断言できない、思考の二面性

ずっと、多少は記事のネタを思いつくのに、執筆の手を進められないで下書きのままでいる。
理由は言い切ることができないからだ。

具体的な事例をあげよう
「私は必要以上の努力をしない」という主張をしたいとする。
そういう主張がしたいと思う程度には、自分の生活には努力という要素がないと認識しているのだ。
よく考えてみると、他人から「あいつ頑張って努力しているな」とみられるようなことをしている場面が複数思い浮かぶのだ。
だから言い切ることができないで、その主張をNote上でできなくなって投稿がずっと止まったままになっているのだ。

このように、主張したいことを明確な形で固めることができないでいる。
それによって、様々な概念が絡み合って混沌とした、整理できていない概念が積まれたまま日々の生活を送っているのだ。
だから、日々を送っていても釈然としないことが多くあるのだ。




さて、その元凶は何であろうか?
私はそれに対して一つの"納得できる"回答を出した。

私の中には二つの思考がある。

一つは「頑張りすぎない、必要最小限でいい、逆張りが正義、楽しければそれでよし」といった妥協的・利己的な思考。
もう一つは「ちゃんと成果を出す、他人のためになることをする、大勢の意見は案外正しい」といった追求的・利他的な思考。

この二つが共存しているのだ。
この二つは別々に存在し別々に顔を出してくるわけではない。
意識の中に出現する割合がその時々で異なるのだ。
ある時は前者が優位だし、またある時は後者が優位になるみたいな。




私が観測しているに、「がむしゃらに期待に応えないと!」みたいな一元的な思考をしている人で自身の限界を理解していない人ほど、身体やら精神やらを壊しがち だと思う。
そういった意味で、妥協的・利己的な思考を持ってほしいと布教しているのだが……どうなのだろうか?




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