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《萬柳堂即席》-趙孟頫- (6・最終回)

前回


清代の顧嗣立が編纂した《元詩選》には、趙孟頫の人物紹介とともに約200首が掲載されているにも拘らず、《萬柳堂即席》は掲載されていない。宴席での《即席》であることが理由なのだろうか?

ところで、《中国の名詩鑑賞9(元・明)》(福本雅一 明治書院 1976)に、趙孟頫が元朝に出仕したことを恥じる詩が紹介されている。

《罪出》
在山為遠志 出山為小草
古語已云然 見事苦不早
平生独往願 丘壑寄懐抱
図書時自娯 野性期自保
誰令堕塵網 宛転受纏繞
昔為水上鷗 今如籠中鳥
哀鳴誰復顧 毛羽日摧槁
向非親友贈 蔬食常不飽
病妻抱弱子 遠去万里道
骨肉生別離 丘壠誰為掃
愁深無一語 目断南雲杳
慟哭悲風来 如何訴弩昊
山に在れば遠志と為し 山を出づれば小草と為す
古語は已に然り云ふ 事を見るに苦(はなは)だ早からず
平生は独往の願ひ 丘壑(きゅうがく)は懐抱を寄す
図書は時に自ら娯(たのし)み 野性は自ら保たむと期す
誰か塵網に堕し 宛転として纏繞(てんじょう)を受け令めし
昔は水上の鷗為り 今は籠中の鳥の如し
哀鳴するも誰か復た顧みむ 毛羽は日に摧槁す
向(さき)に親友の贈るに非ざれば 蔬食は常(かつ)て飽かず
病妻は弱子を抱き 遠く万里の道に去る
骨肉は別離を生じ 丘壠(きゅうろう)は誰が為に掃(はら)はむ
愁ひ深くして一語無し 目は南雲に断えて杳(はる)かなり
慟哭悲風来たり 如何ぞ弩昊(きゅうこう)に訴へむ
遠志:高価な薬草、懐抱:胸の想い、塵網:俗世間の束縛、宛転:変化する、纏繞:まとわりからみつく、摧槁:くだかれ生気を失う、蔬食:粗食、丘壠:墳墓、南雲:南にある雲、すなわち故郷である浙江省湖州(=北京から南)、弩昊:天

「山にあれば高価な薬草なのに、山から離れればつまらない草だ」ということが昔から言われているのに、知るのが遅かった。
孤独に暮らしたいと思い、山に想いを寄せていた。書物を楽しみ、天性のままでいようと考えていたのに、誰が俗世の網にからませたのか。
いまや籠の中の鳥。哀れに鳴いても誰もかえりみず、羽毛は抜け落ちる。以前は贈り物でもないかぎりは粗食でも平気だった。
病の妻は幼子を残して遠くに旅立った。肉親とも離れ離れとなり、誰が先祖の墓を掃除するのか。
愁いが深すぎて言葉にならない。故郷は遠くて見えない。慟哭すると悲しい風が吹く。
どうやって天にこの気持ちをつたえようか。


第1、2句の故事は、出仕に応じなければ高邁な人物だと評価される、という意味である。大意の通り、切なさがしみじみと伝わってくる。


さて、この《萬柳堂即席》を掲げた釣魚台賓館の意図はどこにあるのだろうか?施設の性格を勘案すると、何の意図もなく選定したとは考えにくい。

外国人から詩の意味を問われる場面は当然想定されているはずであり、その“模範回答”まで準備しているはずだ。

以下、妄想を膨らませてみたい。


【可能性①】:単に北京の景勝地を詠んでいることが理由

この詩を引用して現代にまで伝えている《大明一統志》は地理書で、《輟耕録》も雑多な同時代見聞録で、あくまで萬柳堂の説明である。

詩の内容も、趙孟頫の経歴とは何の関係もない。

妄想する必要もなく、単に北京の景勝地を詠んでいることが理由で、外国人から問われれば、大邸宅の立派な庭園で大規模な宴会が催された、と答える。

しかし、この場合最後の2句は、どう処理するのか?

誰か知ん咫尺京城の外
便ち無窮萬里思有んとは

適当にうまいこと言うのだろう。そういう説明に何度も遭遇した。「上有政策下有対策」である。


【可能性②】:“中華民族”は古来より相い和している、と説明する

元代はモンゴル族政権だが、政権幹部にウイグル族が登用され、その邸宅で前政権宗室出身の知識人官僚も招かれた宴会が催されたのだ。このように古来より“中華民族”として統合されているのだ・・・と説明する材料にする。

やりそうである。無知な欧米人、いや最近の日本人も、コロリと騙されることだろう。

これまた、同様の場面に何度も遭遇した。


【可能性③】:中国共産党統治の盤石さを言う

そもそも古来、東アジア大陸の覇権を握れば、既存勢力はその力に従う。そして、中国共産党は“民族”や“封建的権力”などを克服した“中華民族”を統合する覇権政権として、いまやGDP世界第2位にまで成長した。
これほど盤石で強力な覇権国家が他にあろうか!わっはっは!

妄想は、この程度でやめておこう。

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