ある空間
その女性と彼は、それまで知り合いだったのではない。
美しい人だったかどうか。もちろん醜い人ではなかった。いっしょにいて楽な落ち着いた気持でいられる人で、その人の顔を見、着ている服や体を見ているのは、いいことだった。腰や臀部や胸、肩や首筋、脚や足首などを見ていたのだが、それはその人の形をしていて、彼はそれが好きになった。
夫がいることがわかっていた。どこかよそで仕事をしているのだった。昼間だった。
「結婚している女性は美しいから」と彼は言った。「独身の女性なら独身であることがその女性を美しくするように」。
彼女の家に入ることが、少し気にならなかったわけではないが、彼が家に入ることは、彼女にとって、何も困ることではないのだった。
家は、古い3~4階建てのコンクリートのアパートで、壁などは褐色っぽく、くすんだ感じだった。室内は、あまり多くない家具や道具類も、みんな古く、木や竹や布の物が多くて、民芸品のようだったのが、魅力的だった。
何を話したのかは思い出せない。話しながら、お互いに体に軽く触れると心は満ち足りた。抱擁しようとすると、ためらいの気持、気後れ、などが心に浮かぶのだが、彼女はその瞬間にそれに気づいているのがわかり、彼はそれを隠すべくもなかった。しかし、彼女の様子は、そんなことは無用だということを表していた。彼を誘おうとする気配もなく、ただ、気後れは無用だということなのだった。それがわかると、気後れは彼のなかで瞬時に溶けて消え去り、心の解き放たれるのが感じられた。性行為はしなかったが、しても構わないのだった。性器は特別な意味をもたなかった。刺激的なものはなかった。お互い落ち着いていて、生きることに満足していた。家の中も、戸外に生えている植物なども、アパートの他の所帯も、落ち着いていて、静かだった。
「ぼくは彼女を愛したのだろう。ただ、お互い、特別な存在であることを求めて得ようとするのでもなかった」と彼は言う。
「いま、どれだけの人たちが幸福だろう。そうとう多くの人がそうなのだ。不幸な人が皆無とは言い切れなくても」
「人類の終わりは近いな。ほかの生物たちは生き続ける。以前に人類が滅ぼしてしまった種は取り返しがつかないが」
「人類は終わるとしても、このような幸福があらねばならない」
生きることにこのように満足していることを、特別なこととも、誇るべきこととも思わなかった。ほかの人々もそんなものなのだとわかっていた。ごく普通の、多くの人たちが幸福であるのを、彼は知っていた。彼女も知っていた。
心を隠しもせず、直ちにありのままに感じ取るような、人との接触があること。今から思うと、それが幸福なのだ。それが特別ではないことが、平和なのだと、彼は平坦な声で語った。
その後、しばらくは、その経験が、人体をひとつ入れるのにやや余る程度の大きさの、一つの箱のような透明な空間としてあるのを彼は感じ、その中に体を持ちつづけているのを感じていた。その空間が、日常のあれこれを考えたり行ったりしている彼自身よりも現実的で、物質的とすら言っていい感覚があったと言う。
ぼくは一瞬ボードレールの「旅への誘い」を思い出したが、彼の話には豪奢さという観念も遠くの土地という観念もない。
この話をしてから長いこと、ぼくは彼と会わなかった。そして、偶然、ある人から、彼がガス管を銜えて死んだと聞いた。自分で死んだのだが、友人たちはそれを自殺と呼ばない。死は罪だからだろうか。ぼくは、あるとき彼にあることで喰ってかかったとき「なら、俺を殺してみろよ、死が存在しないことがわかるだろう」と言った彼の言葉を思い合わせる。死がないとすれば、自殺もまたないのかもしれない。
今彼が生きていれば「こんな話を頷いてくれる人には、なぜアベやスガの政権がいけないか、説明を要しないな」とぼくは彼に言うだろう。「ただ、なぜアベ・スガ政権がいけないか、説明を要しないひとが、みなこんな話に頷いてくれるわけでもないね」と彼は言うだろう。