなくなってしまった。
自分でコインランドリーに洗濯に行けるようになったのはめっちゃ嬉しかった(同じ階にあって車椅子や歩行器でも簡単に行けたのは幸運でした)。

リハビリ士さんや看護師さんがカンファレスで先生に話して下さって、車椅子から歩行器へ。でも、まだトイレに行く時は看護師さんの観察が必要とのことで、なかなか気を遣う。「いつでも遠慮せず呼んで下さいね」と、看護師さんは皆さんとても優しい。
リハビリに行く時も歩行器を連れていかないといけないのだけど普通にスタスタ歩いているのを看護師さんさちも見てくれていて、やっとトイレも単独で行けるようになり・・・部屋も詰所の近くだったのが、一番奥の部屋の窓側のベッドへと移らせてもらえた。コインランドリーも近くなって便利。

新しいお部屋は、退院も近づいて元気に一人で歩けるお姉様たちばかり。
リハビリの空き時間に雑談をしたり歯磨きの時の洗面所の交代で声を掛け合ったりしている内に自然と仲良くなって、一緒に廊下をお散歩したり窓の外を眺めながら他愛無い会話をしたり、ほんわかとしたひと時を過ごさせて頂いた。

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お姉さまがたの中で、一番優しい 花さんが、本を貸して下さった。
上巻424ページ、3日くらいで読んでお返ししたら、花さんが「わたしね、退院が決まったの」とおっしゃる。来週水曜日とのことなので、下巻を借りて416ページをほぼ1日で読んでしまった。日曜だったのでリハビリが一回しか無かったから、今日は本の日って決めてがっつり読んだのよね。(そのせいか左目がちょっと出血しちゃったけど、軽かったのですぐ治ったから良かった)
色々と考えさせられる内容で、この時期にこの本に出会えたのも必然なのかもしれないと思った。


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食事はどれも美味しくて、本当に幸せだった。
前の病院の食事はとても豪華で美しく見えたけど、こちらの病院は家庭的で素朴な味わいがあって好きだったな。
お昼が品数も多く豪華で、夜はちょっと質素なところも良い。

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朝ごはんは、前の病院でもお味噌汁と牛乳が必ず出て来た。
私は冷たい牛乳を飲むとお腹が壊れるタイプなので、前の病院ではゆっくりゆっくり少しずつ飲んでいたが、もう自由に動けるので洗面所の熱いお湯をコップに入れて牛乳をパックごと温めてから飲んだ。なんという幸せ。


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廊下の窓からは、素晴らしい夕景を観ることが出来た。
私は部屋に食事を持って来てもらっていたが、他の患者さんたちは高齢だったり車椅子だったり介助が必要なため、テレビのあるデイルームに集まって食事をとる。同室のお姉様がたもそちらへ移動されるので、私は夕空を楽しみつつお見送りする。


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消灯は21時。
お姉様がたはもう、夜は8時くらいから電気を消してお休みのご様子。
私はテレビのところにある電気ポットのお白湯をもらいに行ったり、熱を持つ腕をいつも冷やしているアイスノンを交換してもらいに詰所へ行ったりと意識的に体を動かす。
廊下の窓からは夜景も見えたので、トイレに行ったりするたんびに眺めていた。遠くを走る電車の明かりがとても可愛くて好きだった。(朝は、夫が乗っているであろう電車を毎日窓から見送っていた)

毎日がとても平和で、私はいまだかつて味わったことのない心の平穏を感じていた。病室だから何もなくて、何も出来なくて、、、何もすることがないという状況は意外と心地よかった。今まで生きて来た中では、「アレやってない、アレもしなきゃ、アレもやりたいのに、アレまだ出来てないのに、そういえばアレはどうなったんだろう?アレも確認しとかなきゃ、アレも調べなくちゃ…」そんな感じでいつも焦っていて、ただそれだけで疲れていたんだろうな。
入院して、「心の平穏」というものを生まれて初めて体験した。
私にとっては、ものすごく意義のある出来事だと思う。
朝ごはんは8時、昼ごはんは12時、晩ごはんは6時、9時に消灯して、夜中にトイレに行ってまた寝て、6時頃にまた目が覚めて、7時頃に布団から起き上がって着替えて、8時にまた朝ごはんを食べる。そうやって規則正しい生活パターンを繰り返してゆけるのが どれだけ幸せなことなのかを知った。

そして退院した今でも、だいたい同じようなパターンで規則正しい生活を続けることが出来ている(^^)


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いよいよ退院。
たったこれだけの荷物で、2ヶ月も入院生活を送って来たなんてすごいなあ。

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手のリハビリ士さんが、自主トレ用にプリントアウトしたものと、握力のトレーニンググッズを買いに行って用意してくれていた。本当にありがたい…
(手は、手術までの1週間と、手術してから抜歯するまでの2週間、合計3週間固定されていただけなのに、指や手首が今までのようには動かなくなり・・・
リハビリを始めて1ヶ月と少し経った今でも、まだまだの状態である。)

手足のリハビリ士さん、どちらも若い女性で2人は仲良しなので、リハビリの時間は色んなお話しをしてとても楽しかったな。
私が耳が良くないのでわかりやすくするためなのかな? スクワットなど動く時には、いつも一緒に動いて同じ数だけ一緒に運動してくれて本当に優しかった(声をかけたり数えるだけで動かないリハビリ士さんがほとんど)。
「昨日あれやったので筋肉痛です〜」とか言ってくれて、本当に可愛かった。

退院して、皆さんと離れるのがめちゃくちゃ寂しかった。
通院でリハビリしている時に、同室だったお姉様に会えた時は、とても嬉しかったなあ。もう全員退院してしまって会える可能性は限りなく低くなってしまった。
リハビリ士さんとも、通院リハビリはもうあと一回しか予定がないのでそれが最後になってしまう・・・

ともあれ、入院の記録はここまでです。
今後の予定は、手術後3ヶ月の診察と、リハビリが一回のみ。
そのあとは自分で、この動かない右腕とどう付き合ってゆくか、だな。



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花咲るちあ
有料になっている写真は、自分でも特に気に入っているものを選んでおりますので、もしも気が向かれましたら覗いてみて下さい(^^)