【日記】頭の働き

 朝は寒さが厳しかった。昨日もそうだ。その前は、暑い日が二日間続いた。まだコートを取り出さなければいけないとは、油断できない。
 日々、自転車を漕ぐことが多い。足はよく動くようになった。最も力を使うのが大腿の前の筋肉で、最近では動かしていない時は筋肉痛で、動かしている時は炎症と似た、疲労の感覚がない日がないのだが、それに伴って力もつき始めた。そんな風で、足はよく回るのだが頭が回らない。何かを思い出そうとしたときに、頭が大儀そうにするのを感じる。イメージが浮かび上がってくるのが遅いとか、少ないとか、それもあるかもしれないがそれより、まず思い出そうとしないのである。何か能動的に思い出すこと、それが必要になる行動は避け、条件反射的に思い出すことで構成されていたり、手がとりあえず動くというような作業を好んでやっていることに、これまた他人事のように気がつく。
 年を取ったと泣き言を言ったところで仕方がないし、足の力は別に三十六を過ぎても今から機能が上がらないわけではないということは、証明された、楽器の技術も、確かにプロレベルでは物心つく前の教育が必須で、遅くとも中学生くらいまでにはその端緒についていなければ、まず難しいということが通説で言われていると聞いたことがあるが、そのような高いレベルの話をしなければ、今からでも覚えられる、それも我が身をもって証明したところだ。今まで、精神の鋭敏な作用を利用せず、何かを磨くということをしてこなかった結果がこの精神的鈍麻なのだとしても、それが今からどうにもならないと決まったわけでもあるまい。
 ただ、何か変えるには、明確に何かをしなければ変わるものではない。それも前二者の自分自身の肉体改造とでもいうべきものが、証明している。精神構造においては、明確な基準や「やること」を決定することが難しい。難しいからと言って、何もやらなければ、おそらくこのまま死ぬまで、ぼんやりとものを考えながら過ごしていることだろう。

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