【日記】ブックカバー
最近、パソコンで何か入力するということもめっきり減って、ちゃんと打てるかどうか不安になってきたので、リハビリがてら一つ記事を書くことにした。
日和がだいぶ安定してきた。自転車で遠出も出来そうだ。朝はTシャツ一枚ではいられないくらい寒かった。
タルコフスキーの、自伝的エッセイ集、と言っていいのか、映画全般と、自作について語っている、「映像のポエジア」という本を読んでいる。
創作について、批評的な言葉づかいとか視点を排して、ひたすら実作者として、しかも脇道にも逸れずに、創作技法について語っている文章というのは、貴重だと思う。
「映画は、芸術としての使命を認識するべきだ」、「民衆を精神的に高めるものでなければならない」など、いささか何というか、意識が高いというか、夾雑物を全て排するような態度が、理解を拒む部分もあった。
が、とにかく、全霊を賭けて映画に向かう姿勢は、否が応でもこちらにその感情が流れ込んでくるようだった。
個人的な話だが、本の読み方をまた変えてみた。その場だけでもいいので、見開きの二ページを、丸々でなくてもいいから暗記しつつ、読み進めていく。量を気にするあまり、自分の中に、何も残らない読書をし過ぎてきたかもしれない。
ブックカバーを買った。革製の、いいやつだ。本を汚したくないという気持ちがあるわけではなく、周りの人間に対するステータスにするつもりも、毛頭ない。本は全くと言っていいほど家の中でしか読まない。けれども、気まぐれで買ってみたブックカバーは、「今はこの本に集中している」という意識を高めるということに気が付いた。また、たとえば次の本に移ったとしても、このブックカバーがあることによって、錯覚かもしれないが、何かしらの統一性、継続性が維持されているような気分になる、のかもしれない、などと想像もし、要は読んでいる時の気分が良くなる。
手段や、自分の気分を高める道具はなんでもよくて、その結果、集中した読書経験が得られれば、それに越したことはない。