【日記】そもそもトルコの本質はイスラム教とは別の所にあり、いわば風のようにアナトリアの地をイスラム教が通り抜けていったかのようだ

 そうすると、イスラム神秘主義という、正統派からはすこし距離を置いている宗派の立場はどうなるのだろうか。

 文字を書ける、キーボードを使用して、好きなこと、思ったことを思いのたけ打ち込むことが出来るというのは、当たり前のことではない、幸福であることだと思う。
 それは、実は、それをどこかに発信するとか、誰か別の人間が読むと言ったことより、書き込むこと自体の方が、価値が重たいのではないだろうか、とすら思っている。
 どう価値があるのか、なぜそういう重きになるのか、という点については、僕のなかでは納得できているけれども、うまく文字になり切らない。それより、とりあえずは、その幸福、賜物を最大限利用しなければ、と思う次第である。

 トルコ、現在の国名ではトルコ共和国となっているが、本質的にはアナトリアの地の人々、と呼んだ方がいい気がするその人々の人種も宗教も、時代によって本当にコロコロ変わってきているようだ。しかし、それはただ偶然に任せて変転を重ねてきたというより、戦略的に様々なものを取り込んで拡大してきた、と言った方がいいような、そんな変化である。
 フン族という、騎馬遊牧民がいた。今の中国やモンゴルのあたりを席巻していた。
 その中で、アナトリアの地に定住し、傭兵として他の国と関係を持っていた一群が、オスマンと呼ばれるようになった。
 いま、一番わかりやすい説明にするため、ひとつの線に沿って表現しているが、実際のところは、本当に多数の民族、国、宗教が混ざり合っているので、このようにわかりやすくはなっていない。
 ここにさらに、外部の要素として、イスラム教が入ってくる。もとトルコの、オスマンの人々は、やはり戦略的に、イスラム教を取り入れたのである。
 前にも触れたことだけど、その時から現在まで、トルコのイスラム教受容は、絶妙な距離を置きながら、しかし主体的ではある形で、発展していく。
 発展というより、一度この地に合うようにカスタマイズをして、それが現在まで続いていると言った方が良いか。
 アラブ首長国連邦とか、イランとか、そのあたりの信仰のあり方とは、かなり違うらしい。だが、どこがどう違うという所までは、説明できない。
 トルコの地では、シャーマニズムが土着的にあった。これは、他の地域でも見られる形のものである、と思う。だが、それとイスラム教をミクスチャーしたのが、トルコ独特であるらしい。
 イスラム神秘主義と呼ばれる。
 前に、その宗派の本を読んだことがある。しかし、それは確かトルコの教団ではなかったはずだ。
 イスラム神秘主義の考えは、けっして見ることのできない神の姿を、修行次第では垣間見るとか、そういうことを言うので、神を見ることができないと思う宗派とは、必然的に対立せざるを得ない。
 また、すでに国教であるという形は捨てた現在のトルコの宗教として、イスラム教であると名指すのも、少し外れていることになるのだろう。
 だから、トルコはイスラム教であると単純に言ってしまうことは、何重かの意味で少し違うな、となってしまうのだろう。
 しかし、純粋な宗教しか、中心的に機能しないのだろうか。今ある仏教は、原始仏教の形をしているだろうか。原始仏教も、かなり異形というか、今あって生活に馴染んでいる仏教徒は異質な形をしていたりする。
 いま現在、機能する宗教に向かうべきであると思う。あるいは、変転を経て、なにか別物に変わったと思えてならない宗教があったとして、それはそれでその土地の人を支えている、力を持った宗教であると思う。
 などとつらつら考えていた一日だった。

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