8-07「灯台員」

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1)
その影が岬を覆うほどの大きな灯台があった。御影石で組まれた巨木のような円柱に、増改築を繰り返した尖塔が積み重なっていた。螺旋階段を昇るとささやかな管制室と仮眠室があり、そこにコヅクエという男が住んでいる。彼は四六時中やかましく鳴り続ける無線を相手に、窮屈な守灯生活を続けていた。

日々FM変調された暗号音声をわら紙に書き殴り、蛾のようにさまよう無人船を指令する。どこから飛来するのか見当もつかない乱数放送を捉まえて、老女の気怠い発音に耳をそばだてる。デスクには毎秒のように「灯台協議会」の至急報が届く。端布のように伸びたサーマル紙には、直近の違反事例を糾弾する文言がびっしりと書き込まれていた。愉快な読み物ではなかった。北の灯台員が宿酔のまま業務にあたり、アルファ船を乗揚させた。協議会は刑事訴訟を検討している。これを読んでいるあなたも他人事ではない。不要な規程の改訂を望まないのであれば、今後も指令を厳守せよ。等々。

尖塔の階下にはコードトーカ達が住み込みで保守点検を務めていた。男達一人ひとりが一日を忙しなく暮らしていた。出の悪いシャワーノズルを取り替えて、欄干のプランタから野菜を収穫し、午には小さな船で漁に出た。たわむれに旧式のフォグフォンを鳴らすこともあった。実のところ、その音色を耳にする人間がいるのかどうかも分からなかった。この星の人口はこれ以上ないほど疎らになっていた。それでも協議会からの指令は日を追うごとに複雑怪奇、意図不明で耐えがたいものになっていった。巨塔の内部は、ほとんど無意味な文書綴りで埋もれていた。

朝から晩まで錆びついたカッパーマイクに声を張り上げることはあっても——無人船は発話指令に応答できた——コヅクエには話し相手がいなかった。わずか20余名のコードトーカ達の母語を習得できた人間はこれまで誰もいなかった。それ故に彼らは怖れられ、退役後すぐに放逐されたのだった。長らく一緒に暮らしてきたコヅクエにしてみても、結局は身振りで意思疎通するしかなかった。彼は、雑役夫として生き、日がなおしゃべりに興じる男達を羨ましく思った。自分にも話し相手が欲しいと願っていた。

2)
ある秋、大灯台にバチスカーフを備えた調査船が訪れた。船のことは、至急報で知らされたばかりだった。機関に叛いた野良の潜水技師が身勝手な放浪を繰り返している。寄港された際は速やかに通報せよとのお達しだった。男達は埠頭に立ち、一体どんな海賊が降りてくるのかと待ち受けた。農作業に使うスコップを構える者もいた。

タラップがかかり、灰のレインコートを被った女が降りてきた。落ち着いた口調で、時化が近づいたための投錨であること、転属先への航海の中途で補給も支援も不要である旨を伝えてきた。フードを外すと、青白い首筋にブルネットの髪が乱れているのが見えた。船を検めたが、他に誰もいない。ぶち猫が一匹いて、あとは膨大なログや潜水写真が山と積まれているだけだった。一転、男達は彼女を歓迎した。彼女の暮らしぶりは——暗い海に潜降する点を除けば——驚くほど灯台の暮らしと似通っていたからだ。オートパイロットの点検と愛猫の世話、ログの整理と簡素な航海食の繰り返し。コヅクエも、彼女の語る暮らしに親近感を感じた。雨雲が過ぎるまで、灯台に泊めてやることにした。

彼女は自身をミナミと名乗った。この海をずっと潜ってきました。友人も同僚もいない。おしゃべりするのは、無人僚船やAUVの自動音声だけですね。はぁそうですかそれは大変でしょう。何かと入り用ではないですか。少しゆっくりされても誰も文句は言いません。恐れ入ります。ご相伴だけでも甘えさせていただきますわ。そういうわけでコードトーカ達は愛嬌たっぷりに彼女をもてなした。熱い風呂を用意し、とびきり上等なスープを拵えた。久しぶりの客人にはしゃぐ者もいれば、熱心に求愛する者までいた。けれど、やはり言葉は通じなかった。冷やかしや嫉妬の眼差しを浴びながら、コヅクエが彼女との会話を独占していた。それは彼が数年間、欲していたものでもあった。

二晩、三晩と尖塔の縁で二人の会話は続いた。ミナミの話は機知に富み、好奇心を刺激した。それはコヅクエの琴線を共鳴させた。密閉された唇を、心を、換気するように開け広げた。バチスカーフの船酔い話に笑い転げた。深海生物の未知なる生態に感嘆した。彼女がほほえむと、自分の思考が確かな支えを得たような気持ちになった。互いが同じ時、同じ図書館に通っていたと知ったときには、自身の生き写しに遭遇したような気持ちにさえなった。彼女の方も、コヅクエの話に感銘を受けた様子で、熱心に頷いていた。彼は感激していた。数年来の沈思黙考をこれほどまでに理解してくれる存在はないと思った。彼は、恋に落ちた。暗夜の海に潜る女のそばにいたいと願った。

問題は、恋の成就の行方にあるように思われた。その数日間、コヅクエはうじうじと理由をつけて彼女への告白をためらった。曰く、彼女の冒険心を阻害するような関係を提案するのはかえって不誠実だろう。俺は彼女と互いに孤独であるという一点に共通項を見出して、身勝手な片恋慕をしているのかもしれない。強引にかき抱くような真似をすれば、失望される。それに、自分も彼女も忙しいのに、見通しの立たない愛を伝えてどうする。こんな調子でコヅクエはミナミを説得せず、かといってすっぱりと諦めることもできず、遠回しに婉曲に恋心を伝えようとした。

さらに数日が経ち、海は晴れ渡った。コヅクエが文通的な関係を第一に切望したので、ミナミは自船の通信先を伝えた。そしてさっぱりと大灯台の元を去って行った。コヅクエは結局彼女を引き留めるだけの気概を持たなかった。弥縫策としてバチスカーフの孤独と、灯台の孤独とを互いに共有しようと考えていた。それが彼女の信念を慮りながら繋がりを保つ最低限の処置だと思っていた。いずれは事態が打開できるかもしれないし、真心のこもったノーティスが届けば海の底で俺に心を委ねてくれるようになるかもしれないだろう。だが、彼女からの通信は途絶と空白の連続で、ほとんど生存しているのかも分からない有様だった。彼は未練がましく連絡を取った。ミナミさま、ご無事でしょうか。ご無沙汰しておりますが、私はあなたが心配です。けれども潜降する彼女からの返信はますます遅く、寡黙な、控えめなものになっていった。最近は調子を落としておりましたが潜降調査は順調です、そちら様もご自愛いただきたく草々。冬を越え、春にようやく届いた返信はほとんど社交辞令の体だ。彼女はコヅクエの声が届かないところまで沈下しているように見えた。鉛のように海底に沈む人、頑迷にその返事を待つ人。その恋は端から窮まっていたのだった。

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