なにもままならない
二十歳になったので反省を振り返るnoteでも書こうかなと思っていたけれど、自慢をしたいだけになりそうなのでボツにした。
どうせ自己満のnoteを書くのなら、過去よりは未来について考えたほうが自分の得な気がしてきたというのもある。
さて本題に入ろう。今の生活はたくさんの事柄を捨てている。講義、サークル、掃除、果たすべき役割を放り投げて自由奔放に生きている。自由奔放とは言葉だけで、SNSなどに縛り付けられているのかもしれないが。
原因はわかっている。互いに被る部分はあるがふたつの言葉で表してみる。
「原動力」と「取捨選択」
「原動力」──今までは自分がやってきたこと(=自分ができること)をもとに何をするか決めていたけれど、その気持ちのままで行動してたら動けなくなってしまった。
"若さのパワー"とか"体力"とでも言うべきか、行動力やら好奇心やら自己主張やらの力が、色々なことができるほどの活力がなくなってしまったのだ。
「取捨選択」──ほんとうは半年以上前から気づいていたことだ。これまでと同じように雑多に色々な行動をするのではなくて、居場所とかやることを絞っていくべきだと分かっていた。だけど「今は元気だから」と先伸ばしにして結局改善されず仕舞いになっている。
まとめてみれば、これからは何のために行動するのか、目的・目標・人生設計を明確にすること。それによって「選択と集中」をしたり推進力を足したりするほか無いのだろう。少なくとも自分はそう解釈している。
今までは何となく、やりたいことをやるとか"何者"かになりたいとかそういうチンケな目的はあったけれど、もっと強い動機づけがないと動けなくなってしまったのだろう。ただ楽しいことをやれば幸せという心持ちは霧散してしまったのだ。
眉唾物だと言い切ればそうだけれど、コラージュを作成してそれから読み取ってリアクションをする面談を受けられる機会があった。
そのときに言われたうちの一つは「将来を考えた方がいい」ということだった。未来への「翳り」が表れてるとかなんとか。当たってるかもね。
これは全くの余談だが、指摘されたもう一つのことは人間関係、特に異性との関係性についてだった。付き合った方がいいと諭されてそれをウヤムヤにするとツケが回ってくるとか言われちゃったわけで。でもこの指摘は妥当に感じるね、詳細は略。
閑話休題。いま再び現実を整理・決別する、損切りをしないといけないタイミングになっているのだろう。大学に入ってから明文化されたゆるい目標「どこにでもいる人になりたい」、これを目指すことは気力的にもう無理だと確信した。
だからこそ新しい一つの方向に向いた目標が欲しいと思っている。それに今いちばん近いのは教員を目指すことだと思う。
それ以外の活動は趣味として(例えばプログラミングとか交通工学とかを)強制力控えめにやるしかないのかなって。
上での目標を教員としたけれど、これは便宜的なものでまあ一番現実的で卒業のために使える目標だからってのが大きいよ。打算的だね。
実際どんな進路選択をしていくのかは全く決めてないしわからないけど、潰しの効く道を進むのはいいことだろう?
上で書いたように一つだけ決めたことがある。ひと段落ついたときに現実を整理するということだ。
少なくとも人間関係については断捨離しないと伝えておく。それは心配しないでもらえれば。
全体を通して振り返ってみると、結局過去について話しているわけですね、僕はどうにも過去の栄光()と比較しないと自分について考えられないようですね。
自分の最も誇れる時期が高校以前にならないことを願うばかりです。(終)
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