山上容疑者に精神鑑定留置は不要であった

 山上容疑者の精神鑑定が終わり、刑事責任を問えると判断できたとのことで、ようやく殺人罪で起訴することが決まったそうである。しかしそんなことは初めから明らかだったと思われる。
 現状の精神鑑定とは、重大事件についてすべて行われるものではなく、明らかに精神状態に異常が見られるものに行われているはずである。例えば通り魔などの無差別殺人や全く恨む筋合いにない人物の殺人などである。つまりその動機が金銭目的や怨恨ではなく、社会全体に対する恨みや、死刑になりたいためとか、単になんとなく人を殺してみたかった、などといった風に、ちょっと精神状態がおかしかったなどというレベルを超えた異常さが感じられる場合のことである。
 統一教会と安倍前首相の関係が一応分かった以上、山上容疑者が安倍前首相を恨む対象にすることに特別な異常さは感じられないはずである。それを敢えて精神鑑定に回したということは、勘ぐれば、「安倍前首相はそんなに恨まれるほど統一教会に関与していなかった」という印象を世間にアピールするためだったのではないか、とも思われる。
 余談ながら、過去のこととして忘れられていたかのような統一教会の実態とその被害が明らかになり、曲がりなりにも対策が取られつつあるのは、山上容疑者のおかげと言えるのも事実である。


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