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30年を経て『河殤』を振り返る(12 最終回)

前回


③「重评《河殇》」は、付録二《河殇》论争情况综述(《河殤》に係る論争の内容を総合的に述べる)で締めくくられている。

執筆者は、肖栩(肅栩)となっている。百度検索したが、どのような人物であるのか探し当てられない。

本文试图将具有代表性的论点及其主要的逻辑线索,作一大致的综述和勾勒。为方便起见,我们按时间的先后来进行介绍。

“論争における代表的な論点およびその中核的な論理により、時系列的に総合的に述べる”
とあるが、実態は《河殤》を徹底的に否定する意見の紹介である。

紹介された論者の中に注目すべき人名を発見した。現在の中国共産党中央政治局常務委員(所謂China 7)の序列第5位王滬寧である。

王滬寧は、行政の経歴が皆無のままChina 7にまで上り詰めた異色の高官である。また、江沢民時代に中央に職を得た後、現在の習近平政権に至るまで一切失脚することのなかったことでも注目されている。

党中央に移ってからは、中央政策研究室に所属し、江沢民の「3つの代表」や胡錦涛の「和諧社会」・「科学的発展」そして習近平の「中国之夢」という各政権の基本方針を策定したとされる。つまり「切れ者の書き屋」だ。

このように彼の経歴は“理論家”のみで、「重评《河殇》」が発刊された1989年当時の職位は、復旦大学国際政治学部長である。

王滬寧は、以下のように論じている。

《河》片的地缘主义揭示了我们文化固有的一种隔绝机制,这使我们的文化在农业社会的弥散状态下走向分散、封闭和超稳定。这一不可抗拒的状况意味着宿命的悲哀。而《河殇》自身又是超越这种隔绝机制的一份宣言,它跟地缘宿命论纠缠为一个悖论。
《河殤》における地縁主義は我々の文化固有の一種の隔絶メカニズムを掲示しており、この地縁主義は我々の文化を拡散(弥散)状態にある農業社会において分散・封鎖・超安定に向かわせる。この抗い拒否することができない状況が意味するのは宿命の悲哀である。そして《河殤》自身もまた、このような隔絶メカニズムを超越するとの宣言であり、《河殤》は地縁宿命論とともにパラドクスとしてからみもつれるのだ。

難解な文章である。正しく訳出できているのか自信がない。最近連日中央電視台の新聞聯播で流される政治スローガンのようである。

そして、このパラドクスは次を意味する、というのだ。


・反映了作者心理深层的“沉重忧患”;
・显示了反思的主体所达到的深度。就反思的主体肯定了《河》片的作者抛弃了“浅薄的爱国热情”;
・所谓“悲悼”的情感内核,即是“在沉痛的忏悔之后向理想的境界提升”。
● 《河殤》作者の深層心理にある“深刻な苦悩・憂い・患い”を反映している。
● 歴史・文化を回顧・検証する主体(《河殤》肯定論者)が到達した深度(が浅いこと)を明示している。つまり、彼らは《河殤》作者が“浅薄な愛国の熱情”を放棄したことを肯定している。
● “悲悼”という情感の中核とは即ち“痛みを伴う懺悔の後に理想に向かって向上すること”である。

ますます訳が分からない。

少なくとも、後に国家の最高権威にまで上り詰めるような当代きっての理論家が、言葉を駆使して《河殤》を否定している事は確かである。

付録二、即ち③「重评《河殇》」は、《河殤》が“学風不正”・“史実歪曲”だとする、張国祚の以下指摘で終わっている。

● 古代中国先进的文明绝不代表现代中国文明的先进;
● 同样,现代中国文明的落后也绝不意味着古代中国文明的落后。如果借反思今日中国之文明来肆意贬损古代中国之文明,那无疑是“最彻底、最深刻的历史歪曲”。
● 古代中国における先進文明が決して現代中国文明における先進性を代表するものではない。
● 同様に、現代中国文明の劣後性は決して古代中国文明の劣後性を意味するものではない。もし現在の中国文明をもって回顧・検証して古代中国文明を毀損しようとするのであれば、それは疑いなく“まぎれもない、最も深刻な歴史歪曲”である。

張国祚とは、1949生まれで現在以下職責にある張国祚であるのは間違いないであろう。
中国文化軟実力研究中心主任
中央マルクス主義理論研究・建設工程“国家文化軟実力建設研究”第一首席専家

「軟実力」とはSoft Powerの事である。彼は、習近平政権の中国共産党が世界に冠たるSoft Powerを指導していることを証明する「書き屋」の筆頭なのだ。王滬寧と彼とが登場している事実は、実に象徴的である。

さて、《河殤》の振り返りを開始した当初、「完全に存在を消されている」としたが、その後じっくりと検索すると、シナリオ原文は現在でもウェブ上に残っていることがわかった。

当然ながら「重评《河殇》」の類も全文ウェブ上に上がっている。

存在を否定しないが解釈を与える、という状況は、儒教経典の注釈と同じ発想であるようで、実に興味深い。

古代以来このようにして知識人は時の政権の詮索を潜り抜けて原典を残そうとしたのではないだろうか、と改めて考えさせられる。

3回程度で終わらせられるつもりであったが、読み返すにつれ確認対象が増え、確認すればするほど注目点が多く見つかり、拡散に拡散を重ねてしまった。振り返りをこれで終える。

(*)写真は2004年9月の西安華清池

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