安宿のコインランドリーで洗濯したとき、小さな幸せを感じる理由
私は安宿が好きだ。できれば5000円以下であってほしい。ちょっと家具が古い、建物が古い、場所が遠い、そんな理由などから7000円の値段がつかないビジネスホテルだ。コロナで宿が安くなっているときに、普段泊まらないような通常営業では1万円以上するホテルに複数回泊まったがあまり良くなかった。もちろん、稀に良いホテルに泊まるということに興味があるけれど、日常的な業務における宿泊は安宿の方が良い。ランキングでいうと中の下くらいに身をおくことで安心するのだろう。
そんななかでも連泊ができるととても嬉しい。連泊をすると部屋で滞在する時間が圧倒的に増えるからだ。安宿の場合、サービスを受ける宿泊施設というよりも、自分の荷物が一切ないワンルームアパートに滞在しているような気分になる。自分の部屋というものはどんどん生活感が出てしまうから、生活感のない安宿が私には嬉しくなるのだろう。
安宿によってはコインランドリーがついている場合もある。2023年の今年にはいってから、鹿児島、新丸子、新宿、東広島と4回安宿で洗濯した。そのとき各回、言葉にしにくい小さな幸福感を感じる。3日ほどの出先で少しずつ溜まっていく着た服たち、それらを出先で洗濯する。そうすると自宅に戻った後もその洗濯がなされた服で生活を始める。こうした出先と自宅の連動が小さな幸せを感じる理由なのだろうか。それとも、出先なんだけど、汚れた衣類が無くなることに清潔感を感じるのだろうか。理由ははっきりわからないけれど、コインランドリーがついた安宿で洗濯した記憶、そのときに感じた小さな幸福感は全て覚えていて、なにか一致した感覚である。こうした小さな幸福感は、安宿で連泊するのが趣味という私の性格の上に立っている。趣味の上にある小さな幸福感というものが、生活や人生を豊かにするのは誰にも疑いがないことだから、この小さな幸福感を大切にしたい。
恋愛なんかでよく価値観の一致とかいうけれど、安宿で連泊してコインランドリーで小さな幸福を感じる価値観なんて一致する異性はほとんどおらなさそうなので、きっとこの価値観が私を独居おじさんの道に連れていったのだろう。